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第三編 付属機関

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第九章 産業経営研究所

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一 研究所の設立

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 早稲田大学産業経営研究所は、昭和四十九年七月に大学評議員会の設立承認を得て発足した。本研究所は、本学が百周年を迎える昭和五十七年には設立後八年を数えるが、大学百年の歴史に比べれば、いまだ揺籃期にあると言えよう。しかし、この百年の歴史の土壌に根づき且つ育くまれることによる成長はきわめて早いものがあり、大学における付属機関としての研究所の機能を備え、研究員の努力と相俟って、本研究所はその使命を既に十分に果しつつあるものと自負している。

 本研究所の歴史を語るに当っては、先ず、その母体となった商学部産業経営研究センターの概要を述べることから始めなければならない。

 この商学部産業経営研究センターは、近年における商学関係の研究の深化発展に対応し貢献するためには、従来の教員個人の各個研究に依存するのみの態度を改め、共同研究の積極的推進など研究体制の飛躍的拡充を図る必要がある、との現実の認識、更に言えば危機感からの対応を模索した結果として、必然的に設置が求められたものであり、昭和四十七年七月に商学部教授会で承認され、同年四月に大学本部より商学部に割り当てられていた特別予算の一部を活用して、直ちに組織的な研究活動を開始するに至った。しかし、この研究活動の活発化に伴い、現実の社会、経済、産業のあらゆる面における環境変化の規模、更にその速度は、我々の過去の経験は勿論、予想をも遙かに上回るものがあり、これに対応して解決を迫られる課題も、必然的に多様化、複雑化、高度化していることが明確となってきた。このような現実社会の激しい流動化の時代に、学問の内容やあり方も変らない筈はない。寧ろ、かかる変化を的確に予測し、適切な対応を示すことこそ、学問の世界に住む者に課された新たな使命であると言えよう。

 すなわち、単に頭脳的貢献に留まらず、創造、総合そして実益性のある研究活動を通じて、その成果を学生の教育に反映するだけでなく、更にはより広く産業と社会の発展に寄与することの必要を実感として受け止めざるを得なかったし、躊躇を許される問題でもなかったのである。

 このような見地から、昭和四十九年五月、センターを改組し、早稲田大学産業経営研究所へと充実・発展させたいとの趣意書を商学部長(当時)染谷恭次郎、センター所長(当時)原田俊夫の連名で大学に提出するに至った。その趣旨は「昭和四十七年の商学部産業経営研究センター設立と共に本格的な運営が行われ、着々と実績を重ねて参りましたが、広汎かつ本格的な研究体制の整備確立には、大学機構内への明確な位置づけの必要性が痛感されるに至り、さらに産業経営に関する研究は、現代の経済社会の分析にとって欠くことのできない主要な分野であると共に、その研究の一層の深化と促進の必要性は時代の流れであり、これらの要請へ応えるためにも研究所への改組を強く希望する」というものであった。

 幸いにもこれらの考え方が、大学評議員会の承認を得るところとなり、昭和四十九年十月一日には初代所長に原田俊夫教授が就任し、いよいよその業務を開始することとなった。そして十一月一日には村井総長(当時)をはじめとする関係各位を校友会館にお招きし、創設の式典および披露パーティーを開催するに至ったのである。

 この日、原田所長は創設の喜びと、創設に至るまで数々のご協力を頂いた各位に対する感謝をこめて、次の挨拶を送った。

今夕は産業経営研究所の創設の式典にお運び頂きましたことに厚くお礼申し上げますと共に、研究所創設に至りますまでの村井総長をはじめとする関係者の皆様方の数々のご尽力に心から感謝申し上げるものでございます。

この研究所の前身であります商学部産業経営研究センターが昭和四十七年に大学から商学部に割り当てられた「特別予算」を活用し設立されて以来、その研究成果には見るべきものがあったのでございますが、先生方の強い研究意欲が十分な形で発揮できかつ反映されるためには、大学機構内への明確な位置づけこそ必要であるとの声が上り、ご理解ある関係各位のご協力によりまして研究所創設の運びとなったものでございます。

すでに今日、三十を数える研究部会、研究員も七十名の方が参加されて国内ならびに国際経済環境に関する様々な研究を進めておられます。何れの学問分野も同じでございますが、特に産業経営の分野に関しましては理論と実践を非常に高度化せしめねばならない時代であろうかと考えますが、研究所は今後学内・学外両面を通じ特にこうした点に努力したいと考えております。

私共、研究所の発足と共に決意を新たに研究を進めて参りますが、皆様方の今後一層のご教示を心からお願いいたしまして一言ご挨拶にかえさせて頂きます(要旨)。

 続いて村井総長から次のお祝いの言葉を頂いた。

ものが誕生いたしますことは本当におめでたいことでありますが、それに至るまでの関係者のご苦心は、周囲から見ているだけでは想像もつかないものがあります。この意味での商学部の先生方のご苦心と、研究所という形で結晶されましたご努力とご協力に心から敬意を表するものであります。

昭和四十七年の学費改定に際し、研究と教育の改善・充実を目指し社会科学系三学部に「特別予算」という予算措置を講じたのでありますが、商学部ではこれを極めて有効に活用され、然も短期間の間に産業経営研究所に仕上げられたのであります。この研究所は本学では七つ目の研究所となるのでありますが、研究所が持てるということはその大学の実力といえるかと思います。これは単に財政的な意味だけではなくやはりそれだけの人材がなければできないことであるからであります。

この研究所は研究のための便宜ということだけではなく、今後のわが国の高等教育のために最も必要な研究者養成の面でも大いに力を発揮されることを期待するものでありますが、同時に外に目を向けられて、たとえば今日言われておりますいわゆる「生涯教育」といったような問題を通して社会に奉仕するといったようなことが、早稲田にとって新しい学問的な威力となるのではないかと思うのであります。このようなことを通して社会のために役立ち、大学の名声を更に輝かしていただけることを産業経営研究所に期待するものであります(要旨)。

二 研究所の概要

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 先の所長の挨拶とともに、研究所の概要が次のように明らかにされた。

設立 昭和四十九年七月十五日

名称 早稲田大学産業経営研究所(略称「産研」)

The Institute for Research in Business Administration,Waseda University

事務所所在地 早稲田大学本部キャンパス 第九号館(法商研究棟)三階

目的 産業経営およびこれに関連する諸分野の研究および調査

事業 研究および調査

研究ならびに調査の奨励および助成

研究・調査資料の収集、整理および保管

研究会、講演会および講習会等の開催

研究および調査の受託

その他この研究所の目的達成に必要な事業

審議議決機関

研究所規則第十―十四条を中心とする管理委員会(創設時管理委員四十名)

業務執行機関

規則第四―九条による所長、第十五―十八条による幹事、第二十九―三十条による事務局

研究遂行機関

研究員 規則第十九―二十一、二十三条(創設時八十八名)

研究部会 規則第二十四条(創設時三十部会)

特別研究員 規則第二十六条(創設時七名)

嘱託・助手 規則第二十七―第二十八条

三 研究組織の整備

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1 研究員

 産業経営研究所は、新生の意気に燃えていよいよ昭和四十九年十月一日から業務を開始するに至ったが、既に十月という大学暦年度の途中であることを勘案し、この年度はセンター時に設定された研究部会――共同研究部会十一、個人研究十九――をそのまま研究所における研究部会として継承することとし、当面は研究組織とその基盤の整備に全力を注ぐことにした。

 このうち研究組織の要素としては種々のものがあるが、中でも最も重要な要素は、人的要素であることは論をまたないところなので、研究員の範疇の検討から始めることとした。

 本研究所は、付属機関としての研究所として発足したとはいいながら、先に述べたように商学部産業経営研究センターを母体としていることに加えて、研究部会もそのまま継承していることなどにより、商学部専任教員は全員兼任研究員とすることとし、この継承した研究部会には学内他学部・他機関専任教員、更に他大学・外部機関専任者も参加しているので、これらは特別研究員とすることにした(後に商学部以外の本学専任教員は規則に則り兼任研究員とし、さらに専任扱いの商学部客員教授も兼任研究員とすることとした)。

 この特別研究員の制度は、他大学、他研究機関に所属している方々であるが、今日の学問領域の専門分化を考える時、研究部会の研究主題によっては、より専門的な人材を外部に求めざるを得ない必然性、というよりも寧ろその方がより適当であり、且つ研究計画の達成のために望むべきことであろうとの考えに基づいて設けられたものである。ただし、その嘱任は、特定の研究部会の研究計画の達成のために必要と認められることが絶対条件であるため、管理委員会の議を経て、大学が行うこととした。

 更に研究所内規として「研究協力員」の制度を設けることとした。この研究協力員は、参加研究部会の研究計画達成に協力すること、すなわち研究者の研究補助が主任務であるが、研究・調査等の過程における研究員による研究指導を通じて若手研究者育成の道を開くことをも考慮したものである。この研究協力員は「大学院前期課程(修士)修了者又はこれと同等以上の者で、部会主任者の推薦に基づき、管理委員会の議を経て所長が委嘱する」もので、無制限に認めるものではない。

 また商学部助手で研究部会に参加した者については身分的には研究協力員となる。ただしその処遇は研究員に準ずることとした。

2 研究部会

 先に述べたように、本研究所の発足時はセンターにおいて設定された共同および個人の研究部会をそのまま継承したのであるが、この継承の時点で既に、研究部会のあり方について検討を要するとの声があった。すなわち研究所設立の目的と意味、更には大学における付属機関としての研究所としてあらねばならない基本的姿勢とは何かという観点に立つ時、先ず個人研究は研究所としては認める必要がないであろうし、共同研究部会についてもそのあり方の基本方向を定めるべきであろうというものであった。そこで昭和五十年七月の管理委員会で、現行の研究部会の個人研究は昭和五十一年三月で研究計画を終了または打切ることとし、更に昭和五十一年一月の管理委員会において「研究部会設定その他に関する内規」を定め、昭和五十一年度からは当該年度における研究所の「共通研究課題」を設定し、これにそれぞれの専門領域からのアプローチを行う共同研究部会を設定することのみを認めることとした。そしてこれにより設定される研究部会には、二名以上の研究員(この二名の研究員には特別研究員・研究協力員は算入しない)が参加していること、その研究期間は二年間とすること、研究成果発表の義務づけその他細部に至るまで取り決めを行った。

 この内規に基づき昭和五十一年四月には、共通研究課題を「わが国産業・経営の現代的課題」とし、これに参加した研究部会数は三部会、研究員は研究協力員を含め二十二名を数えた。この他に、この年は特に前年度に設定された共同研究部会十部会、参加研究員五十五名を研究継続部会として承認したが、これは研究部会設定に関する内規が前年度末に漸く決定されたこと、共同研究であることなどを考慮し、過渡期の特別措置として昭和五十二年三月で研究計画を完了することを条件に特に承認されたものである。

 そして更に昭和五十二年四月には前年度設定された三研究部会に加え、参加研究員四十二名の七部会が新設され、これ以後、研究部会はその形態および運営のすべてにつき内規に則るところとなった。

3 組織の充実

 研究所における研究体制の整備の一つとして、組織の充実も大きな必要要件の一つである。本研究所は、事業推進の審議議決機関として管理委員会を設け、重要事項はこの審議・議決を経た上で運営されることを基本とし、所長、更に所務を分掌して所長を補佐する幹事により業務の処理がなされることとなっているが、研究員および研究部会のそれぞれの専門領域からする広汎な各種の要望への能率的且つ適切な対応のためには、小委員会の設定が必要且つ最善であろうとの合意のもとに、先に述べた研究所の事業に則り、企画委員会と図書委員会を設定することにした。

 すなわち企画委員会は、研究および調査の奨励・助成企画、成果の刊行、研究会・講演会の企画・開催などにつき、図書委員会は、産業経営に関する図書・資料・文献の選定・収集・管理、研究・調査資料・所報の発行などにつき協議し、それぞれの結果を所長に建議するものとした。この委員は管理委員の中から所長が各九名を指名し、この中には企画担当、図書担当を分掌する幹事各一名を含み、委員会の運営に当らせることとした。これにより両委員会は、それぞれの所管事項に関する問題点の正確な認識と把握に基づく意思決定による対応の方策を所長に建議することにより、所長は専決または管理委員会への提議などの迅速且つ的確な判断を下し得る体制を敷くことができるようになった。

 なお、この両委員会は昭和四十九年十一月の管理委員会の承認を得た「内規」に基づき設けられたものであるが、本研究所はこの時期に、多少の前後はありながらも研究管理や事務手続の整備にも着手している。すなわち「研究部会設定及び研究費配分方法(内規)」の決定と関連事項の申合せ、更に「図書管理細則」の制定、「研究協力員内規」の決定などがそれであり、これにより研究機関としての組織体が名実ともに形成されることになった。

四 研究基盤の整備

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1 施設の整備

 研究組織の整備に並行しつつ、というよりもそれに先んじて、研究所としての研究組織への物的要素として対応し機能し得る施設の整備が急がれなければならない。

 そこで商学部および大学院商学研究科の理解と支援のもとに、当時の商研自治会の協力をも得て、九号館(法商研究棟)の三階南西部四〇四・三三平方メートルを研究所使用可能スペースとすることが承認され、このうち、まず二四三・七五平方メートルを書庫とし、残りの部分を所長室以下事務所までの五室に分割することとして、昭和四十九年八月に工事を開始し、九月中旬に完工、十月一日に事務所を開設し業務を開始するに至った。所長室以下事務所までは予想し得る将来の発展にも十分に対応し得るスペースと機能を備えたものとなったが、書庫については建物自体の構造的制約、図書管理上の問題点などとの関連で、スペース的にこれ以上は望めず将来に対する若干の不安が残ったが、当面は商学部書庫との相互融通あるいは共通利用等による有効利用を図りながら、問題発生の都度、ケース・バイ・ケースで対処することとし、予想される狭隘その他の一研究所の解決能力を超える問題などについては、将来の大学全体の展望の中での図書・書庫対策にその解決を委ねることとした。

2 図書・資料の収集・整備

 研究部会および研究員がその時々に応じて要望する図書・資料のすべてを収集・整備することは、研究員の専門領域の広さ、各研究部会の研究主題の多様性、更には予算の面から不可能事なことがセンター時の経験からも十分予想された。そこで本研究所は発足の当初から、収集・整備する図書・資料の範疇を限定し、図書管理細則に言う、一、外国雑誌、二、内外統計書、三、社史・組合史、の完全収集に的を絞ることにより予算の有効利用を図ることとし、この範囲外は不本意ながら当面は各研究部会に配分された研究費による研究員個々の収集に頼ることとした。

 因に、外国雑誌は、産業・経営に関するものは当然とし、経済学・商学・経済史・労働等々に至る諸分野のもの三百種以上を継続購入するとともに、未整備のものはそれをバックナンバーに求めたが、オリジナルの収集に並行してマイクロフィルムでの収集も百種を超えるに至っている。また内外統計書は、継続発行のものは当然とし、単年発行のものも収集している。社史・組合史についは、国内を主としながらも可能な範囲での外国発行のものをも対象とし、更に遡及し得る過去に発刊されたものにまで収集の手を伸ばしている。

 なお、本研究所が収集の範疇としている図書・資料のなかには、当然商学部あるいは大学院商学研究科で収集していたものがあり、これらは、以後の収集を本研究所が継承することにすると同時に、以前の収集ずみのものについても本研究所が借用する形をとって管理することとしている。これは集中管理による利用者の便宜を第一としたものである。

3 機械・器具の整備

 図書・資料の整備とともに、利用者への万全なサービスの一環として、機械・器具の整備は今日では必要不可欠のものである。そしてこの整備は、研究所発足の時点で研究員のニーズに十分に対応し得るものを備えることができた。その一つ一つを記すことは省略するが、そのうち十種に及ぶ機械・器具の購入費総額五百余万円は商学部特別予算によっていたことを明記しておく。

五 研究活動の展開

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1 研究部会の活動

 研究体制の整備とともに、「研究部会設定に関する内規」に基づく研究部会が昭和五十一年四月に設定されたことにより、いよいよ本格的な研究のスタートが切られたのであるが、以後毎年度初めに七―八の研究部会が設定され、それぞれの専門領域からの共通課題へのアプローチが今日まで続けられてきたが、その成果には見るべきものがある。多様性に富んだ各研究の一つ一つについてはここでは触れる余裕はないが、毎年九月および三月に各研究部会が提出する研究経過報告書をを『所報』に掲載しているので、その研究の軌跡の詳細は『所報』に譲ることとする。また二年間の研究期間を経て研究計画が完了するとともに、その研究成果は、部会単位であるいは個人研究の形で、『産業経営』、『産研シリーズ』あるいは他の刊行物に発表されているので、研究部会の成果についてはそれらを参照されたい。

2 公開講演会

 本研究所は昭和五十年十一月に第一回「公開講演会」を開催し、以来毎年秋に開催してきているが、この公開講演会は、その年度に社会的あるいは経済的に、全国的または世界的な規模で問題になっていることを「共通課題」として設定した上での講演会で、時にはシンポジウム形式を採り入れたこともある。

 講師には、共通課題にそれぞれの専門領域の立場からアプローチし、分析し、問題提起をして頂くことを前提とするので、その選定に当っては、独り研究員のみでなく、他学部更に学外にまで選択、依頼の手を伸ばしている。

 この公開講演会は、社会人を主たる対象としているが、これは研究員あるいは他の専門研究者による研究成果の発表や問題提起を通じて、広く産業と社会への貢献の道に連なるものを求めるという考え方に基づくものである。更に今日のような現実社会の激しい流動化の時代に、ともすれば学問の絶対理論化的習癖と一般社会の流動性に対する認識の疎さから生ずるギャップが、研究者と社会人との間にないとはいえないので、我々はこの点の反省のもとに、講演終了後の質疑応答を接点として社会人の方々からの実務に基づく健全な認識から発せられる質問、批判の中から実際問題についての事実を収集し分析することにより、社会経済の多様化する要請を的確に把握しつつ自己啓発の糧とすることも目指し、開かれた研究所としての今後の研究所のあり方、望まれる研究活動の展開の道をも求めようとする目的を併せもつものである。

 このような考え方に基づき、第一回の公開講演会の共通課題は「七十年代後半の社会と企業の進む道」を選定し、また昭和五十三年の第四回は「海外進出企業の当面する諸問題」とし、更に何れの回も、質疑応答に常に十分な時間を設けるよう努めてきた。

3 公開講座

 公開講演会の開設に先んじて昭和五十年六月には学生を対象として、第一回「公開講座」を開設した。その内容は研究員の研究部会における研究成果の発表、研究過程における分析手法や参考資料の収集と利用の方法などの研究方法の解説、更には研究員が自己の専門領域以外に興味を持って研究していることなどについて、授業とは違った角度から学生諸君を啓蒙することを目的としたもので、六名程度の研究員を講師として、毎年六月に開催して今日に及んでいる。

4 研究会

 研究員の研究領域の多様性と専門分化は、今日の科学進歩からすると当然と言えるかも知れないが、他方において同一研究所に所属しながら同僚の研究員の研究領域のおおよそはともかく、現在指向している研究方向に至っては全く不明であるという状態も起り得る。このような事態を回避するとともに、併せて学術研究の促進、知識の吸収、更にはこの会を通じての親睦を目的とし、春秋の二回それぞれ二名の研究員が研究報告を行う研究会を開催しており、更にその報告要旨は所報に掲載することにしている。

5 研究および調査の受託

 研究所事業の一つに、「研究および調査の受託」があるが、この受託も研究体制の整備とともに研究所としては当然指向しなければならない道の一つである。今日のように、予想を遙かに超えた速度と国際的な規模をもつ社会・経済の構造変動の真只中にあって、解決を要する課題への対応は、一研究所や一企業の力で対処し得るものでないことは明白である。それ故、今や過去に言われあるいは解釈された「産学協同」とは全く別の意味での産学協同が新たに展開されなければならない時期にさしかかっていると思う。すなわち、今後は大学における研究機関でも、あるいは民間のシンクタンクでも、大規模なプロジェクトチームでないと処理できないケースが多くなるであろうことは、誰にでも予想されるところであり、総合的な研究課題や境界領域的性格をもつ研究などには多岐に亘る専門分野の研究者・実務者の参加する特別なプロジェクトチームの編成の必要性は、今や学問的にも社会的にも要請されているところである。この意味からしても、もはや受託あるいは産学協同などという言葉を超えた「協力連携」が必要とされる時代であり、もっと言えば、国際的な人的交流、情報交換、連携交流をより深め、国際分業を円滑に前進させる方向で構築されるべき時代になっており、これなくしては学問の進歩も企業の発展もあり得ないといっても過言でないであろう。

 今後、本研究所はこの考えのもとに、受託という消極的な姿勢だけではなく、他研究機関あるいは民間企業に積極的に協同研究の働きかけを行う考えを抱いている。

六 研究成果の発表と刊行物

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1 機関誌『産業経営』と『産研シリーズ』

 研究所における研究活動とその成果は、当然に公表、公刊されて教育、研究、社会への貢献を目指し、あるいは問題提起を行い、更には批判を受けながら、進歩のための道標とならなければならない。

 本研究所における研究活動は、設立の時点で承認された研究部会により既に始められていたが、これらの成果の発表の場の提供は研究所の責任で行うべきであるとの認識に立ち、『産業経営』と『産研シリーズ』の二種の機関誌を発行することを決定した。

 『産業経営』は年一回、十二月発行の定期刊行物とし、過去および現在の研究部会参加の研究員個人を主とする研究成果、または産業経営に関連する研究論文を掲載することとし、先ず創刊号を昭和五十年十二月に論文八編を掲載して発行し、以後毎年、号を重ね今日までの発刊による裨益は大であったと信じるものである。この発行に当り、題字「産業経営」の揮毫を本学の大先輩である北沢新次郎名誉教授にお願いしたことは、是非とも記しておかねばならないことであろう。

 なお、研究協力員にも指導研究員と連名という条件付きではあるが、『産業経営』への執筆の道を開いていることを付言しておく。

 『産研シリーズ』は、研究部会に関する内規の「研究部会は、研究開始後二―三年以内に定期刊行物または研究所シリーズに研究成果を発表する」という条項に基づいて刊行しているもので、研究部会単位による研究成果発表を主眼とする叢書である。その発行は不定期とはしながらも、年一回の発行を原則としている。

 これにより、『産研シリーズ1』として『戦前期日本資本主義における企業金融―重工業の場合―』を昭和五十一年三月に発行し、以来年を追って号を重ね今日に至っている。

2 『栞』と『所報』

 当研究所に対する理解と利用の便のために『栞』を、また研究員および学内各箇所に対し、研究所の日常の活動状況の報告・周知を目的として『所報』を発行している。

 『栞』は、その端書に「研究員はもとより、専門領域を同じくする学内外の研究者に当研究所の概要をお知らせし、ご理解とさらに広い利用範囲につながること……」とあるように、研究所の設立から組織、事務、施設と利用、内規、各種書類の書式、更には継続購入の外国雑誌名に至るまで網羅し、かつ加除式としてあるので、一読すると、その時点での当研究所のすべての態様が理解できるようになっている。

 『所報』は、発刊に当って「研究進行状況、事業計画とその運用などをお知らせし、研究部会間の連携強化とか研究活動の全般を見て頂く」と言っているように、主として研究所の研究活動を報告することを目的として、年二回発行されているものである。この発行の趣旨から、その内容は当然研究進行状況報告が主であるが、研究会、講演会、公開講座の開催、出版物、事業活動その他に及び、一読その時点での研究所の動向が明らかになる。この所報第一号は昭和五十年三月に発行されている。

3 所蔵目録

 図書・資料の所蔵増加に伴い、これらの所蔵目録を発行することにし、先ず、昭和四十九年(センター時)に『逐次刊行物所蔵目録』を、更に昭和五十年には『企業史・労働組合史所蔵目録』を商学部と共同で発行した。

 『逐次刊行物所蔵目録』は(邦文)雑誌・統計・白書・年報・年鑑・発行機関名、(欧文)雑誌・統計・白書・年報・年鑑・発行機関名の項目別に分類記載されている。

 『企業史・労働組合史所蔵目録』は、企業史――企業名別配列――、企業史――業種別配列――、の二種に分類記載されている。

 この二つの所蔵目録は、学内外の研究者、利用者から高い評価を受けることができたので、今後も所蔵数の増加に伴い継続発行していく予定である。

七 今後への展望

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 昭和四十九年の産業経営研究所設立に際し、原田俊夫初代所長は、我が国内外の情勢を「変転きわまりない経済と社会……」と表現し、またこの年九月に発行された経済白書はその副題を「成長経済を超えて」とし、「戦後わが国経済は国際環境の好条件に恵まれて高い成長を遂げてきたが、いまや、こうした好条件はなくなりつつあります。すなわち、外においては国際通貨制度の崩壊をはじめとする世界経済を支えていた諸秩序が再編成を迫られており、内においてはエネルギー・資源の制約、公害・環境問題に関連する企業立地の制約、物価対策にからむ総需要抑制の課題に当面しており、日本経済はかけ値なしに転機を迎えつつあります」と訴え、まさに経済的にも社会的にも変転きわまりない年代であったことが窺い知られる。すなわち、この年代の我が国は、昭和四十七年に始まった物価の異常な値上りは四十八年末には“狂乱物価”と称され、また昭和四十八年十月の第四次中東戦争に端を発したアラブ諸国の石油戦略は、我が国にいわゆる“石油ショック”なる新語を登場させた程の混乱を生じさせ、当然に世界的な規模での経済、社会構造変革の渦に巻き込まれるに至った。このような中で学問の世界のみが超然たり得る筈はなく、というより大学研究機関の存在理由があらためて問い直された年代でもあったのである。本研究所はこのような現実認識による危機感を肌に感じつつ設立され、時に試行錯誤的に歩みながら、一貫して大学の中での「付属機関としての研究所のあるべき姿」を追求して今日に至ったが、なお且つ解決されなければならない幾多の問題が残されていることも事実である。この問題点は、既に『早稲田フォーラム』十二号(「特集・大学と研究所」)で識者に指摘されたところ、あるいは資料にもられたそれに共通するものが多いので、ここではその一つ一つを挙げることはしないが、これからの研究所存立基盤確立のための目標に「開かれた研究所」を掲げて、単なる一大学の付属研究所の壁を乗り越えて、将来の予測の難しさを謙虚に認めながらも未知なるものの模索、未来への挑戦の道を歩みたいと思う。すなわち、我々の研究調査活動が教育の場に活かされ、そして社会の評価に耐え得る限り、研究所存在の意義は保たれることを確信し、柔軟性のある研究体制のもとに、旧来の発想をこえた新分野に可能性の限界を追求し、その発展と拡大に努力を注ぐ所存である。 (執筆 西宮輝明)