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第三編 付属機関

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第十章 現代政治経済研究所

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一 設立までの経過

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 現代政治経済研究所が開設されたのは昭和五十三年四月一日であるから、今日まで僅かに四年余の齢を重ねたに過ぎない。しかし、研究所が正式に発足するまでには、十年以上に亘る準備段階があった。

 昭和四十年の頃から、政治経済学部内に、政治学・経済学の最近の学問的動向に対応して研究体制を拡充強化し、併せて研究資料を組織的に収集整備する必要があり、そのために政治経済関係の研究所を創設すべきであるという気運が高まっていた。こうした気運の中で、四十一年十一月十五日の教授会は「政治経済研究所(仮称)設置準備委員会」を設けることを決定した。この委員会は研究所設置の可否について改めて審議を重ねた結果、設置すべきであるとの結論に達した。そこで委員会は設置についての大綱を定め、これに基づく要綱(案)を作成した。この要綱(案)によると、研究所の目的は、「現代日本の政治学・経済学的研究、およびこれに関連する政治学・経済学の基礎的研究」とされていた。この基本方針は、その後も根本的変更を加えられることなく、現在の研究所に継承されている。この要綱(案)に基づいて規則(案)が作成され、昭和四十二年十一月二十一日の教授会はこの規則(案)を承認し、翌二十二日、第一・第二政治経済学部長より「早稲田大学政治経済研究所」設置申請書が、規則(案)とともに総長に提出された。

 ところで、政治経済学部に設けられていた新聞学科が種々な事情から廃止されることになり、四十一年度から学生募集を停止したが、新聞学科廃止に伴う措置の一つとして、マス・コミュニケーションに関する研究所を設置することが条件づけられていた。そこで学部ではマス・コミュニケーション研究所の設置が同時並行的に検討されていたのであるが、しかし、二つの研究所を併置するよりも寧ろ一本にまとめることの方が望ましいとの提案があり、昭和四十三年十月二十二日の教授会において、マス・コミュニケーション研究を政治経済研究所に統合することが決定された。この決定に基づき、規則(案)を一部修正した上で、十一月十五日、規則(案)を付して、政治経済研究所設置につき再度総長に対して申請が行われた。

 学部における右のような要請を受けて、大学本部も政治経済研究所の設置を検討するようになって、昭和四十六年度になると、設置準備のために若干の予算が初めて計上された。そこで学部は、四月二十日の教授会において、「研究所設置準備委員会」を再発足させ、具体的準備に着手した。委員会は規則(案)を再検討し、所長・研究員に関する条項などを中心に改正案を作成した。昭和五十年度に入ると、研究所設置の日程が具体的に検討されるようになり、最終的な規則(案)を得るために、小委員会が選出された。小委員会は鋭意検討の結果、研究所の名称を「現代政治経済研究所」(英文名称 Institute for Research in Contemporary Political and Economic Affairs)とし、当初から要請されていた資料の収集整理を研究所の活動目標として明示的に加えることにした。この案は委員会で審議され、十一月十八日の教授会で承認された。更に同教授会は、研究所の開設を昭和五十三年度とし、その準備段階として、昭和五十一年度から二年間、「現代政治経済研究センター」を学内組織として設置し、予算は特別予算を充てること、センターの長は学部長の兼務とすることを決定した。この計画は理事会でも承認され、昭和五十一年四月一日に現代政治経済研究センターが発足し、二年後の研究所開設を目指して活動を開始した。センターの運営は十五名の委員からなる運営委員会が当り、更に運営委員の中から三名の幹事が選出され、学部長を補佐してセンターの実務を分担した。

 昭和五十二年九月二十七日の教授会において、一部修正された研究所規則(案)が最終的に決定され、九月二十八日に研究所設置が本部に申請された。この設置案は研究所長会、学部長会、研究科委員長会、理事会でそれぞれ承認され、十二月十五日の評議員会で最終的に承認された。こうして「現代日本の政治、経済ならびにマス・コミュニケーションに関連する総合的および基礎的研究を推進し、かつ、関係資料の収集整理を行い、斯学の発達に寄与することを目的とする」(研究所規則第二条)現代政治経済研究所が正式に発足したのは昭和五十三年四月一日である。

二 運営組織

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 研究所の最高議決機関である管理委員会は、政治経済学部長、大学院政治学研究科委員長および経済学研究科委員長、教授である専任研究員(但し今までのところ専任研究員はいない)、政治経済学部において専門科目を担任する本属の教授・助教授の互選による者若干人、および管理委員会が推薦する者若干人によって構成されるが、第一回の管理委員会(管理委員三十九名)が昭和五十三年四月十一日に開催され、初代所長候補として正田健一郎教授を選出した。所長には今日まで次の人たちが嘱任されている。

五十三年四月一日―九月三十日 正田健一郎教授

五十三年十月一日―五十四年二月十四日 正田健一郎教授

五十四年二月十五日―五十五年九月三十日 兼近輝雄教授

五十五年十月一日―五十七年九月三十日 清水望教授

五十七年十月一日― 平田寛一郎教授

 所長を補佐して所務を分掌するために幹事三名以内を置くことになっているが、今まで次の人達が幹事に嘱任されている。田中駒男教授(五十三年五月一日―九月三十日および五十五年十月一日―現在)、安藤哲吉教授・岩倉誠一教授(五十三年十月一日―五十五年九月三十日)、兼近輝雄教授(五十三年十月一日―五十四年二月十四日)、小林謙三教授(五十四年二月十五日―五十五年九月三十日)、藤原保信教授(五十五年十月一日―五十六年三月十七日)、上原一男教授(五十六年三月十七日―)。

 事務員は出向・学生職員を含めて現在六名であり、事務長には開設時から今日(昭和五十七年)まで吉村信雄氏が任命されている。

三 活動状況

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 五十三年六月二十日の管理委員会において、共通研究課題と研究参加者が承認され、八件の研究部会が発足することになった。共通研究課題は次の通りである。⑴近・現代日本における政治・経済の変遷、⑵現代政治、およびその成立過程の比較研究、⑶現代経済、およびその成立過程の比較研究、⑷政策決定過程の諸問題、⑸現代における国際社会の動向と日本、⑹人口構成の高齢化とそれに対する政治的、経済的、社会的対応、⑺社会現象に関する数量的分析の諸問題、および⑻日本におけるマス・コミュニケーションの研究である。そして管理委員である政治経済学部の専門科目担任の教員は少くとも何れか一つの研究部会に参加することが決定された。すなわち、これらの管理委員が同時に兼任研究員になるという組織が作られた。研究所が取り組むべき長期的課題、あるいは組織的に収集すべき資料の重点など、研究所の長期的事業計画は最終的には管理委員会で決定されるが、慎重に検討する必要から、管理委員会の前の段階で小人数のグループの間で意見を交換し、それを管理委員会に反映させることが望ましいと判断されたからである。

 発足当初の研究部会は右のような長期的事業計画を中心に討論を進めてきたが、五十四年度から研究グループを発足させ、具体的な研究活動を開始した。研究グループは、二年を期間とし、管理委員である兼任研究員を中心に編成される。五十七年度の場合、次の十グループが編成されている。「明治十五・十六年における巡察使の復命書についての研究」「国務大臣責任制の比較法的研究」「西ドイツにおける政治・経済・公法等諸制度の変遷に関する研究――現代日本との関連において」「現代社会形成過程において英国の果した役割について」「現代経済の理論的ならびに政策論的研究」「行政過程の公開と参加」「行財政システムの研究――国・地方関係を中心として」「『満州』問題の研究」「国際社会の収斂化傾向に関する研究」および「地域とコミュニケーションメディアをめぐる諸問題」である。これらの研究グループに参加しているのは、兼任研究員五十二名、特別研究員二十二名、研究協力者十五名である。なお研究所では、論文完成の参考に資することを目的として大学内外の専門家に配布する『研究ノート』を発行することにしているが、これまでに寄本勝美『国――自治体の機能分担をめぐる論議と改革の方向』(『研究ノート』第一号、昭和五十七年一月)、および椎名慎太郎『フランス第三共和制下の大臣責任制――マルヴィ事件を素材として――』(『研究ノート』第二号、昭和五十七年四月)を発行している。従って右の研究グループの成果は近く「叢書」として公刊される予定である。

 研究所の事業の一つとして講演会の開催があるが、今日まで、海外からの研究者を迎え、次のような講演会・研究懇談会が開催されている。コーネル大学教授セオドール・J・ロウイ氏講演「アメリカ社会における政治的多元主義」(昭和五十四年五月三十日、大学院政治学研究科と共催)、中・日友好学者訪日代表団を囲む研究懇談会(五十四年十二月十四日)、EC委員会法制総局首席顧問D・W・アレン氏講演「エネルギー問題とEEC競争ルール」(五十五年十一月三日)、ドイツ・フランス研究所R・ピュト氏およびドイツ学術交流会東京事務所長U・リンス氏を囲む研究懇談会(五十五年十一月十八日、語学教育研究所と共催)、在日西ドイツ商工会議所専務理事B・グロースマン氏を囲む研究懇談会(五十六年一月十九日)、サリー大学教授ケネス・ハント氏講演「米・西欧関係の将来」(五十七年六月四日)、そして百周年記念学術講演会としてミュンヘン大学教授ペーター・レルヘ氏「巨大技術と基本権」(五十七年十月二十八日)が開催された。

 政治、経済、マス・コミュニケーション関係の資料を組織的に収集することが研究所事業の大きな柱の一つであるが、このために研究所は図書選定委員会を設け、定例的に開催して、一次資料に重点をおき、且つ大学内の他機関との重複を避けるように配慮しながら、資料を組織的に収集している。なお昭和五十五年度から、ECの好意によりヨーロッパ・ドキュメンテーション・センター(EDC)の指定を受けることになり、EC関係の資料が更に充実されるようになった。

 政治経済学部に設けられていた新聞研究資料室時代のものをも含めて研究所で保存している新聞は、国内発行のもの約二百種類、外国発行のもの約三十五種類あり、現在継続的に受け入れているものは前者が四十七、後者が九種類である。新聞はその紙質の関係から長期保存が困難であるため、マイクロ化する必要がある。幸い大学本部、および政治経済学部の協力を得て、古いところでは『横浜毎日新聞』(明治三―四十五年)など三十二紙、昭和の年代では二十二紙、外国発行のもの十種類のマイクロ化が完了し、更にこの作業を進めて利用者に一層の便宜を供し得るようにする予定である。

付記 小稿をまとめるに当り、『現代政治経済研究所所報』(第一―第四号)を参照した。

(執筆者 田中駒男)