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年表(昭和三十年~三十九年)

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和暦西暦月日事項
昭和30年1955年1・17資金部と社会教育部と調査部を廃止し,校友部と調度部と就職部と科外講演部を新設し,教務部に調査係を置く〈④1158-1161〉
2・1外国人留学生の受入枠を確保するための外国学生特別選考制度発足〈⑤100-101〉
2図書館南側の増築工事竣工〈④1125-1126〉
3早稲田大学奨学基金を廃止して大隈奨学基金を設定し,奨学生を一般奨学生と新入生対象の特別奨学生との2種に分ける〈⑤218〉
4・1大隈研究室と人文科学研究所とを合併して大隈記念社会科学研究所に改組〈④1149,⑤125-126〉
4アメリカ合衆国国務省国際協力局(ICA),大学間の研究者交換プログラムへの協力を学苑に打診〈⑤71-72〉
5・16株式会社館山製作所所有の千葉県館山市所在土地・建物を購入〈記要14・134〉
5学制研究委員会,夜間学部のあり方を検討する第二学部専門委員会(委員長上坂酉蔵)設置を決定〈⑤257-258〉
6ICAの提案を受けて理工学部とジョージア工科大学との提携を理工学部教授会に諮るも,否決される〈⑤73-75〉
7・11館山寮開寮式挙行,正課体育および体育局各部の合宿所として使用〈学報653・36〉
10大浜信泉総長,ミシガン大学を訪問し,生産性向上の研究を目的とする教員交換協定の内容を打ち合せる〈⑤75-76〉
11・3校友会が学苑創立70周年を記念して募金した資金により,大隈庭園内に校友会館が竣工し,落成式挙行〈④1115,1126〉
11・18小野梓先生〔没後〕70年記念祭挙行〈⑤872-874〉
12・8中華人民共和国科学院院長郭沫若来校〈⑤706,707〉
12管弦楽団,交響楽団と改称〈⑤829〉
この年春 第一学部と第二学部の格差解消を目指す「単一学部制」実施要求運動が学生の間で高まる〈⑤255-256〉
昭和31年1956年1・19ミシガン大学総長ハーラン・ハッチャー一行来校し,教員交換協定内容を煮詰める〈⑤77〉
2・1ミシガン協定の受皿として生産研究所(所長大浜信泉)が開所式挙行〈⑤77〉
4・1教育学部教育学科教育行政課程,学生募集を停止〈⑤285-286〉
4・1重要事項を教職員に伝えるため庶務部より『早稲田大学広報』発刊〈④1161〉
4・5理事会,産業の生産性向上を目的として研究者を交換することを謳ったミシガン大学との協定書に調印〈⑤78-79〉
4・11校友会と共催で第1回全国支部長会を開催〈⑤929〉
5・9ミシガン大学,学苑との研究者交換協定書に調印し,ミシガン協定が発効〈⑤79-80〉
5・17理工学研究所,文部省輸入機械購入補助金で購入したボーイング社製アナログ型電子計算機の公開実験を開催〈⑤139,広報昭和31年5月26日号〉
5・23アメリカ合衆国の血清学者A・ウィーナー来校〈⑤706〉
8・11高等学院,戸山町キャンパスより練馬区上石神井へ移転し,9月8日に移転祝賀会を開催〈広報昭和31年9月7日号〉
8・22練馬区上石神井の高等学院,旧智山学園校舎の改築・増築工事竣工〈⑤155-157〉
8ミシガン協定最初の学苑側派遣教員として,青木茂男出発〈⑤128〉
9・1高等学院および工業高等学校の専任教員(会)を教諭(会)と改める〈広報昭和31年9月12日号〉
9・12ミシガン協定を学問の独立に対する脅威と看做した学生,第1回交換教授チャールズ・ゴーディ来日予定の羽田空港と大隈銅像前とで集会を開催〈⑤84〉
9・24ハワイに足止めされていたミシガン大学側第1回派遣教授ゴーディ,来日〈⑤86〉
10・22文部省,大学基準協会が決定する「大学基準」に代る「大学設置基準」を省令(第28号)で制定・施行〈⑤59,293,525〉
10・30理工学研究所に放射性同位元素研究室が竣工し,11月15日に開室〈⑤131,広報昭和31年11月12日号〉
この年 早稲田大学出版部,通信講義録の購読者募集停止〈④942〉
昭和32年1957年1・14語学教育研究委員会(委員長渡鶴一)発足〈⑤136〉
1・23前年12月23日に校友初の内閣総理大臣となった石橋湛山の総理大臣就任祝賀会を大隈庭園で開催〈⑤940-941〉
1・25創立75周年記念事業実行委員会(委員長阿部賢一)設置〈⑤164-165〉
1学部組織研究委員会(委員長大浜信泉)設置〈⑤259〉
3・15名誉博士号贈呈制度制定〈⑤165-166,210〉
4・4式服および学位章に関する規程が制定・施行され,肩にかける学位章は取得学位により色分けされる〈⑤166,214〉
6・23水泳部,中華人民共和国遠征に出発〈⑤700-701〉
9・5診療所,現1号館地下より早稲田大学出版部建物内に移転〈広報昭和32年9月11日号,⑤228〉
10・1日本政府,オーストリアと留学生交換協定を締結〈⑤122〉
10・7インド首相パンディット・ジャワハルラル・ネールに名誉博士号贈呈〈⑤211〉
10・19理工学研究所に内藤多仲博士記念耐震構造研究館竣工〈⑤131-132〉
10・20内閣総理大臣石橋湛山に名誉博士号贈呈〈⑤211〉
10・20創立75周年を記念して戸山町キャンパスに記念会堂竣工〈⑤194-195〉
10・21創立75周年記念式典を記念会堂で挙行〈⑤172〉
11・5ソヴィエト社会主義共和国連邦の生化学者A・オパーリン来学〈⑤706〉
11・25フランスの哲学者ガブリエル・マルセル来学〈⑤706〉
11・30創立75周年を記念して法文系大学院校舎増築工事完成,大隈記念室および小野記念講堂を設置〈④1123,⑤167-168〉
この年 健康保険組合,熱海所在建物を購入し保養所「熱海寮」を開設〈⑤230〉
昭和33年1958年3・3語学教育研究委員会,総長に報告書を提出〈⑤136〉
3早稲田大学出版部,通信講義録全廃〈④942-943〉
4・1第二理工学部電気工学科を,強電部門を主とする電気工学専修とエレクトロニクスを主とする電気通信学専修との2専修に分ける〈広報昭和32年2月27日号,記要19・108〉
4・1高等学校教諭1級免許を付与するため,修業年限1年の専攻科(国語国文学専攻科,英語英文学専攻科)設置〈⑤286-287〉
4・1大隈奨学基金を大隈記念奨学基金と改め,奨学生を大学院奨学生と一般奨学生との2種に分ける〈⑤218-219〉
4・1法学部に比較法研究所(所長中村宗雄)設立〈⑤134-136〉
5・15顕著な研究業績を挙げた教員を対象とする大隈記念学術褒賞制度発足〈⑤215-216〉
5・15学術,文芸,スポーツ等に抜群の成果を挙げた学生を対象とする小野梓記念賞制度発足〈⑤217〉
8・1「大学年金規則」制定・施行され,年金制度発足〈⑤225-226〉
9・12ドイツ連邦共和国の歴史哲学者カール・レヴィット来校〈⑤706〉
9・20総長選挙人会,大浜信泉を総長に再選〈⑤52〉
11・3窪田通治(空穂),文化功労者受章〈⑤944〉
昭和34年1959年2・20政治経済学部使用の1号館と3号館の連結工事竣工〈⑤195〉
3・17理工学部使用の14号館南北両端の連結工事竣工〈⑤195-196〉
4早稲田精神昂揚会(当初は早稲田精神研究会と称する)発足〈⑤833-834〉
6・16インドネシア大統領アハマド・スカルノ来校〈⑤706〉
6・19早稲田大学消費生活協同組合,総会を開いて法人化および早稲田大学生活協同組合への名称変更を決議〈⑤783〉
7・1教務部に語学教育研究室(室長川本茂雄)設置〈⑤137〉
9・10トルコおよびイランから地震研究の留学生を招くための名誉教授内藤多仲博士奨学金制度発足〈⑤121〉
10・8電子計算室(室長難波正人),診療所内に開室〈⑤140〉
10・8調度部調度課に印刷所設置〈広報昭和34年10月22日号〉
11・25創立80周年記念事業委員会(委員長安念精一),第1回会合開催〈⑤177〉
この年 学生部が主催し診療所が担当する学生の定期健康診断開始〈⑤228〉
昭和35年1960年3・31旧制早稲田大学(大学院,学部)廃止〈④950,1007,⑤38〉
3・31ドイツ連邦共和国首相コンラート・アデナウアーに名誉博士号贈呈〈⑤211〉
4・1ボン大学との研究者交換開始〈⑤89〉
4学術出版補助費制度発足〈⑤153〉
5・8-10市島春城先生生誕100年記念祭挙行〈⑤875-876〉
5・16創立80周年記念事業委員会,評議員会に答申を提出し,評議員会は答申通り記念事業計画を決定〈⑤178〉
5・22坪内逍遙生誕100年記念式典挙行〈⑤874-875〉
5・25応用化学科教室(9号館――現6号館)第2期工事竣工〈④1120,1125〉
6・15創立80周年記念事業募金事務局を設置し,20億円の募金に着手〈⑤182-183〉
6・15教員給与の所管箇所を庶務部より教務課に移すとともに,人事部を新設して職員人事・給与の管掌事務を庶務部より移す〈⑤746〉
6・15日米安全保障条約改定阻止を標榜する全学連が国会突入を企てて警官隊と衝突,東京大学学生1人が死亡〈⑤371〉
9ミシガン協定による最後の学苑側派遣教員として,名取順一出発(12月帰国)〈⑤130〉
11・14-16高田早苗先生生誕100年記念祭挙行〈⑤876-877〉
11・15評議員会,長野県菅平の土地12,504坪および建物88坪の購入を決定,運動部合宿所として使用〈⑤163〉
12・1理事会,パリ大学との研究員交換協定承認〈⑤89〉
12「創立80周年記念事業資金募集趣意書」発表〈⑤196〉
昭和36年1961年1・16評議員会,西大久保の国有地11,233坪の購入を決議〈⑤203〉
1図書館内に校史資料係設置〈⑤747〉
2・17久野奨学基金を設定し〈⑤221〉,4月1日より支給
4・1第二理工学部の学生募集を停止して第一理工学部の学生定員をほぼ倍増し〈⑤260〉,第一理工学部の鉱山学科を資源工学科と改称〈⑤291〉
4・1大学院工学研究科を理工学研究科と改称し,応用物理学専攻に博士課程を開設するとともに,数学専攻(修士課程・博士課程)を増設〈⑤291-292〉
4・1工業高等学校が戸山町キャンパスより本部キャンパス15号館へ移転するとともに,産業技術専修コースを開設〈⑤303〉
4・1インドネシア賠償留学生受入制度に基づく受入開始〈⑤122-123〉
5・10ア式蹴球部,大韓民国遠征に出発,18日帰国〈⑤701-702〉
5・15評議員会,長野県菅平グラウンド隣接地8,760坪の購入を決定〈⑤163〉
5本庄市長・市議会議長,本庄地区への早稲田大学誘致の陳情書を届ける〈⑤160〉
6・3創立80周年記念の建設事業を推進するため,臨時建設局設置〈⑤183〉
7・1教員組合結成〈⑤235-236〉
7・4文部省,大学設置認可基準大幅緩和の方針を発表〈『大学設置基準の研究』130-131,⑤60〉
7・12ソヴィエト社会主義共和国連邦科学アカデミーとの学術交流として,増田冨寿出発(翌8月10日にヴィクトル・ヴラーソフ来校)〈⑤93〉
7・15職員組合結成〈⑤240-241〉
7・20体育局の建物が戸山町キャンパスに竣工〈⑤196〉
7・26大久保山一帯を学苑校地に予定する旨の覚書を本庄市・児玉町・美里町と交換,翌昭和37年より用地買収に着手〈⑤160〉
8・14高等学院の講堂竣工〈⑤157〉
8スタンフォード大学の在外教育計画による大学生17人を第一文学部委託学生として受け入れる〈⑤109〉
9・6大隈会館敷地内の学生ホールに3階を増築して第二共通教室とする〈⑤198〉
11・11スペインの歴史哲学者ディエス・デル・コラール来校〈⑤706〉
11・15-17天野為之先生生誕100年記念祭挙行〈⑤877〉
12・14駐日アメリカ合衆国大使エドウィン・ライシャワー来校〈⑤706〉
12・15アルゼンチン共和国大統領アウトゥロ・フロンディシに名誉博士号贈呈〈⑤211〉
昭和37年1962年2・6アメリカ合衆国司法長官ロバート・ケネディ来校〈⑤707-709〉
2第二学部検討委員会(第1次)(委員長戸川行男)設置〈⑤261〉
3学苑教授暉峻康隆,『婦人公論』に「女子学生世にはばかる」発表,また4月には慶応義塾大学教授池田弥三郎が同誌に「女子学生亡国論」を発表し,女子の大学への大量入学現象を批判〈⑤44〉
4・1教育学部教育学科の教育行政課程を廃止するとともに「課程」をすべて「専修」と改称し,教育学科に教育心理学専修を増設〈⑤288-289〉
4・1教職員・学生の海外留学・出張手続や外国人教員・学生に関する事項を扱う外事課を教務部内に設置〈⑤123-124,747〉
4・3高等学院および工業高等学校が移転した跡の戸山町キャンパスに文学部校舎が竣工し,5日に落成式挙行〈⑤201〉
4・6第一・第二文学部が戸山町キャンパスに移転した跡の本部キャンパス4号館に,教育学部が移転〈⑤198,202〉
5・23ソヴィエト社会主義共和国連邦の人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン来校〈⑤709-711〉
6・25早稲田キャンパス新聞会,『早稲田キャンパス』発刊〈⑤840〉
7・1客員教授の制度が設けられ,9月1日に教育学部のバートン・E・マーティン,10月18日に第一・第二文学部の除村吉太郎を嘱任〈⑤214-215,広報昭和37年11月14日号〉
7・6第二学部検討委員会(第1次),第二学部縮小・第一学部拡大を骨子とする答申書を総長に提出〈⑤263〉
9・1理事2名増員・評議員1名増員を骨子とする改正校規施行〈⑤245〉
9・1特別功労者および特別縁故者を名誉評議員とする制度を施行し,12日,石橋湛山松村謙三に委嘱〈⑤246,広報昭和37年10月16日号〉
9・20総長選挙人会,大浜信泉を総長に三選〈⑤55〉
10・1語学教育研究室を教務部から独立させて語学教育研究所(所長川本茂雄)を設置〈⑤138-139〉
10・14応援歌「燃ゆる太陽」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)発表〈⑤186-187〉
10・20ミシガン大学総長ハーラン・ヘンソーン・ハッチャー,校友・衆議院議員松村謙三,校友佐伯好郎に名誉博士号を贈呈〈⑤211〉
10・21-22創立80周年記念式典挙行〈⑤190-192〉
11・3内藤多仲,文化功労者受章〈⑤944〉
11・17-18早稲田精神昂揚会・自動車部・早稲田キャンパス新聞会の共催で本庄‐早稲田間の第1回100キロ・ハイク開催〈⑤837〉
12・1アーラム大学およびアンティオック大学と,在外教育計画に基づく大学生受入協定書に調印〈⑤112〉
12・5第二学部検討委員会(第2次)(委員長時子山常三郎)設置〈⑤263〉
昭和38年1963年3・18早稲田精神昂揚会の5人,サンフランシスコを発ってアメリカ大陸徒歩横断に出発(11月13日にニューヨーク着)〈⑤834-835〉
4・1アメリカ合衆国の大学の在外教育計画による委託学生を受け入れて1年間英語で講義を行う国際部(部長小松芳喬)を各種学校として設置し,9月16日に開講〈⑤113〉
4・1ロバート・ケネディ奨学基金設定され,大学院学生に支給開始〈⑤221〉
4・13甘泉園の一部3,462坪と交換して入手した水稲荷神社所有地2,064坪の登記完了〈⑤200〉
5・1学生部,『新鐘』発刊〈⑤747〉
5・8理事会,ワシントン大学(セントルイス)との交換教授協定承認〈⑤91〉
5・15評議員会,学徒錬成部跡地の残余の土地18,690坪の売却を決定〈⑤158-159〉
5職員会が解散し,職員共済会発足〈⑤228〉
6・15西大久保の理工学部建築用地に隣接する国有地2,111坪と甘泉園の一部2,963坪との交換決定〈⑤203〉
7・15大隈記念社会科学研究所を社会科学研究所に改組し,大隈重信の事蹟研究を研究所の目的から削除〈⑤126〉
9・30西大久保キャンパスに理工学部の第1期工事竣工〈⑤203〉
10・15長野県菅平の建物増築工事竣工し,菅平寮と命名,12月より学生の体育訓練と教職員・一般学生の厚生施設として使用〈⑤230,広報昭和39年1月29日号〉
10・17早稲田精神昂揚会のアメリカ大陸横断隊,ワシントンで司法長官ロバート・ケネディと会見〈⑤835-836〉
10・21大隈重信生誕125年祭を11月12日まで開催〈⑤879-880〉
11・10名誉教授の窪田通治内藤多仲に名誉博士号贈呈〈⑤211-212〉
11・28全国早稲田大学学生会連盟結成〈⑤826-827〉
12・9校友会,大隈重信生誕125年記念祭を開催〈⑤880-881〉
12・17早稲田実業学校,学苑の系属校となる〈⑤300〉
12図書館内にあった校史資料係を教務部所管の校史資料室と改め,大隈重信の事蹟研究をも社会科学研究所から引き継ぐ〈⑤747-750〉
昭和39年1964年1・18ロバート・ケネディ,再度来校〈⑤836-837〉
3・3上石神井の高等学院の第1期増築工事として3階建校舎竣工〈⑤157〉
4・1教育学部教育学科に体育学専修を増設,また理学科(数学専修・生物学専修・地学専修)を新設〈⑤289-290〉,加えて,従来教育学部卒業生にはすべて文学士の称号が与えられてきたが,教育学科卒業生には教育学士,理学科卒業生には理学士の称号付与を昭和39年度入学者より適用〈記要19・120-121〉
4・1従来,大学院学生は入学時点で修士課程を経ずに博士課程を選択することもでき,2本立てとなっていたが,この方式が廃止され,博士課程進学者は修士課程修了者に限定〈⑤294-295〉
4・1工業高等学校,生徒募集を停止〈⑤303〉
4・1夜間の各種学校として産業技術専修学校(校長木村幸一郎)開校,高等学校卒業以上を入学資格とする2年制本科(機械工作科,電気科,建築科,産業経営科)および本科卒業を入学資格とする6ヵ月制専修科を設置〈⑤303-304〉
4・1津田つねの寄附金を基に設定された津田奨学基金,支給を開始〈⑤221〉
4・1学生健康保険組合設立〈⑤770〉
4文化団体連合会に反発する76サークルがサークル連合を結成〈⑤821〉
5・25ソヴィエト社会主義共和国連邦第一副首相アナスタス・ミコヤン来校〈⑤706〉
6・18給与や労働条件をめぐる職員の苦情を処理するため,苦情処理委員会設置〈広報昭和39年6月27日号〉
7・6第二学部検討委員会(第2次),第二学部の廃止と新夜間学部の設立を骨子とする答申書を総長に提出〈⑤263-265〉
7・14職域稲門会代表者会(職域校友代表者会の前身)発足〈⑤930〉
7・20カリフォルニア州立大学連盟(CSC)と学生交流計画協定調印〈⑤118〉
8・24国際部,五大湖私立大学連盟(GLCA)との第1回交換教員を派遣〈⑤117〉
9・1国際部,日本人学生を聴講生として受入開始〈⑤117〉
9・15評議員会,第二学部廃止・新夜間学部設立を決定〈⑤265-266〉
10・9上石神井の高等学院に体育館を新築するため解体した木造校舎の東伏見運動場への移築が完了し,合宿所「稲西寮」として使用〈⑤158〉
10・10-24第18回オリンピック(東京大会)が開催され,記念会堂がフェンシング競技の会場となる〈⑤195〉
11・3尾崎士郎,文化功労者受章〈⑤944〉
11・12「名誉教職員規程」を改正し,名誉教授の資格要件として教授在職20年以上と定める〈⑤215〉
12・15山吹町および鶴巻町の学苑所有地と交換して正門前の土地221坪を取得〈⑤206-207〉
12・15評議員会,学徒錬成部跡地の売却代金で東伏見運動場の東南の土地3,615坪の購入を決定〈⑤158-159〉