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法人略史および歴代役員

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六 理事会の権限強化

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 新制大学が軌道に乗り始めた二十七年に、校規の部分修正の議が出された。これは教職員や学生・生徒数の増加に端的に現れた学苑の膨張に対応し、理事の負担を軽減すべくその増員を企図したものであったが、評議員会の重たい腰を漸く上げさせ、翌二十八年に校規改正が実現し、二十九年に施行された。このたびの改正では、これまで三年であった総長と理事の任期が四年に延長され、監事の任期は逆に二年に短縮された。総長以外の理事六名は二名増員されて八名となり、「学部長及び学校長のうちから」の二名を「教職員のうちから」の三名に、「評議員(学部長及び学校長である者を除く)のうちから」の二名を「教職員でない評議員のうちから」の二名に、「総長の推薦する者のうちから」の二名を三名にして、選任の基盤を拡げた。従来の「評議員会の承認を経て……嘱任することができる」常務理事は常任理事に名称を改め、総長が独自に嘱任できることとなった。一方、評議員の定員は十二名増員されて五十七名となった。職務上の評議員に新たに総長が加わり、学内商議員十名が各学部教授会選出の教員十一名と主事会選出の職員である商議員二名に置き換えられた。学外商議員のうちから互選される十五名は十八名に、評議員会が学外校友のうちから推薦する五名は十名になり、学外評議員は都合八名増員されたことになる。彼此併せて見るならば、教職員の意見が直接評議員会に反映させられるようになったと同時に、評議員会に占める学外者の比重が四四パーセント余りから四八パーセント余りへと増している。

 なお、この時に改正された「総長選挙規則」で総長選挙人が大幅に増員され、学外者と学内者との比率が一対二から二対三となった。ここでも学外の占める比重が拡大したのである。

 その後も学苑は膨張し続け、とりわけ理事者の業務をきわめて繁忙なものとした。理事会の権限と機能を強化することが早晩必要となっていたところ、評議員会からの持ち掛けを契機として三十七年、理事の増員をはじめとする校規改正が実現した。

 新校規では、これまで総長を含めて九名以内であった理事が十一名以内に改められ、その位置づけに関して「法人の業務を執行し」とあったのを「法人の業務の執行を決定し」として、理事会の決裁機能を明文化した。理事の選任区分にあった、それぞれの人数制限は、欠員の補充を容易にするために撤廃され、その代りに、学外校友から選任する理事は「三人を下ってはならない」こととされた。「一人又は数人」を嘱任することができる常任理事は、「常任理事若干人を定める」との明文を持つ必置機関になった。その分掌する業務の範囲は総長が定め、常任理事でない理事にも法人業務の一部を担当させることができるようになった。総長職務の代理者は、「あらかじめ総長の指名する理事」とだけあった規定を「総長があらかじめ定めた順位に従い」常任理事が行うものと改められた。

 このように、今回の校規改正は理事の増員と理事会の権能強化を主眼とするもので、それ以外については職務上の評議員に図書館長が加えられ、評議員会の欠員補充が学外評議員に五分の一以上の欠員が生じた場合に限られることとされたに止まった。ただし、改正に際して考慮された総長の諮問機関としての顧問の創設が「名誉評議員規則」として結実し、「本大学の特別の功労者又は特別の縁故者」を以て名誉評議員として委嘱する制度が新設されたことを付け加えておく。

 昭和四十年代は、学苑のみならず全国の主だった大学が学園紛争の嵐に巻き込まれた。その過程で大学の自治や大学運営の民主化に関わる議論も展開され、学苑ではかかる議論への対応の一環として、四十四年九月に大学問題研究会を設けて議論の場を提供した。その前年に評議員会は校規および同付属規則改正案起草委員会を設置し、「大学全体の管理運営とその組織機構」を研究テーマとする大学問題研究会の第二研究部会から研究成果の提供を受けつつ、校規その他の改正作業を進めた。

 その結果、校規に先んじて四十五年七月に、改正「総長選挙規則」の施行が実現した。新制度では、総長選挙が候補者の選挙、学生による信認投票、決定選挙の三段階方式になり、学生が参加する過程が加わったほか立候補制度が採用された。選挙管理委員会の作成・配付する候補者の略歴と業績書が、選挙人に客観的な判断材料を提供することとなった。候補者選挙に学外商議員は参加せず、教職員のほぼ全員と学外評議員全員との約千七百名が直接選挙でこれを選出し、学生の信認投票を経て、学外商議員全員を含む九百八十三名に上る選挙人による決定選挙で総長が選ばれる。学苑の頂点人事はこれにより、学内の広汎な支持によって推戴されるという、これまで以上に民主的で透明度の高い手続を踏んで行われることになった。

 校規の改正はこれに遅れ、新校規が施行されたのは四十九年四月となった。このたびの改正では先ず総長の三選を禁止する規定が盛り込まれ、総長の任期を最長八年とした。理事の定員は一名増えて十二名とされ、教職員八名、学外校友三名とする選任区分が復活された。これまで評議員会における理事の選任は無記名投票によることを規定の上では原則としていたが、新校規では選考委員会による推薦制に改められた。慣例化していた選考方式を明文化したのである。評議員に限定されていた監事の資格用件は廃され、これも異議がない限り選考委員会方式により学外校友から適任者が選ばれることになった。

 評議員の定数については、とりわけ従来学内評議員と同数であった学外評議員の定数をめぐって論議を呼んだが、結局総定数は六十五名、うち学内者は三十五名、学外者は三十名に落着した。また評議員会の議決事項の一部が理事会に委譲された。すなわち、理事会の議決を以て行うことができる改正につき、旧校規には「学科配当の一部変更、事務機構の改革その他呼称の変更等に伴う規則の軽微な改正」とあったのが、新校規では「専修、専攻等教学組織の部分的変更、事務機構の一部改革、その他規則の軽微な改正」と改められたのである。規約の制定が、「規則」は評議員会、「規程」は理事会、「細則」は各箇所で定めることはほぼ従来通りであるが、新校規では「規程」を「この法人の運営に関するその他の事項について」の規約であることを明記し、これにより理事会の権限はより大きなものとなった。

 なお、この時に「商議員会規則」も改正された。改正規則では初めて商議員の定数が六百二十七名以内と定められ、選出区分が「評議員会において、教職員でないこの法人関係者のうちから商議員として推薦された者」五十名以内、教職員から二百二十七名以内、学外校友から三百五十名以内となった。第一区分の商議員は、定年退職した教員がその多くを占めることになる。また、四十九年十月に「賛助商議員規則」が制定・施行され、商議員を通算十年以上勤めた者を中心に名誉的な礼遇が与えられることになった。

 昭和五十年代、学苑は総力を注いで創立百周年記念事業を遂行した。学内外の協力を仰ぎながらこれを主体的に推進したのは理事会であり、この過程を通じて理事会の実質的な権限は大いに強化された。評議員会は「私立学校法」上も校規上も学苑の最高議決機関であるという形式を保ちながら、次第に理事会の業務執行を後見する機関としての性格を濃厚にしていくことになったのである。