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『早稲田大学百年史』の完結にあたって

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 四半世紀にわたる大事業であった『早稲田大学百年史』(本史五巻・別巻二巻)がようやく完結した。まずは、執筆にかかわった多くの教職員の皆様のご努力に対し、心から感謝の意を表したい。

 百年という期間は、人類の歴史からすれば、ほんの一瞬でしかない。しかし、現に早稲田大学にかかわっているすべての教職員・学生・校友にとっては、それはほとんど神代の昔にも近い、神秘な霧の彼方の話である。これまで、本学でも、大学史は何度か試みられてはいるが、本史ほど本格的で詳細な「正史」は初めてであり、以後、本大学史の研究はすべて本史から出発することになろう。そして、また、本学の「建学の理念」あるいは「建学者の理想」もまた、本史の行間から汲みとられるべきものであろう。

 残念ながら、近年、本学の歴史についての「語り部」が急速にいなくなってきている。「歴史をつくるのは、記録ではなくて記憶だ」(五木寛之)とか、また、「事実は人を動かさないが、虚構は人を動かす」(山本七平)とかいわれるように、どんなに立派な正史を編もうとも、それが読まれ、それが語り継がれなければ、せっかくの努力も報われるところは少ない。この機会に、私たちは、本史の刊行を、本学百年の歴史を回顧し、先哲の苦闘の跡を偲び、その高い志を承け継いでいく決意を新たにする契機としたいと思う。

 もとより、早稲田大学の歴史は、本史に叙述されたところで尽きるわけではない。本学の真の歴史は、四六万人にも及ぶ卒業生一人ひとりのドラマの総和である。また、「すべての歴史は現在の歴史である」(クローチェ)から、本学の歴史は、私たち一人ひとりの生きざまにもつながっている。過去は過去、現在は現在というような断絶から、新しい創造の芽が生ずることはない。「創造は伝統の継承から始まる」のだということを、本史は自ずと示しているように思う。

 本学の百年の歴史は、一貫して、「志は高く、頭は低く」というキャンパスの精神的土壌を形成してきている。建学の父大隈重信の「高い目線」と、母小野梓の「低い目線」の交錯が、こうした独自の伝統を生み出したものであろう。そこに本学のアイデンティティがあるとすれば、私たちもまたそのような目線を堅持し、それを教育と研究に反映させる努力をしなければなるまい。このことは、早稲田大学がアカデミー(学問の府)としての内実を構築しなければならないことを意味するものであるが、それは、同時に、アルマ・マーテル(母校)として、つまり、「心のふるさと」を共有するワセダ共同体として、校友が誇りとすることのできる社会的実体をつくりあげることでもある。先人の期待に応え、先人の夢を実現してこそ、私たちも本学の歴史を担う責務の一端をはたすことができるといわねばならない。

 本史全編は、いわば、建学の理念の形成とそれを実現するために闘った先哲たちの記録である。私たちは、この記録を読み、その背後にある先哲の苦闘に想いをいたすとき、思わず粛然衿を正し、先哲への思慕の念をいよいよ強めることであろう。願わくば、本史が本学の第二世紀への導きの星とならんことを!

一九九六年一二月二三日

早稲田大学総長 奥島孝康