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第三編 付属機関

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第八章 語学教育研究所

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一 語学教育研究所の沿革

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 語学教育研究所は、その前身である語学教育研究室を母体に、昭和三十七年十月、早稲田大学の付属機関として設立されたが、そこに至る経緯は次の如くである。

 昭和三十二年一月に、「語学教育研究委員会」というものが学内に設けられた。これは昭和二十四年に新制大学となった早稲田大学の外国語教育の問題を討議するために設けられた全学的な委員会で、六系統学部(一・二政、一・二法、一・二文、教、一・二商、理)の外国語担当専任教員の中から選出された十八名の委員によって構成された(委員長文学部渡鶴一教授(英語))。同委員会は翌三十三年三月、「語学教育研究委員会報告」を総長(大浜信泉)のもとに提出した。そこには、外国語教育のための具体案が九項目に亘って示されているが、その第六項「教授陣の充実」に関連するものとして添えられた別紙には「外国語教育研究所の設置について」とあり、これが本研究所設置の素案となったものである。簡単なものなので、今、その全文を示すと左の通りである。

外国語教育研究所の設置について

研究設備を充実して語学教育担任者の研究に資すると共に、将来の教授者を養成するために、外国語教育研究所を設けることが最も適当であると考えられる。この輪郭を次の如きものとする。

一、目的 早稲田大学における外国語教育の充実向上

二、事業

○外国語並びに外国語教育の綜合的研究

○外国語教授法の研究

○外国語教育に関する調査

○外国語教育資料の蒐集

○教材の研究

○教育設備及器具の実験

○研究員の海外派遣

○外国人講師の招聘

○機関誌著作物の刊行

○外国語教授者の養成

三、組織

○所長

○研究所員 若干名

現職教授、助教授中より嘱任

○研究員 若干名

助手担当の身分とし、学部の推薦により研究所側が受け入れる。

 ところで、前記報告書の第九条には、「語学委員会の存置」という項目があって、語学教育研究委員会はそのまま存続した。ただし、委員長には渡教授に代って文学部の川本茂雄教授(言語学・フランス語学)が当り、研究所設置の実現に努めた。その結果、三十四年七月に先ず教務部内に語学教育研究室が設けられ、場所も文科系大学院(現七号館)三階三二六号室に定められた。川本茂雄教授を室長とし、事務主任一名、助手一名をスタッフとする発足であった。また同年十一月には「語学教育研究室規程」も制定され第一章総則第一条に研究所の目的を、

本大学に、主要な外国語につき、言語学的研究および教授方法の科学的研究を推進し、語学教育の改善に資する目的をもって、語学教育研究室をおく

と掲げ、第三条に研究室の事業として次の八項目を掲げている。

1 語学教育に関する研究、調査および研究成果の発表

2 語学教育者の養成および研修

3 語学教育に関する資料の蒐集、保管および貸出

4 語学教育に必要な視聴覚教育器具・資料の整備・保管および貸出

5 語学教育のための教材の作成および貸出

6 留日外国人のための日本語教育

7 研究会、講演会、講習会等の開催

8 その他この研究室の目的達成に必要な事項

 ここで、前記委員会報告と異なって注目すべきことは、第六項に「留日外国人のための日本語教育」という一項が加わり、そのため従来の「外国語」という言葉が「語学」という表現に置きかえられていることであろう。このことは外国語教育と日本語教育を併せて語学教育と見なすことを示すもので、本研究所のそうした基本的性格はこの時点で定まったと言えよう。なお、右規程には、研究員を常任(任期二年)と臨時の二種とし、別に前者の中から、重要な語学につき主任研究員を指名することができるとしているが、実際には常任研究員七名が嘱任されただけであった。

 昭和三十七年十月、研究室は教務部から独立して、研究所となり、同時に「早稲田大学語学教育研究所規則」も制定された(初代所長には室長であった川本教授が改めて選出された)。

 研究所になって従来と異なったのは、所長を補佐する教務主任(文学部宮田斉教授)が置かれたこと、管理委員会が設けられたこと、研究員が専任・兼任(任期二年)の二種とされたこと、などであろう。

 管理委員会は学部教授会に相当するものであるが、その構成は、⑴専任研究員、⑵各系統学部から選出された各三人、⑶兼任研究員の中から選ばれた若干人、および所長・教務主任(以上いずれも教授)から成ることとされており、全学的な組織となっている。このうち、各系統学部選出の委員は、本研究所の生みの親となった前記の「語学教育研究委員会」が発展的な形で引き継がれたものと言えよう。

 ただし、発足時においては、研究所の専任者に教授はまだおらず、管理委員は学部選出の十八人と兼任研究員の十人は勿論、所長・教務主任をも含めてすべて学内他箇所本属の教授であったから、研究所の管理運営は全く他動的なものであった。現在管理委員五十二名中研究所本属者二十一名(但し、うち六名は助教授、後に述べるように現在は助教授も管理委員となり得る)という状態は、当時と比べまさに隔世の感があると言えよう。

 しかし、翌三十八年四月には一度に専任講師六名の発令を見、事務職員も三名から六名へと倍増されるとともに、施設の拡充も計られて、十二月には教務・事務関係の部屋が三階から五階に移り、プレハブ三教室が生産研究所から移管されて、漸く研究所らしい体裁を整えるに至った(この間十一月には所長も文学部の宮田斉教授(英語学)に代っている)。

 昭和四十二年四月には本研究所の本属者の中から初めて教授(木村宗男氏)・助教授(永保澄雄氏)が誕生、事務所も改組されて新たに日本語教室の専任者が一名増員された。

 昭和四十三年には助教授が一名から一挙に五名となったほか、事務所も前年度より更に二名増えるなど一層充実した体制となった(また、この年、所長は理工学部の中村浩三教授(ドイツ語)に代った)。

 昭和四十四年から四十五年にかけては施設の面で大きな変化があった。すなわち、四十四年三月には日本語教室が四階に移り、翌四十五年六月には研究室や教務・事務関係の部屋も同じ階に移動、研究所の大方の部分が四階に集中して今日に近い形となった。

 昭和四十六年四月には事務職員の定員増加(十名から十四名へ)があり、四十七年十月には研究所規則のうち、管理委員の定足数が過半数から三分の一に改められた。

 昭和四十八年六月には録音スタジオ・LL教室が五階に新設されて視聴覚関係は五階に集まり、本研究所の施設は四階および五階の二箇所に固まって現在の形が整った。

 昭和四十九年には事務所の組織替えが行われて、日本語教室係が廃止された。また所長は理工学部の森常治教授(英語)に代った。

 昭和五十一年四月には研究所規則の第二章・第三章の一部が改められ、従来管理委員の中から選出されることとなっていた所長は広く学内の教授の中から選ばれるようになり、教務主任の嘱任も管理委員であることを条件としないこととなった。また、管理委員は教授からだけではなく、助教授をも含めて選ぶことができるようになった。なお、この年所長には文学部(後理工学部)の伊東英教授(フランス語)が就任した。

 昭和五十二年十二月、専任人事(新任・昇格等)についての審議機関として人事委員会が設置された。

 昭和五十三年十一月、初めて日本語畠から文学部の辻村敏樹教授が所長に選ばれ、翌五十四年五月には日本語教育主任が置かれ、初代主任に武部良明教授が就任した。

 昭和五十五年十一月、理工学部の伊東英教授が再び所長に就任した。

 近年国際間の文化交流はとみに盛んになりつつあるが、そうした時代背景の中における外国語教育の重要性は今更ここに喋々するまでもない。一方、国際社会の中における日本の地位の向上とともに国の内外における日本語教育も年々盛んになってきている。こうした世界の趨勢を考える時、本研究所の使命はますます重要性を増すものと思われる。研究所設置当時に比べ、そのスタッフはかなり充実してきたし、施設も段々整備されてきてはいるが、右のような情勢に対応して行くためには、まだまだ不十分なものと言わなければならない。その飛躍的発展が望まれる所以である。

二 外国語教育

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 語学教育研究所の教育活動は、その前身である語学教育研究室以来、語学力の向上を目指して開講されてきた種々の講座、また語学教育向上のための重要な問題を扱った諸種の講演会、更に効果的な語学教育推進のために作成されてきた各種の教材にみられる。

 講座の最初は、昭和三十四年十月から開始された放送講座で、英(イギリス、アメリカ)、スペイン、中国、ドイツ、ロシア、各語のレコード、それに加えて映画のサウンド・トラックを、一教室に備えたスピーカーを通じて流し、学生に外国語の聴取力を伸ばす機会を与えた。その後、語学教育での視聴覚的手法の適用の重要性が認められるようになったことを考えると、この放送講座は時代の先端をいく意義深いものである。テキストをスライド化し、スクリーンに映し出すこともこの時試みられた。また講座実施中に、テキストに頼らぬ者が増加したことも後の視聴覚教育に大きな示唆を与えた。

 昭和三十五年に、教職員・学生を対象とするポルトガル語特修講座、フランス語教員のための仏語学特別講座、英、中国、ドイツ、フランス、ロシア各語の夏季特修語学講座、イタリア語特修講座が設置された。これらの講座が母体となって後の体系的な講座へと発展していくのである。また、これらの講座を通じて、テープおよびレコードの活用による発音の著しい進歩が報告されていることも見逃せない重要な事実である。この年の夏季特修語学講座には、学生三百五十名の申し込み中聴講を許可された百七十名が参加した。二十日間の受講後、百一名が合格判定され、履修証明書を受けている。単位取得に関係なく、聴講料を払ってまで自分の語学力を向上させようと望む学生のための講座の基礎がこの時から形成されたと言えよう。また今日の日本人講師とネイティブ・スピーカーが組となって指導に当るという授業形態の原型もこの時に作られたと言えよう。

 比較的初歩の発音指導に重点を置いたスペイン、中国、ロシア、ドイツ、フランス各語の教材は、この年に刊行されたが、これらは本大学の教員多数によって利用されたばかりでなく、他大学でも使用された。また、それらをネイティブ・スピーカーの吹き込みで録音テープに収め、学生の要求に応じて複製するサービスも同年に始まった。

 昭和三十六年、現在の会話講座の原形と言える英、スペイン、中国、ドイツ、フランス、ロシア各語の会話講座が新設され、同時に現在の特設コースの原形である朝鮮、インドネシア各語の特殊語学講座も開設された。小人数制を建前とする三十人定員もこの頃から打ち出されている。この年に、中・高英語科教員を対象とする英語指導法に関する第一回英語講習会が開催され、以後毎年夏季に四十一年を除き四十三年まで、第七回を数えるまで実施された。これは、Aural-Oral ApproachおよびLanguage Laboratory(LL)の理論、その効果的な使用に重点を置いたもので、全国各地からの教員が受講したこと、この後同種の講習会が続々と開催されたことを考えると、非常に意義深い活動であったと言える。

 この年外国語学習に関する講演会が開かれ、以後殆ど毎年のように、内外の著名な学者、研究者を招いて語学教育、言語に関する講演会を開催し、語学教育の啓蒙活動を続けた。

 研究所になった昭和三十七年には、十六ブースのLLが設置され、種々の講座に利用されるようになった。これに伴い、ソフト・ウェアであるLL用教材がその後、英、ドイツ、フランス各語について出版された。

 昭和三十七年から、三十九年にかけて、需要に応じ得るよう講座のクラス数を新・増設し、三十九年には、特修語学講座六講座二十クラス、特殊語学講座六講座九クラスと規模が大きくなった。特にこの年の新たな活動として、学生のための外国語辞書と語学テープの展示会を開き、学生の好評を博した。また、語学の適切な学習を訴えるため、各国語の挨拶表現を入れた小冊子(ソノシートつき)を作って、学生に配布した。以後四十二年まで毎年学期初めに同様な展示会を開催するようになった。

 昭和四十年度には、語学教育研究所専任の研究員が初めてドイツ語、イタリア語の講座を担当することになった。ネイティブ・スピーカーと組んで、学習事項の徹底化を図る授業形態が以後確立される。この年の九月から、ベトナム語が特別講座に加えられた。この頃から講座の名称も、語学特修講座(会話)、特殊語学講座と統一され、その他の講座は特別講座とされた。

 昭和四十一年度には、三十五年度から開催してきた夏季特別講座を講師の都合上中止した。恒例となった辞書展では、英、ドイツ、フランス、スペイン、ロシア、中国各語の担当の専任の執筆による「辞書の手引」を配布し、辞書の正しい使用を説いた。

 昭和四十二年度からは、四十七年度に総合講座が新設されるまで、四十五年度の語学講座七講座五十五クラスを最高に講座の充実が図られた。教員・助手対象語学特別講座は、中国現代語、朝鮮語、ベトナム語に絞られて実施されるようになった。また、かねてから要望があったネイティブ・スピーカーによる教員対象の英、ドイツ、フランス各語に対するコンサルティングの時間が設けられ、教員の持つ語学問題の解消に役立つよう便宜が図られるようになった。夏季には、語学講座を復活し、英語三クラス、ドイツ語、フランス語各一クラスを置いたが学外からの参加も含めて九十七名が受講した。この年には、英語のLL教材が刊行され、四十三年度の学期から使用されることになる。

 昭和四十三年度には、特殊語学講座に新たにポーランド語が設置された。夏季語学講座には百二十一名の受講者をみた。第七回英語講習会への参加者は三十九名であった。

 昭和四十四年度の語学講座には、英語の初・中級終了者のために、それぞれ中・上級を増設した。ドイツ語についても初級一クラスを増設した。この年の大きな変化は、演習講座の名称で特定の語学能力に重点を置く講座として、英語二クラス、フランス語一クラス、ロシア語一クラスを新設したことである。また、語学特別講座に、教員からの要請に基づき、古典ヘブライ語を新設した。夏季語学講座は英語・ドイツ語二クラスについて実施した。この年の九月に、フランス語発音についての講習会を五日間に亘って開催し、五十名の参加者をみるほど盛況であった。

 昭和四十五年度には、特殊語学講座ベトナム語の中級を設け、初級終了者の需要に応えるようにした。また演習講座に、ドイツ語、中国語の二クラスを新設した。夏季語学講座も例年通り行われ、九十八名の受講者があった。語研選書としてこの年に出版した『日本語二千文』は、後の『フランス語二千文二種調査対照表』(昭和五十三年発行)と併せて、対照言語学の研究者にとって大きく貢献するものとなった。教育活動が浸透するにつれて、テープの複製需要は、昭和四十三年から徐々に増加がみられていたが、この年は千百八十六件にも上った。

 昭和四十六年度には、語学講座に中国語中級一クラスを新設した。演習講座にも兼担研究員の協力が得られ、英語四クラス、ドイツ語二クラス、フランス語二クラス、ロシア語一クラスを新設した。こうして大学の外国語教育の向上を目指す努力が更になされた。語学講座の定員千三百五十名のところ千百八十六名、特殊語講座四百名のところ二百二十五名、演習講座二百十二名のところ百五十九名の受講者をみた。夏季語学講座は、担当講師の都合によりこの年は中止された。恒例となっていた英語講習会についても、同種の講習会と比較して設備の点で問題のあること、内容が時代の要求と即応しなくなったとの判断から中止となった。新たに教職員対象の英語研修講座を開講し、二十四名の参加者をみた。

 昭和四十七年度は、演習講座の充実が更に図られ、中国語、イタリア語各一クラスを新設、ロシア語二クラスを増設した。この年から語学教育そのものの見直しがなされ、語学の総合能力を増進するために、実験的に種々の研究成果を採り入れた総合講座を開設することになった。この講座の特徴は、学習の強化を図るために、一週二コマとし、従来から行われていた日本人教員とネイティブ・スピーカーの協力を更に密にするということである。こうして、英語四、ドイツ語初級二、中級一、上級一、スペイン語一、イタリア語二クラスを新設した。従って、従来のネイティブ・スピーカーによる会話中心の講座を会話講座とし、外国語を四技能に沿って総合的に指導していく総合講座と区別した。この年の定員に対する受講者率は、会話九一・三パーセント、演習八三・二パーセント、総合七五・六パーセント、特殊語五九・二パーセントであった。また、語学コンサルティングにロシア語が新たに加えられ、イタリア大使館からイタリア語寄付講座が提供された。なお、各語学講座は前年まで先着順で受講者を受け付けていたが、希望者に平等に機会を与えるため、この年度から抽せん制度を採用することにした。この年は語学教育研究所の創立十周年に当り、これを記念して八人の講師による講演会を四回に亘って開催し、語学学習のあり方などを学生に訴えた。

 昭和四十八年度には、作文、速読、講読、基礎力養成とそれぞれの語学学習の側面に重点を置く英、ドイツ、フランス、ロシア各語に加えて、日本語を新設した。定員五百七十名のところ三百三十八名の受講者があった。総合講座についても、イタリア、英、スペイン、中国、ドイツ、フランス、ロシア各語二十三クラス、定員六百九十名に対して、三百五十九名が受講した。この講座は語学によって学習人口が異るが、全般的に言えることは、英語、ドイツ語初級、中国語初級、フランス語初級に学生の大きな関心が向けられていることが分った。聞く、話す、読む、書くの四技能について基礎から徹底的に訓練をしていく指導法が大きくアピールしたものと思われる。特殊語講座には三百三十八名の受講者をみた。会話講座については、特に英語への希望者が圧倒的に多く、以前からの傾向であったが、受付後すぐに定員に達して締め切らなければならないという盛況であった。教職員対象の特別講座には、要請に基づいて、言語学、現代ギリシァ語、ドイツ語を新設した。LLを四十五年十月から自習用に学生に開放したが、この年週二十二時間開放したところ、イタリア、英、スペイン、中国、ドイツ、日本、フランス、ロシア各語について、延べ二千四百二十九名の利用者があった。

 昭和四十九年度に入って、総合講座は二年間の経験をふまえて、更に組織的な指導法による総合力増強の講座として前面に押し出された。演習講座についても更に強化される方向が打ち出される。受講者総数は二千百七十一名を数えた。学期中の学習に加えて、ドイツ語では初の試みとして、学習の強化を図る目的で夏季合宿を持ったが、初・中・上級の学生五十六名が参加し、大きな成果を挙げたことが報告された。これにならって後に、英語、フランス語、ロシア語の合宿訓練が実施されることになる。またこの年に、学生対象に言語、言語教育、文学および文化に対する知識の啓蒙を図るための「言語と文化」と題する専任研究員による公開講座を開催したことは、語学教育研究所教育活動として特記すべきことであろう。

 昭和五十年度から五十四年度にかけては、専任教員各自の研究の成果を反映させるべく、講座の充実に努力が重ねられる。指導法、語学教育の理念など、講座の指導から得られたものは、ILT Newsや『紀要』などに逐次発表してきている。そうした経験を土台に、五十四年度に講座の編成を再検討し、五十五年度からは新編成による講座を実施することとなった。この間、言語学、アイヌ語を演習講座として開講し、更に東南アジアの諸言語中、タイ、タガログ語、中近東のペルシァ語を新設した。

 昭和五十五年度の講座としては、一般、会話、特設各コースと三本の柱を立てた。一般コースには、次の五つの講座が含まれる。第一は、イタリア語、英語、スペイン語、中国語、朝鮮語、ドイツ語、フランス語、ロシア語について、テープ、スライド、フィルム等を一定の教科書と併用して、聞く・話す・読む・書くの四技能についての基礎能力から段階的に総合語学能力まで発展させるよう方向づけた講座である。第二は、イタリア語、英語、中国語、ドイツ語、フランス語、ロシア語についての読解力養成の講読および速読、また聴解・表現力を養う講座である。第三は、日本語を外国人に教えるための講座である。第四は、アイヌ、タイ、タガログ、ペルシァ、ルーマニア各語の基礎能力を養成する講座である。第五は、言語そのものの研究に資するためのゲルマン、ロマンス各言語学の講座である。これに、「語学教育の理論と手法」「言語と文学」の講座が加わる。会話コースはいわゆる会話中心のもので、英語、スペイン語、中国語、朝鮮語、ロシア語について設ける。特設コースは、主として学部に設置されていないアイスランド、アラビア、イタリア、インドネシア、朝鮮、デンマーク、ベトナム、ポーランド、ポルトガル各語の基礎から始める講座である。

 昭和五十六年度は、講座の構成を手直しし、外国語科目・関連科目に二大別した。外国語の一般・会話・特設コースを外国語科目とし、「言語と文学」「言語教育の理論と手法」「言語学」「外国人に対する日本語」の各科目を関連科目とした。「一般歴史言語学」、および「記述言語学」が言語学の中に新設された。

 昭和五十七年までには、教職員対象の講座等が整備され、特別講座に現代ロシア語、現代アイルランド語が加わり、語学研修講座は、昭和五十六年度にドイツ語一科目が増設され、続いて昭和五十七年度には英語が一科目増設され、教職員によって広く利用されるようになった。

 学部の授業ではカリキュラム等の関係で実施できない種々の試みが、研究員各自の研究成果を反映させながらなされ得ることから、語学教育面で語学教育研究所が担っている役割は大きい。講座の実施による教育活動は、今後日本の抱えている語学教育全般にどう寄与していくかに当然係わってくる。従って、これらの教育活動で得た成果を、逐次世に問うことによって語学教育研究所の持つ使命を果していかなければならない。

三 日本語教育

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 語学教育研究所の日本語教育は昭和三十七年に発足した。早稲田大学の日本語教育は、昭和二十九年以来、それまで教務部所管の補習授業という形で行われていた。教室は三号館の半地下室であった。それが、研究所への昇格を機会に語学教育研究所へ移管されたのであった。

 留学生の数は、昭和二十六年に早稲田大学留学生規定が制定されて以来、年ごとに増加してきていたが、語学教育研究所に移管された後、飛躍的に増加して現在に至っている。発足後五年間を数字で見ると次頁の表の通りである(担当教員数には非常勤も含む)。

 受講者の出身国は、当初は中国(台湾)が最も多く、そのほかは東南アジア諸国であったが、その後、韓国・香港、米国・欧州諸国・大洋州・中南米・中東・アフリカと、広く世界の各地域の諸国に及ぶようになった。

 受講生は初級・中級・上級に分けられるが、中・上級は理工系と人文社会系とに分けられ、中級は更に漢字常用者と非常用者とに分けられるというクラス編制は、発足当初から現在まで、基本的には変っていない。クラスの人数は原則として十五名以下に抑えられてきた。クラス編制は、毎年、入学試験の一部として教務部が実施する日本語学力検定試験(問題作成と採点は語学教育研究所日本語科が担当)の成績によって判定されるA・B・C・Dに基づいて行われる。A判定は学部・大学院での日本語の補習を要しないという水準、Bは週六時間の補習を必要とする者で上級、Cは週十二時間で中級、Dは週十八時間で初級とされる。発足当初は、B判定以下の者は入学後一ヵ年のみの日本語補習を義務づけることになっていたが、その後、日本語が第二外国語に振り替えられることになったので、学部在学生は二ヵ年継続して履修することになった。それに伴って、二年生のために上級として三コマを増設し、四十五年からは、更に大学院学生のために、別に六コマの授業を行うようになり、こうして、学部・大学院在学の留学生を対象に、週六十六時間の授業を行うようになった。

第八十二表 語学教育研究所外国人受講者受入状況(昭和三十七―四十一年度)

 昭和四十二年から、「早期来日者」を対象とする授業を行うようになった。これは、毎年六月に外国の高校または大学を卒業した者で、その翌年の四月に学部または大学院に入学することを認められた者を、本人の希望により九月に来日させて、翌年二月まで週十ないし二十時間の強化学習をさせるもので、半年の学習によって、入学後の日本語の負担を軽くする効果を挙げている。現在、十時間コース・二十時間コースとも二クラスずつ、計四クラスが設置されている。

 学部・大学院の留学生以外の外国人を対象とする「日本語専修コース」は、日本語教育の研究と実験を目的として、昭和三十八年に設けられて現在に至っている。四十年頃から、特に海外からの入学希望者が年々増加してきたので、定員を三十名に限定し、在学期間は二ヵ年と限るようになった。このコースも初級・中級・上級にクラスを分けて発足したが、入学希望者は年々増加し、その後、定員・クラス数ともそれに合せて拡大し、現在、前後期とも各四クラスが設けられている。

 教科書は、三十八年から作成に掛かり、暫定稿を使用しながら改訂を重ねて、四十二年に完成した語学教育研究所編『外国学生用日本語教科書』を初級・中級で使用し、上級は暫定的な教科書と一般図書を使用してきた。なお、授業には、三十七年から語学演習装置(LL)を使用するほか、四十一年からはビデオを活用するなど、早くから視聴覚教育を取り入れてきた。

 昭和三十九年に設けられた「日本語研修コース」は、外国人で日本語または日本語教育を専攻する者、あるいは、より深く日本語を学ぼうとする者を対象として、現在は二十四科のうち毎年十二科目を開講している。これは、大学院文学研究科への予備教育にも相当するもので、出身国の大学で日本語を専攻した者や外国の大学などで日本語を教えている来日研究員などに利用され、外国人日本語教員の養成や再教育に貢献してきた。

 昭和三十九年十月に、最初の文部省奨学金留学生、いわゆる国費留学生を受け入れた時、研修コースが開設されたのであるが、国費研究留学生はその後も継続して受け入れ、研修コース受講生のみでなく、上・中・初級の各段階、計十八名(五十七年度)を受け入れている。特に昭和五十七年度後期からは、日本語・日本文化研修留学生(国費外国人留学生として受け入れ――ただし学部コース)の制度も加わり、六名の学生を迎え入れた。また、四十六年からフランス政府派遣留学生を、毎年平均四名受け入れている。

 なお、昭和三十八年九月に開設された早稲田大学国際部の日本語授業も語学教育研究所が担当してきた。このことは、学内の日本語教育はすべて語学教育研究所が統括して行うという、大学の方針によるものである。国際部の授業は、学期制度が違い、学習目標も異なるので、語学教育研究所のものと異なる国際部独自のカリキュラム、クラス編制のためのテスト、時間割作成などを行わなければならないが、これも語学教育研究所日本語科が行ってきた。また、国際部を通じて早稲田大学が協定を結んでいる米国のアーラム大学その他の大学との教授交換制度により、これまでに専任教員四名が出張教授を行った。

 また、昭和四十八年度からは、日本人学生対象の「語研演習講座」(現在は「外国語講座」と改称)に日本語の科目が五科目加えられ、日本語科専任教員が各自一科目ずつを担当してきた。この講座は、日本語研究を志す者、または日本語教育に関心を持つ者を対象としている。現在、この講座を経て、日本語教育の道に進み、国内・国外で日本語教員として活躍している者もおり、日本語教員養成の役割も果してきた。

 昭和五十四年四月、大学院文学研究科日本文学専攻前期課程(修士課程)に現代日本語コースが新たに設置されたが、それへの協力として二名の専任教員が授業を兼担し、今日に及んでいる。このコースは特に外国人留学生の入学者が多く、海外の日本語教員・日本語研究者の養成に一役買っている。

 今日、世界各国で日本研究の機運が高まり、日本語学習の必要性も増大している。これに対応して、国内でも日本語教育の重要性が漸く認識されてきた。このような時、語学教育研究所としては、これまでの実践と研究の積み重ねを踏まえて、ますます日本語教育の充実と向上を図り、それによって、早稲田大学に寄せられる内外の期待に応えなければならないであろう。

四 各種外国語研究会の歩み

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 本研究所規則第二条に「この研究所は、主要な言語につき、言語学的研究および教育方法の科学的研究を基礎とし、語学教育の向上に資することを目的とする。」とあり、更に第三条第一項に「語学および語学教育に関する研究、調査ならびに研究成果の発表」、同第八項に「研究会、講演会、講習会の開催」とあるが、設立以来本研究所を拠りどころに、早くからそれぞれ発案者(専任研究員あるいは学内の教員)を中心として各種の研究会(輪読会などを主とする会も含まれる)が発足していった。外国語教授法研究会、関口文法研究会、西洋古典語研究会、印欧語研究会、ロマンス語研究会、三上文法研究会、言語理論研究会、言語学研究会、ドイツ語教授法研究会、北方言語・文化研究会、言語と文学理論研究会、認知学習理論研究会、ロシア語教授法研究会などである。以下各研究会の経緯と現在の活動状況を記しておくことにする。

 「外国語教授法研究会」は、専任研究員を中心に教授法に関する情報交換を目標として昭和四十二年十一月以来不定期に開かれてきたが、現在は「茶話会」の名称のもとに海外留学・研究の成果報告、実験授業のレポート、新しい文献の紹介などを行っている。

 「関口文法研究会」は昭和三十八年四月に発足。ドイツ語学界に多大な貢献をなした関口存男氏の大著『冠詞』の研究を目的としており、研究成果は要約論文の形で『紀要』に連載され、既に十九論文に及ぶ。

 「印欧語研究会」は、印欧語を対象とした共同研究会として昭和四十六年四月発足以来、W.Porzig,Die Gliede-rung des indogermanischen Sprachgebiete(『印欧語圏の言語分化』),1956を批判的に輪読(原則として隔週)、八年間で、昭和五十四年五月終了。現在はF.R.Adrados,Lingüistica indoeuropea(『印欧言語学』),Madrid,1975のなかの「音韻論」と取り組んでいる。参加者は七名。

 「ロマンス語研究会」は、ロマンス語の基礎的な共同研究を目的として昭和四十六年二月W.von Wartburg,Lafragmentation linguistque de la Romania(『ロマーニアの言語分化』),Strasbourg,1967をテキストとして発足以来数点の文献を検討してきたが、昭和五十三年度「指定課題研究助成費」を得て現在五名の研究員により、ロマンス諸言語の成立をテーマに、俗ラテン語の原典によりロマンス諸言語成立の過渡期における言語状態の分析を行っている。

 「ドイツ語教授法研究会」は、昭和四十二年に専任研究員の一人が西ドイツ・ゲーテ・インスティトゥートのSprachlehrer diplomを取得して帰ったことにより、ゲーテ・インスティトゥートが以後種々の教材(テープ、ビデオフィルムなど)を語研に無料提供ないし複製の便を図ってくれるようになったことを契機とする。本研究会はゲーテ・インスティトゥートの協力を得ながら教授法を研究することを目標としている。これまでに昭和四十九年度の学生に対するZertifikat受験指導を始め(このドイツ語資格試験の問題を分析・検討して語研講座の上級を終了した学生の指導に当ろうとした「Zertifikat研究会」も存在した)、昭和五十年度以降は「水曜討論会」などの活動を行ってきた。昭和五十一年度からは更に日本独文学会ドイツ語教育部会とも協力して「Minimalgrammatik選定作業」、「Landeskunde教授法」につき集中的に研究した。後者については昭和五十三年、前者については五十四年の学会でそれぞれ語研専任研究員が司会を行う形でのシンポジウムが開かれた。現在は当初からの「水曜研究会」のみが隔週水曜日にゲーテ・インスティトゥートで行われている。

 「ロシア語教授法研究会」は、昭和五十三年新しい教授法による語研独特のロシア語教科書を作成するために生れたもので、五十四年に「語研ロシア語教科書(1)」をタイプ印刷で出版、現在その改訂の仕事を進めている。参加者は三名。

 「北方言語・文化研究会」は、アイヌ、ギリャーク、シベリアの諸民族、エスキモーなどのいわゆる北方少数民族、およびそれと隣接し影響し合っている諸民族の、言語・文化の研究に従事する人々の、情報交換とそれに基づく視野の広い研究の進展を目的とする。昭和五十二年四月発足。月例会の開催を特色としている。参加者約十名。

 「言語と文学理論研究会」は、英語で書かれたり、英訳された比較的新しい、文学と言語を巡る理論書を、月に一度読んで議論する研究会としてスタートした。昭和五十一年春発足以来、毎月一冊ずつ、T.L.S.やBritish Book Newsに出た新しい理論書を広く読み、約数十冊を討議した。その成果は昭和五十五年、開講の講座「言語と文学」で発表された。また、昭和五十五年度から、読了したテキストのうち、優れたものや、現代的問題を含むものの書評を公表することになった。現在参加者十八名である。

 「認知学習理論と言語教育研究会」は昭和五十一年度指定課題研究助成費による研究会である。これは認知学習理論が言語教育に如何にして適用され得るか、また適用によって言語教育の向上がどの程度望めるものであるかを研究している研究会である。大体週一回集会を持ち、昭和五十五年一月現在までに内外の諸文献の主要なものについて研究し、目下各自の執筆計画の報告に入っている。研究終了に伴い、昭和五十六年度には論文集を刊行する予定である。

 以上のほか、現在は活動していないが次のような研究会が存在した。

 「西洋古典語研究会」は、昭和四十三年から約三年間、本研究所が所蔵するギリシァ・ラテン語を中心とする西洋古典学関係の学術誌を活用しながら、ギリシァ・ラテン語の教授方法、教材の検討・作成などを目標としたもの、「三上文法研究会」は昭和四十八年から約三年間、三上章の先駆的日本文法学説の継承発展と関連学説の研究を目的としたものであった。「言語学研究会」は、昭和四十九年三月十一日に発足、約二年間N.S.Trubetzkoy, Principlesof Phonologyを輪読しながら検討し、これと並んで「言語理論研究会」は、昭和五十年度に重要な文献の検討を目的として、N.Chomsky,Deep Structure,Sunface Structure and Semantic Interpretationを採り上げた。

五 日本語研究活動

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 日本語に関する研究は、外国人留学生に対する日本語教育が語学教育研究所の所管となってから急速に進められた。その基礎となった考え方は、大学の機関として正式に日本語教育を行う以上、独自の学問的研究に基づく教授法とそれを実施するための教科書を持つべきだということであった。日本語教育が語学教育研究所の事業の一部となったことは、担当する専任教員にとっても、このような研究を進める上で、きわめて好都合であった。

 こうして、昭和三十八年から、まず、教材作成のための基礎調査として、基本文型と基本語彙の調査が取り上げられるとともに内外日本語教材の収集が行われた。そうして、翌三十九年四月から初級および中級教科書の編修が行われた。最初の学期は作りながら教えるという形で、授業の進展に合せて進み、この年度の終りに初級・中級各教科書の第一次草案とそれぞれの単語帳がまとめられた。このうち初級教科書は、その課で扱う基本文型に合せて基本語彙を自由に挿し替え、文型練習が行えるよう図示した画期的な教科書で、以後、日本語教育界における教科書の編修様式に先鞭をつけたと言ってよかろう。後年(昭和四十二年五月)この教科書は活字化され広く内外に紹介されるに至って教育界の注目を浴びるに至った。初級・中級教科書とも単語帳に英語訳と中国語訳を伴せ掲げたが、これは、早稲田に学ぶ留学生の実情から見て必要なことであった。なお、この中国語訳に関連し、日中両国語における漢字語彙の異同が検討され後に文化庁の委嘱研究へと発展して独自の成果を生むに至るのである。更に、教科書の方は、初級・中級・上級の各教科書と必要な付属教材(視聴覚教材を含む)が次々と整えられていったことは後の年表に見る通りである。なお、教育史の稿でも触れたように、語学教育研究所は国際部に学ぶ外国人学生のための日本語教育も担当し、そのための教育計画・教材研究も行ってきたが、語学教育研究所に学ぶ一般の留学生とは異なる国際部学生に適した教科書も併せ開発し、刊行してきた。これらの教材類は、語学教育研究所の日本語教育に用いられるだけでなく、広く他の日本語教育機関でも採用するところが増えている。

 一方、このようにして行われた基礎的な研究と実際への応用については、それを公開すべきだとの論が持ち上がった。そこで、昭和三十九年の八月に六日間の日本語教育講習会を催したところ、受講者も六十三名に及び、予期以上の成果を収めることができた。この講習会は毎年夏に開催し、四回をもって完結させることを目標としていたが、次次と問題点が採り上げられたため、当初の予定を変更せざるを得なくなった。そこで、第五回(昭和四十三年)からは名称を日本語教育公開講座と改め、毎年それぞれの講師の研究発表を兼ねた形へと進んでいる。また、各回の内容はそのつど講座日本語教育として刊行されているが、このほうも昭和四十年(前年の講師陣によるもの)の第一分冊に始まり、既に十八分冊(昭和五十六年の講師陣によるもの)に及んでいる。ここに収められた総論文数は一五四点である。これらの諸研究が日本語教育界に果した役割は量り知れない。日本語教員を目指す者、教育に従事する者の必読書となっている。

 なお、この公開講座に関連し、受講修了者の要望に応え、日本語教育研究会も行われるようになった。この方は実際的指導方法の研究を目的に曜日を決めて午後六時から行われ、昭和四十一年十一月に始まる第一期から昭和四十七年の十八期まで続けられた。この間、第十五期からは名称を日本語教育セミナーと改めたが、これが昭和四十八年度から在学生を対象とする日本語演習講座へと発展し更に外国語講座「日本語」と名を改めて今日に至っている。なお、昭和五十三年度からは語学教育研究所の研究会活動の一つとして新たに日本語教育研究会を発足させたが、この方は毎月一回定例的に研究発表等を行っている。

 ところで、日本語の研究としては、各専任教員がそれぞれの専門について行うもののほか、継続的な共同研究として、次のようなものが行われている。

⑴ 外国人用日本語教科書作成のための基礎的調査研究。内外の教科書類を収集調査するとともに語彙・文法・表記・音声などの各面から日本語の基礎的な研究を続け、独自の立場で行う教科書等の編修に役立てている。その成果は既発行の教科書、副教材として結晶している。また、特に理工系を志願する留学生に必要な基本語を調査し、「外国学生用日本語教材――物理・化学――用語集Lとして世に問うた(昭和四十五年)。

⑵ 日本語学力試験答案の調査および試験問題の研究。毎年行われる入試時の日本語学力検定試験(語研出題・教務部施行)の答案を調査して出題の適否を検討するとともに、授業と次年度の問題作成に役立てている。これは後の⑹で述べる委託研究と併せて、他機関では全く手のつけられていない特記すべきものである。この研究結果に基づく毎年の出題内容は『日本語学力検定試験問題集』⑴⑵として世に問う形で公刊され、日本で大学・大学院に学ぶ外国人留学生に必要な日本語能力の水準と内容に関する重要な資料として内外に利用されている。

また、特に研究費の交付を受けた共同研究として、次のようなものがある。

⑴ 日本語教育資料の調査研究ならびに教材の作成およびその教授方法の研究(昭和四十一年度・大学指定課題研究)。内外の日本語教育で効果を上げている日本語教材を分析し、併せてそれぞれの母国語と日本語との対応などについても検討した。

⑵ 日本語教育のための同義語・類義語の調査ならびに研究(昭和四十三年度・四十四年度・大学指定課題研究)。日本語の同義語・類義語一九五六語を対象に国語辞書・対訳辞書の解説をカード化し、それぞれの語の意味・用法上の微妙な相違点を日本語教育の立場から検討した。

⑶ 英語を母国語とする学習者のための教材研究(昭和五十年度・大学指定課題研究)。英語国民を対象とする国際部の日本語教育に必要な補助教材を検討し、初級段階の視聴覚教材・漢字カード・練習問題集等を作成した。

⑷ 日本語と中国語との言語構造の対照研究(昭和四十九年度・五十年度文化庁委託研究)。日中両国語における漢字語彙の対応関係を同表記語と類義語の二つの分野で収集検討した。このうち音読漢字表記語(約二千語)についてまとめた分が『中国語と対応する漢語』(日本語教育研究資料)として文化庁から刊行された。

⑸ 日本語教育の方法および教材の開発改善に関する実際的研究(昭和五十三年度・五十四年度科学研究費補助金特定研究)。大阪外国語大学を中心とする共同研究のうち中国語部門を担当した。このうち音読漢字表記語(初級用六百語・中級用千二百語)を補助教材としてまとめたのが「日本語教育教材(母語別)シリーズ9」の『漢字音読語の日中対応』である。

⑹ 外国人留学生に必要な日本語能力の標準と測定(昭和五十四年度・五十五年度文化庁委託研究)。昭和四十二年度以来作成してきた日本語能力検定試験問題を分析して、文字・語彙・文法の各分野の出題内容を明らかにし、大学留学生として要求される日本語能力の程度を解明するための研究が行われている。

六 図書・雑誌資料収集

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 語学および語学教育に関する文献の収集・設備は、本研究所設立以来、最も重点を置いた分野の一つである。言語

第八十三表(続き))

第八十三表 語学教育研究所所蔵図書分類表(言語別分類)

第八十四表 語学教育研究所所蔵図書分類表(題目別分類)

学・語学教育は勿論、学内の一般教育課程における主要外国語(英語・ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語)の教育のための基礎資料の収集というのが設立当初の目標であった。

 しかし、理想目標が、学内の語学に関するあらゆる要求に応ずることのできるような資料収集におかれていたことは、昭和三十四年(研究室時代)に準備された図書分類表が世界の言語を対象としていることに伺える。そこでは第八十三表のように十進法をモデルとした世界の言語の分類を試みており、これに第八十四表のように十進法による題目別分類を加えて各言語項目は更に約百通りの題目に分類され、蔵書される仕組みである。

 事実、設立当初は学内で教育の行われている主要言語中心であったが、やがてポルトガル語、イタリア語、デンマーク語、アイスランド語、インドネシア語、朝鮮語、ペルシァ語、タガログ語、ベトナム語、ルーマニア語といった具合に、これまで本学に存在しなかった外国語の講座が相次いで本研究所に設置されるようになると、資料収集の範囲も、それに伴って拡張して、現在では予算の配分にも、ロマンス語、ゲルマン語、スラヴ語、西洋古典語、印欧語、非印欧語といった項目が見られるに至っている。

 購入予算、蔵書状況を振返ると、昭和三十五年度(図書予算約六十万円)において和(漢)書百二十点、洋書千七百八十二点、合計千九百二点という記録に対して、昭和五十七年度には、(図書予算一千六百四十二万七千円)、和(漢)書六千九十七点、洋書二万七百四十九点、計二万六千八百四十六点である(現実には寄贈図書を含めると二万六千八百六十三点を数えている)。また雑誌=定期刊行物に関しては、昭和三十五年度、和洋合せて六十二種に対して昭和五十七年度には五百五十九種を数えるに至っている(うち洋雑誌は三百七十八種、和雑誌は百八十一種である。更に寄贈・交換が百八種、当研究所発行が三種これに加わる)。なお各語別の蔵書数(昭和五十四年末現在)はおよそ第八十五表の如くである。

 昭和三十四年夏以来収集されてきた定期刊行の資料は、種類の豊富さでいまや本研究所の誇り得るものとなってい

第八十五表 語学教育研究所言語別蔵書数(昭和54年末現在)

第八十六表 語学教育研究所言語別書誌種類数(昭和54年末現在)

る。文部省助成金などの補助も加わって、洋雑誌のなかには前世紀に遡るバックナンバーを完備したものが幾種にも及び、現在では他大学、他の研究機関などからの要求にも応じうる存在に成長している。

 洋雑誌のほか、記念論文集、国際会議(たとえば「国際言語学者会議」)などの会議録といった、年月とともに入手が困難となる種類の資料にはことに留意し、また各種の書誌(Lingustic Bibliographyなど)の収集にも絶えず努めている。

 以上のように、僅か二十数年足らずの期間であるが、精力的な収集(それを支えた予算)のおかげで、現在では学内における唯一の語学関係書の資料センターとなっている。

七 視聴覚資料室

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 視聴覚資料室は研究所設立とともに語学教育における視聴覚資料ならびに機器の提供という重要な役目を担って出発した。現在の構成は、事務室兼機械室、資料室、録音スタジオ、語学ラボラトリー(LL)の四つから成っている。以下、それぞれの概略を述べる。

 事務室兼機械室には、多種多様な視聴覚教育機器が置かれ、スタッフが日常の業務処理に当りつつ、主要言語その他の教材録音・編集ならびに複製業務等を行っている。ここは、教職員の研究・教育・研修のための資料・教材の提供、レファレンスサービス、機器貸出等の研究教育補助機能を果すばかりではなく、学生の要望に応えて全学生へのサービス的機能も持っており、語学教育の充実と相俟って利用度は年々増加している。また、学内各種行事の録音といったことも支援業務として実施している。

 資料室、視聴覚教育資料のデータについては後述するが、語学に関する内外各国語の研究・学習用のレコード・テープなどを購入、語学教育研究所専任教員の綿密な内容吟味を経て、分類・保管しているし、近年の教材・資料の映像化に伴った、スライド用・映写用・VTR用フイルムも同様に多数管理している。これらはすべて、教職員の研究・教育・研修といった目的のために提供されて、語学教育研究所のみならず学内各個所で広く利用されている。

 語学教育のための教材または参考書として語学教育研究所で編集・出版している教材選書は、本大学の語学授業用教材として作成されたものである。現在までに、主な外国語について発音編・会話編・単語編その他に分け三十種を作成した。

 発音編は、大学で初めてその語学を学習する学生のために、ネイティブ・スピーカーによる正しい発音の練習を目的として作られた。録音テープのテキストである。

 会話編は学生に実用的な会話を習得させることを目的として作成した、録音テープのテキストである。

 単語編は、大学で初めてその語学を学習する学生が最初の二ヵ年で習得すべき標準単語を示したものである。教材選書が専ら実用的な現場の教育材料を提供することを目的としているのに対して、語研選書は、言語・語学教育に関する原理的基礎的な研究を逐次刊行するものである。現在までに五種類を作成した。研究所事業計画の成果の一つとも言うべきものであると同時に、自作教材として他校にも類をみない規模のものであると言える。また、充実した外国学生用日本語教材も作成されて、本学のみならず多方面で活用されている。更に、アイヌ語の収録は昭和五十二年から毎年行っており、収録資料の整理と併行して系統だったテープ化の作業が進められている段階であるが、これも特記すべきものと思われる。前述の選書・教材は音声(テープ)化され、学習効果を上げる一助ともなっている。これらの音声化作業は、付属の録音スタジオで行われ、高度な技術と相俟った良質な音声資材の提供は好評を博している。

 授業用LLは昭和四十八年に録音スタジオとともに旧LLとは別途に新設されたものである。従来の語学学習は眼(読み・書き)からのものに主点が置かれていたが、これでは語学学習における重要な一部をなす耳と口(聞く・話す)の訓練が十分に行われず「国際社会参加のための語学習得」たり得ないので、この不足を補ったものがLLを使っての訓練である。LLの機能等の概要は普遍化しているので省略する。

 旧施設は、日本にLLが導入された創設期に設置されたものであり、当時としては最新の設備であった。従って語学教育研究所は長い間全国のLL教育界で主導的位置を保持してきた。その後新LLの設置に伴い、旧LLは自習室となり、主に留学志望の学生が毎日利用している。新施設は旧施設の二倍のブース数(三十四席)を持ち、学生卓には語学学習の能率・効果を一層上げるため最新のテープレコーダーを備え付けた。また、OHP・VTR装置・カラー教材提示装置等を付置して、LLと同時に視聴覚教室としての機能も完備するように努めている。

第八十七表(続き))

第八十七表 語学教育研究所視聴覚資料(昭和57年3月31日現在)

第八十八表 語学教育研究所年表(講座・講演会、出版物)

後記

執筆者一覧

沿革 辻村敏樹

教育史(外国語)水野満・(日本語)木村宗男

研究史(外国語)菅田茂昭・(日本語)武部良明

図書・雑誌資料収集 菅田茂昭

視聴覚資料室 水野信義

年表 東条隆真・水野信義・清水徳視