昭和四十年代に入ってからの学生による学苑紛争は、多方面に及ぶ深刻な問題点を浮彫りにする契機となった。大学問題研究会は、多岐に亘るそうした問題点を抜本的に洗い直し、多数の教職員が一堂に会して学苑のあるべき姿を検討するための全学的組織であった。と同時に、大学の法人機構についても、最高議決機関である評議員会により見直しが進められ、その結果、新しい総長選挙制度が生れ、また校規が改正された。この過程において新しい傾向が顕著になった。それは、巨大化した大学の管理運営や意思決定に参加を要求する声が急速に高まったことである。この時期の早稲田大学が他の諸大学と異るユニークな点の一つは、校規改正という最も重要な主題についても、多様な意見を可能な限り反映させようと努めたことである。
さて、本編第四章に述べた総長選挙規則改正案をまとめて暫く休会していた校規および同付属規則改正案起草委員会は、昭和四十五年十一月十一日、校規改正案の作成作業に入った。すなわちこの日、評議員会長に就任した毛受信雄に代って大浜信泉が新委員長に就き、大浜は、「総長選挙規則の原案作成に当った小委員会で問題点を整理した上で、本委員会を開催したい」と述べた。次いで、前月四日に新総長に就任した村井資長が、「大学問題研究会から八月に報告書が提出された。この報告書は大学改革の全学的検討資料であるので、理事会としてもこの研究成果は十分に検討の上、積極的に取り上げたいと思う。この中で校規に関する問題は、この委員会に出席する理事・監事選出委員〔有倉遼吉、清水司、久保九助〕を通じて、理事会の検討結果を反映したいと思っている。この委員会においてもこの報告書を十分に参考にして、校規改正の審議をお願いしたい」と要望するとともに、委員全員に大学問題研究会の報告書が配付された。
小委員会の役割は、校規および同付属規則改正案起草委員会の一年余に亘った審議の過程で提起されたさまざまな意見、例えば総長の三選は避けるべきだとか、総長の任期を短縮すべきだといった、校規そのものに抵触する議論を、大学問題研究会その他が提起した評議員会・商議員会・理事会のあり方をめぐる議論と併せて、問題点を整理するとともに校規改正の具体案を作成することであり、その作業は困難を極めた。結局、十三回の会合を重ねた小委員会が「審議経過報告書」とともに「校規改正要綱案」を委員会に提出したのは、四十六年七月十九日のことであった。この二つは直ちに『早稲田大学広報』に公表されている。小委員会で俎上に上った議論と結論とを要約しよう。
早稲田大学は伝統的に校友を重視し、その組織の強化と母校との連絡の緊密化に努めると同時に、大学の運営にもできるだけ校友を参加させる方針を採ってきた。その最たるものが商議員会であるが、「総長選挙規則」改正の結果、学外商議員の全員が決定選挙の有権者となったので、教職員とのバランスを保つ関係上、学外商議員の数について制限を設ける必要が生じた。
他方、理事会と評議員会が学校行政において果す役割は大きく、従ってその及ぼす影響も大きい。そのため、理事や評議員については特にその個性が重視される。戦前の財団法人の時代には、今日の評議員に相当する維持員の過半数は学外者が占め、しかも、社会の重鎮となっている校友を維持員に据えるという大物主義の考え方が支配的であった。それは、大学の財政的基盤の強化と卒業生の社会的進出の保障の必要から出てきたのであるが、戦後、状況は一変した。大学が財政的に学外有力者に依存する度合いが減少したばかりか、卒業生の就職の面においても、大学の社会的評価と名声が有力者個々人の影響力を遥かに凌駕するようになったからである。その結果、大物主義の考え方が後退することになった。この変化は評議員会の編成にも反映し、評議員の数は学外の校友よりも学内の教職員の方が多数を占めるようになった。このことは、大学自治の要請と関連して重要な意味を持っている。学外校友は、学校法人の機関の構成員となった場合でも、研究教育の機能の面では外部勢力と看做される傾向が強まったからである。
昭和四十年頃になると、学外校友が大学行政に参加することに対し、学内の一部に抵抗ないし批判の声が高まった。その理由の一つは、昔日の大物主義が後退したにも拘らず、大物主義のイメージと期待は依然として残っており、そのためイメージと現実との間にずれが生じていること。第二に、大学を取り巻く情勢が急激に変貌しているのに、評議員となる学外校友は古い年代の卒業生であり、大学に対する期待とイメージが学内者が抱いているそれらとは若干異ること。第三に、学外商議員による評議員選挙の実態が学外評議員に対する信頼感を傷つけていることである。
校規との関連で最も重要なのは、法人三機関(理事会、評議員会、商議員会)の性格および権限と大学自治の要請との調整の問題である。五一六頁で述べたように、大学問題研究会第二研究部会が理事会を最高意思決定機関とし、評議員会を理事会の諮問機関とすべきだと主張しているのは、大学自治を重視する立場からの見解であった。しかし、それも程度問題であって、あまり極端に走ると理事会、評議員会、商議員会の間の権限配分の妙味を失いかねないと懸念する小委員会は、三機関の間の調整に慎重な態度を見せている。
以上の総論に続いて、現行校規の個々の規定で改めるべき点が論議される。とりわけ焦点となったのは、総長をめぐる諸問題、理事および理事会、評議員および評議員会、商議員および商議員会のあり方であった。
総長に関しては、任期、三選禁止の可否、副総長制の可否などが俎上に上った。
総長の任期は昭和二十八年の校規改正により三年から四年へ変更されたが、大学機構研究委員会はこれを六年に延長することを提案した。六年案は、国立大学において学長の任期を四年としながら、再選された場合の任期は慣例上二年までとなっていることに示唆を得たものらしい。他方、大学問題研究会第二研究部会は三年に短縮せよと主張している。三年説の根拠は二つあり、その一は、急激に変化する現代社会において総長の任期を四年も固定するのは望ましくない、その二は、再選された場合を仮定して同一人が八年間もその座にとどまるのは好ましくないというものである。これに対して小委員会は、社会が流動的であればあるほど、大学は寧ろそれに押し流されることなく、毅然として本来の使命を堅持する必要があるから、大学の最高責任者が頻繁に交替するのは社会に不安定の印象を与えかねないと反駁する。そして、大学の運営全般を的確に把握するには一年ないしそれ以上の日子を必要とし、三年で総長が交替すると長期計画を立案するのは困難になろうとの考え方から、従来の四年制は改正する必要がないとの結論に至った。
任期の問題は三選禁止の問題と連動している。三選禁止の理論的根拠は、強いて挙げればマンネリズムの回避に帰着するが、四十五年七月の「総長選挙規則」改正で総長候補者を教職員の殆ど全員の直接投票により選出することになったのを考慮すると、寧ろ選挙人の選択の自由を制限する惧れも生じると小委員会は指摘する。そこで、三選禁止の規定を設ける案と設けない案との両案を作成して、どちらを選ぶかは委員会総会の決定に委ねることになった。
任期満了以前に総長を辞任するという事態は大浜と阿部の例に見られた。そのたびに、後任総長の任期は前任者の残存期間とするとの現行規定が問題になったが、この際この制限を廃止しようと小委員会は提案する。多数の者が参加する大がかりな選挙により選出された総長の任期を前任者の残存期間とすることは、短期間のうちに大がかりな選挙を繰り返さなければならないわけで、適当でないと判断したからである。
従来は総長選挙を九月下旬に行っていた。それは、次年度の事業計画ならびに予算編成に着手するには十月までに総長が交替している必要があったからである。しかし、総長選挙制度改正の結果、その手続が複雑になり、選挙期間が五十日以上に及ぶようになったので、小委員会は新旧総長の交替日を新たに定め、十一月五日を交替日とする旨の規定を新設することとした。
任期の途中で総長が欠けた場合、あらかじめ定めた順位に従い常任理事が総長の職務を行うことが校規に定められている。しかし、選挙で多数の支持を得た者が総長となるべきとの建前からすれば、職務代行状態が長期化することは避けなければならない。この観点から職務代行期間に制限を設ける必要があるが、総長選挙には約二ヵ月の期間を要する反面、試験時期のように選挙実施に好ましくない時期があるので、代行期間は四ヵ月を限度とするのが妥当であろうと考えた小委員会は、その旨の規定を案に盛り込んだ。ところが、こうした規定を設けると、十一月五日から離れた時期に選挙が実施された場合には、総長の交替日を定めた新規定が死文に帰してしまう。そこで小委員会は、任期が満了する前に総長が欠けた場合の後任総長の任期を、その選挙が行われるのが五月五日以前か以降かによって調整する旨の規定を追加することを考案した。
ところで、大学機構研究委員会でも、学外評議員・商議員の意見書でも、委員会の全体会議の中でも、副総長を置くべきだとの積極的意見が出された。それは、大学の規模拡大に伴い、教学と渉外・財政との両面を管掌する総長の任務が複雑多岐に亘り、一人の総長でこれをさばくのは困難であるので、負担を軽減するとともに大学の財政的基盤を強化する観点から、副総長を置いて主として財政面を担当させるのが望ましいという発想に依る。しかし、副総長の段階で決裁できる権限は相当きめ細かく限定しないと、常任理事のほかに副総長を置くことは、屋上屋を重ねていたずらに手続を煩雑にするだけで実効を伴わない結果を招いてしまうと考えた小委員会は、副総長を置く必要はないとの結論に達した。因に大学問題研究会第二研究部会も、副総長制には否定的な見解を採っている。
理事および理事会に関して問題となったのは、その性格、権限、定数、選任方法についてである。
性格の問題に関しては、法人機関の機能を意思決定、執行、監督との三分野に分けた場合、理事会に執行のほか意思決定をも付託するかどうかが中心課題となった。学苑では「私立学校法」に基づき評議員会を最高意思決定機関と位置づけている。これに対して、理事会を意思決定機関に、評議員会を諮問機関に改めるべきだと主張したのは、前述のように大学問題研究会第二研究部会であった。小委員会はこの主張に反論して、なるほど理事会は評議員会の議決に拘束され、この意味で評議員会は理事会の上位機関と言えるが、現実には評議員会は、理事会が提出する議案について審議決定することを職能としているので、寧ろ受け身の立場にあると言う。第二研究部会は、理事の定数を増加して、理事会内に常任理事による執行部を設けよと提言しているが、これは評議員会の意思決定機関性を過大に評価したものと反駁した小委員会は、大学運営の最終的決定権は理事会にあるとの現実認識に立ち、理事会の性格を変革する必要はないとの結論に到達した。ただし、後述するように、評議員会の議決事項の範囲が若干整理縮小されたので、それだけ理事会の権限は拡大されたことになる。
教務、学生、庶務、財務、施設等について担当理事を定めるのが慣例になっており、各理事は原則として決裁権を有する建前となっている。しかし、担当理事が迅速に採決しないことから生じる不満に由来する「理事の権限を明確に規定せよ」という声は従来からあり、第二研究部会も同様の提唱を行った。この要求について小委員会は、各理事の分担業務の範囲をきめ細かく規定して、速やかに決裁せよと校規に謳うのは至難の技であるとの理由で、理事の業務分担に関する規定は手直ししないことになった。
以上のように理事会の性格および理事の権限を位置づけた小委員会は、理事の定数は最少限度にとどめるべきだとの見解に基づき、十二名とした。旧校規よりも一名増やしたのは、社会科学部の増設を考慮したからである。
理事の選任区分については、教職員のうちから八名、教職員でない校友のうちから三名と、二つの区分を設けるにとどめ、総長の推薦する者という従来の区分は削除することが提案されている。教職員から八名というのは、各学部および職員の各系統から一名ずつ選ぶことを基本としたものであるが、選任区分を規定しないのは、それは運用に委ねるべきだとの見解に依る。教職員でない理事を三名としたのは、財務、施設、給与などに関する事項は学外の適任者が担当するのが適当であるとの従来の慣行を踏襲したものである。
校規によれば、理事は評議員会での無記名投票により選出されることになっているが、現実には無記名投票で理事が決められたことはなく、総長も加わる小委員会を設けて候補者を選考し、その結果を評議員会に諮って承認を求めることが慣例となっている。小委員会は、理事の選任に当っては個性だけでなく全体の人間関係の調和を重視しなければならないので、総長の意見を無視して、選挙により選ばれた理事を押しつけるのは適当でないと言う。この観点から、小委員会は、死文となっている投票制を廃止し、評議員会内に理事候補者選考委員会を設けて、その結果につき、出席評議員の三分の二以上の同意による承認の決議を必要とすることに改めた。
監事の定数二名と任期二年とについては、どの方面からも改正の提案はなされなかった。しかし、小委員会はこれらに関してもメスを入れる。すなわち、校規は監事の資格要件を教職員でない評議員と定めているが、職務の性格上、評議員に限定する理由はないばかりか、適任者を選ぶためには、この制限は寧ろ削除するのが望ましく、選任方法も、従来の慣行に従い、理事と同様に選考委員会方式を原則とすべきであろうと指摘している。なお、大学問題研究会第二研究部会は、これまで監査は財務監査に主眼を置いていたので、監査に取り組む姿勢が消極的であったと批判した上で、教育環境の整備状況の検討その他、経営全体の合理化と学内各箇所の機能発揮を推進するような積極的姿勢が望ましいと提言している。これに対し、これらは寧ろ理事会や学部長会などの学内機関が当るべきものであって、大学自治の理念の観点から疑問であるというのが、小委員会側の批判であった。
評議員および評議員会をめぐっては、その性格、議決事項の範囲、定数ならびに学内選出評議員と学外選出評議員との比率が問題となった。
小委員会は評議員会を従来通り最終的な意思決定機関と位置づける。ただし、教学組織の部分的変更や事務機構の一部改革その他規則の軽微な改正、更には資産の管理などは、評議員会の議決を必要としないことに改めて、理事会の権限を若干拡げた。なお、校規には、学部長その他の箇所長の嘱任について評議員会が同意する必要があるとは謳われていないけれども、それぞれの関係規則には評議員会の同意を要する旨が規定されている。小委員会では、この種の人事は各機関の決議または選挙によって決まるものであるから、法人による承認の手続は理事会止まりであって、評議員会の同意を得る必要はないと提唱された。この提唱については、これらの役職者の嘱任は大学にとり最も重要な人事であるから、たとえ形式的であろうとも評議員会の同意を得るべきだと反論が述べられた。しかし、二段階の関門を経なければならないとなると、自主性に対する不必要な制約と受け取られ易いだけでなく、決議や選挙の成立と効力発生との間に間隙が生れるので、評議員会の同意を要しないように関係規則を改正するのがよいという意見が多数を占めた。
評議員会の定数は五十九名となっている。会議体の人数としては多過ぎるのでもっと減らせという意見が出されたけれども、定員削減には強い抵抗があり、六十三名ないし六十七名と基本的には現行の規模を踏襲した上で、学内評議員の選出系統と人数が以下のように手直しされるにとどまった。すなわち小委員会は、「総長、各学部長、体育局長、図書館長および各学校長十六人」とあるのを第二学部の廃止に伴い「十三人」に改め、「各学部の教授会において、その本属の教授および助教授のうちから選出された者各一人計十二人」とあるのを、「総長選挙規則」改正と同じ趣旨に基づき「その本属の専任教員のうちから選出された者各二人計十四人」に改め、「主事会において職員である商議員のうちから選出された者二人」とあるのを、教員との均衡を保つと同時に改正「総長選挙規則」と平仄を合せるために「専任職員により職制上特定の職務を担当する職員のうちから選出された者四人」に改め、更に、これまで評議員を送り出していなかった研究所を学部と同様に多数の専任教員を有する独立の機関と看做した結果、体育局、付置研究所の合同会および高等学院を新たに選出系統として、評議員各一名を選出するように改めることにした。
第四巻一〇九四頁に既述したように、昭和二十九年施行の改正校規は、学外評議員について、商議員会で互選された者十八名、評議員会で推薦された者十名と定めている。小委員会では、推薦制度を活用して適任者を確保するために、推薦評議員の数を学外評議員定数の半分とする点については意見が一致したものの、定数と選出方法に関し異論が出された。合計定数は現行通り二十八名でよいとの多数意見に対し、一部の委員より、校友の数が当時の二倍に増えているのであるから、学内評議員を三十五名に増加したのに比例して学外評議員も三十二名に増員せよと強く要求されたのである。しかし、学内評議員の定数が増えたのは学部増設と選出系統調整の結果なのであって、教職員の数の増減とは無関係である。また、学内・学外評議員の数は教職員数と校友数との比率を基準に算定されたものでもない。選出系統については現行の方式を支持する委員が多数を占めたが、評議員会推薦十名、校友会本部推薦六名、商議員互選十六名の三本建とすべきであるとの意見も出された。ところが、「校友会規則」には本部と称する機関組織があるわけでなく、考えられるのは常任幹事を中心とする小グループであろうが、実体が明確でないものを法人機関の構成員の推薦母体とするわけにはいかない。このように一部異論はあるが、小委員会は、結局、学外評議員の定数については二十八人案と三十二人案とを並記して報告し、その採決を総会に委ね、選出方法については、従来通り評議員会の推薦と商議員の互選との二本建を採択し、三本建案は少数意見として付記するにとどめることで落着した。
なお、商議員会における評議員の選挙には種々の弊害があり、それが学外評議員に対する不信感の原因となっているので、大学内外に推薦母体を設け、候補者を二十名ずつ推薦させて、評議員会での投票により評議員を選ぶ方式に改めてはどうかとの提案がなされた。しかし、理論面でも実施面でも難点が多いとの理由で、採択されなかった。
「商議員会規則」に定められた商議員の定数と選出資格とは大幅に変更された。
学内商議員に関しては、「各学部については、その本属の教授及び助教授によって、専任教員のうちから選出された者各十人以内。但し、理工学部については二十人以内。合計百二十人以内」とあったのを、「各学部において、その本属の専任教員により互選された者各二十人以内。ただし、同一系統の第一・第二学部は、これを単一の学部とみなす。合計百四十人以内」に改め、「高等学院については、高等学院規則の定める教諭会において、その教諭のうちから選出された者八人以内」を「高等学院において、その本属の教諭により互選された者二十人以内」に改め、産業技術専修学校については「管理委員会委員及び専任の助教授によって管理委員及びその専任教員のうちから選出された者二人以内」を「専任教員により互選された者二人以内」に改め、体育局選出商議員は三名以内から十名以内と、付置研究所の合同会による選出商議員は五名以内から十五名以内と、また職員については、「主事会において、職員のうちから選出された者二十人以内」を「専任職員により互選された者四十人以内」に改めた。各学部選出の商議員を二十名以内としたのは、評議員同様、第一・第二の同系統の学部を単一の学部と看做す規定を挿入した上で、数において現状を維持したためであり、高等学院に関して二十名以内としたのは、これを一学部相当として取り扱ったからである。体育局と研究所については、これまた一学部相当との基盤に立脚しながらも近時における専任教員の増加を配慮して、それぞれ増員した。職員に関しては、主事および主事補に限定すべき理由がないので専任職員による互選に改めるとともに、二学部相当と考えて四十名以内とした。
学外商議員は学内商議員と違って総長決定選挙人の資格を有するが、そのうち、評議員会の推薦による学外商議員の定数五十名以内という規定は変更せず、校友会選出商議員の規定のみを改正した。すなわち、「校友会本部において、校友会規則の定めるところに従い、所属の会員のうちから選出された者八十人以内」および「校友会支部において、校友会規則の定める基準に従い、所属の会員のうちから選出された者若干人」を、「校友会規則の定めるところに従い、この法人の教職員でない会員のうちから選出された者三百五十人以内」と改めて、定数の上限を設けた。この変更は、総長決定選挙人の構成を学内三対学外二の比率に依ることにしたため、学外商議員の増加には四百名以内という上限を設ける必要が生じたからである。また、校友会本部および支部という従来の選出区分は廃止し、選出区分も選挙方法も、この年四月十二日に改正された「校友会規則」に依ることとした。その規則では、東京都在住会員が選出する商議員を百名以内とし、支部の場合は会員数により割当人数が異り、会員百名以上三百名未満の支部は一名、三百名以上六百名未満の支部は二名、六百名以上九百名未満の支部は三名、九百名を超す支部は三百名を増すごとに一名を加え、なお三千名以上を有する支部は五百名を増すごとに一名を加えて十六名までとなっている。
以上が小委員会での審議の経過と要綱案の骨子とである。委員会は小委員会案の検討を九月から開始する予定であったが、この夏以降、沖縄返還問題や成田空港建設問題をめぐり、学生運動が依然として続くという学苑内外の物情騒然とした状況にあって、校規改正のような重要会議を開催するのは適当でないと判断し、自然休会の形となった。その後、公表された「審議経過報告書」と「校規改正要綱案」について、十月十九日には第一・二法学部連合教員会が、翌四十七年十一月二日には高等学院教諭会が、また同月二十二日には教員組合と職員組合とが連名で、それぞれ書面により意見を委員会に提出した。そこで翌四十八年五月七日、小委員会は一年十ヵ月ぶりに会議を再開し、右諸団体の代表者を二名ずつ招いて意見書の説明を聴く機会を設けることにした。
諸団体から出された意見は専ら評議員の選出方法をめぐるものであり、「学部選出評議員を選挙する際に連記投票制でなく単記投票制にせよ」、「推薦評議員を選ぶ校友は商議員であるべきことを資格要件とせよ」、「職員選出評議員の被選挙資格を一般職員にまで拡げよ」、「学外評議員の定数は三十二名案ではなく二十八名案を採択せよ」、「高等学院の選出する評議員を一名でなく二名とせよ」という五点に集約できる。これらの意見に対して小委員会はどのように対応したであろうか。
先ず、学部選出評議員の選挙につき小委員会が二名連記の無記名投票を提唱したのは、単記投票によると特定の一人に票が集中して、第二位の当選者の得票が極端に少くなる事態を想定したためであった。評議員たる人物はできるだけ多数の人々の支持を得るのが望ましいと考えた小委員会は、こうして単記投票制を採用しなかったのであるが、反対意見として出された単記投票制案の趣旨は、少数意見を反映させる方を重視するものであった。小委員会は二名連記にこだわる理由はないとしてこの意見を受け入れ、先に提出した校規改正案中の「二人連記の無記名投票」とあったのを「単記無記名投票」に修正することになった。
次に、学外商議員による評議員推薦の件につき、小委員会案が被推薦者の資格を定めていないのが問題とされた。資格に制約がなければ、法人機関に関係を持たない学外校友が評議員となることもあり得、そうなると、学外の総長選挙人の上限である四百名を超えてしまう。小委員会はこの異議を認め、「この法人の教職員でない校友のうちから推薦された者」となっていた文言を「この法人の教職員でない商議員のうちから推薦された者」に訂正した。
職員選出評議員の被選挙資格をめぐる諸団体の考え方と小委員会のそれとには大きな隔たりがあった。職員の数は八百五十名を超え、年齢および採用資格、職種と帰属関係、命令系統の尊重など、配慮すべき問題が多々ある。職員の学歴や経験も多様であり、また、司書や技手や用務員など職能が明確で職場が限定されている者もいる。一般職は配置転換により帰属関係が流動的であるが、初期の間は局部的かつ機械的な仕事に従事することが多いので、大学行政全般に通暁するには相当の年数を要する。従って、評議員として適格者と言い難い職員もいるというのが、小委員会の一貫した主張であった。更に、それぞれの職務遂行に当っては上命下従が尊重されなければならないが、この職場倫理は、職員全体の識見の代表者を選挙する際にも尊重されるべきであるというのが、小委員会の見方であった。加えて、全職員の直接投票により評議員四名を選出する時、目標を絞らずに自由な投票に委ねたのでは、果して適任者が得られるかどうか甚だ疑問であるから、被選挙資格者をある段階以上の地位にある者に絞るのが妥当であろうと判断した小委員会は、管理職と非管理職との区別をその限界線に用いることにしたのであるが、管理職という概念が曖昧なので、規定の上では「職制上特定の職務を担当する職員」と表現するにとどめたのであった。
こうしてできた原案に対して、すべての管理職者が適格の条件を備えているとは言えないし、管理職者以外にも適任者がいるかもしれないから、資格制限は撤廃すべきであるとの意見、更に、強いて制限を設けるならば、寧ろ職員選出商議員のうちから選ぶのがよいとの代案が提出された。実際、管理職者と同格の条件を備えていながら、たまたま管理職の数に制限があるために管理職者になれない者もいる。小委員会はこれらの意見を協議して範囲をある程度まで拡大するよう原案を修正することになったが、その範囲の線引は俸給表上の等級を基準とせざるを得ない。そこで小委員会は、「およびこれに準ずる者」を追加し、五等級以上の職員を被選挙資格者に含めることにした。
学外評議員の定数二十八名案の採用要求は、第一に、学内評議員の増加が最小限度に抑えられており、第二に、教学優先の基本的姿勢を評議員会の構成に反映させるべきであり、第三に、会議体としての機能を果すためには評議員の総数を抑える必要があるという論理に基づいている。しかしこの問題は、小委員会原案に明記されている如く委員会総会の採決に委ねることになっているので、小委員会の議論の対象とはならず、この要求が諸団体から提出された旨だけを総会に報告した。
最後に、高等学院選出評議員の定数をめぐる問題は、学部、体育局、研究所、付属学校等のそれぞれの位置づけや比重の評価と絡んでくる。学校法人は、学部、学校等が教学機能を十分発揮できるように配慮しなければならないから、評議員会にこれらの意見を反映させる必要がある。では、その意見反映の保証はどのようになされるべきであろうか。大学院は機能的には独立の組織体であるが、教員組織の面では学部の延長と見ることができる。その上、各研究科の代表者により組織される全体会議の大学院委員会は総長が主宰しているので、大学院の意見は総長を通じて評議員会に反映できる。こうして小委員会は大学院を独立の評議員選出母体としないことにした。一方、学部こそは早稲田大学の根幹をなしているから、各学部長を職務上評議員としたほか、各学部所属教員の互選による評議員を二名ずつ認めた。このように学部を位置づけた場合、体育局、二学校、図書館、六研究所は、機能的にも比重の面から見ても学部の付属機関であるから、評議員の定数に関し学部とは異る基準を採用して当然である。このうち体育局と高等学院は、所属教員が多いだけでなく機能と比重が学部に次ぐものであるとの認識に立ち、小委員会は教員の互選による評議員を一名ずつ認めたのであった。しかし、諸団体が要求するように高等学院の定員を二名に修正すると、全体の体系との均衡が崩れてしまうことを懸念した小委員会は、原案の一名案は動かすべきでないとの結論に達した。
なお、商議員選挙や総長選挙については高等学院が一学部に相当するものとして扱われていることを根拠に、評議員選挙の場合も一学部相当と看做して定員を二名にせよとの要求も出された。小委員会は、広報的機関の性格が強い商議員会と評議員会とを同列に論じるのは不可能であるとして、その要求を受け入れなかった。
小委員会の半年に亘る第二次審議を経て成った校規改正最終案は、十一月七日開催の校規および同付属規則改正案起草委員会総会に提出された。総会は、かねてより決定を委ねられていた総長三選の可否と学外評議員の定数とに関し採決を行った結果、三選禁止の規定を設けること、学外評議員を二十八名とすることが決まった。次いで現行校規と改正案とが並記された資料をもとに逐条審議し、委員会としての最終改正案をまとめて、評議員会に答申した。
その評議員会での審議は十二月と翌四十九年一月とに亘り、更に幾つかの条項が修正された。とりわけ学外評議員の定数は論議の的となり、委員会で採決に付された二十八名案と三十二名案との中間を採って二名増員の三十名とされた結果、評議員会の構成は学内三十五名、学外三十名の合計六十五名となった。今回の改正の対象とされた校規は、本巻二四二―二四五頁に前述した昭和三十七年の改正ののち第四巻一〇七三頁に掲げたような学部・学校の制度変更に伴う若干の改正を経て四十八年に施行されたものであるが、その校規と、今回改正された昭和四十九年四月一日施行の校規とを比較して、変更された重要な条項を対照させよう。
新校規(昭和四十九年四月施行)
(総長の任期)
第九条 総長の任期は、四年とし、再選を妨げない。ただし、同一人につき引き続き二期を超えて総長に選挙することはできない。
〔2 削除〕
〔3 削除〕
(総長の交替日)〔新設〕
第十条 任期の満了に伴う新旧総長の交替は、十一月五日に行なう。ただし、特別の理由により十月末日までに総長選挙手続を結了することができないときは、前条の規定にかかわらず、選挙手続が結了した日から起算して五日を経過した日の翌日に新旧総長の交替を行なう。
2 前項ただし書の場合の総長の任期は、前条の規定にかかわらず、その任期が満了すべき年の十一月四日までとする。
(総長の任期の調整規定)〔新設〕
第十一条 任期の満了前に総長が欠けた場合、後任総長の選挙が五月五日以前に行なわれたときは、その者の任期は、第九条の規定にかかわらず、同条の規定によりその任期が満了すべき年の前年の十一月四日まで
2 前項の規定による選任の決議は、出席した評議員の三分の二以上の同意をもって行なう。
〔3 削除〕
〔4 削除〕
(理事候補者選考委員会)〔新設〕
第十七条 前条の選考委員会は、次の委員をもって構成する。
一 総長
二 教職員である評議員のうちから選出する者 四人
三 教職員でない評議員のうちから選出する者 三人
(総長の職務の代行)〔第二項を新設〕
第二十条
2 総長が欠けた場合の総長職務の代行期間は四ヵ月以内とする。ただし、この期間内に総長の選挙が完了できない特別の事情があるときは、この限りでない。
(監事の選任、任期および再選)
第二十六条 監事は、評議員会において、この法人の教職員でない校友のうちから、これを選任する。
(監事の選任方法、任期の伸長、解任および退任)〔ただし書および第二項から第四項までを追加〕
第二十七条 ただし、監事の選任につき選考委員会によることに対して異議があり、出席評議員の三分の二以上の同意があるときは、無記名投票によることができる。
2 前項ただし書の規定による投票は単記とし、有効投票の二位までの得票者をもって当選人とする。ただし、十票以上の得票がなければならない。
3 前項の規定による当選人が定数に達しないときは、十票未満の四位までの得票者について再投票を行なう。
4 当選人を定めるにあたって、得票数の同じ者があるときは、くじでこれを定める。
(評議員の定数)
第二十八条 この法人に、評議員六十五人を置く。
(評議員の選任および区分)
第二十九条 評議員は、次の各号に掲げる者とする。
一 総長、各学部長、体育局長、図書館長および各学校長 十三人
二 庶務部長またはこれに相当する者 一人
三 各学部において、その本属の専任教員により互選された者各二人 合計十四人
四 体育局において、その本属の専任教員により互選された者 一人
五 付置研究所本属の専任教員によりその都度組織する合同会において互選された者 人
六 高等学院において、その本属の教諭により互選された者 一人
七 専任職員により、職制上特定の職務を担当する職員およびこれに準ずる者のうちから選出された者 四人
八 評議員会において、この法人の教職員でない商議員のうちから推薦された者 十五人
九 この法人の教職員でない商議員のうちから互選された者 十五人
2 前項第三号の規定の適用にあたり、同一系統の第一・第二学部は、これを単一の学部とみなす。
(評議員の選挙)〔新設〕
第三十条 前条第一項第三号の規定による評議員の選挙は、単記の無記名投票によって行なう。
2 前条第一項第七号および第九号の規定による評議員の選挙については、別に定める。
3 学部のほか体育局または学校についても本属を認められている教員は、評議員の選挙に関しては、当該学部だけをその本属とする。
(評議員会の職務)
第三十一条
2 専修、専攻等教学組織の部分的変更、事務機構の一部改革、その他規則の軽微な改正については、前項の規定にかかわらず、理事会の議決をもってこれを行なうことができる。
(定時評議員会)〔ただし書を新設〕
第三十四条 ただし、これに付議すべき議題がないときは、総長はこれを招集しないことができる。
(規約の制定)
第五十四条
2 規則は、学部、大学院、学校、研究所等の組織、事務組織、会計、教職員の任免、年金および退職金等に関する基本的な事項について評議員会の議決を経てこれを定め、規程は、この法人の運営に関するその他の事項について理事会の議決を経てこれを定め、その他必要な細則は、各箇所において規則、規程の範囲内でこれを定める。
旧校規(昭和四十八年四月施行)
(総長の任期)
第九条 総長の任期は、四年とする。但し、任期の満了までに後任の総長が定まらないときは、後任の総長が就任するまで、その任期を伸長する。
2 総長は再選されることを妨げない。
3 任期の満了前に総長が欠けたときに、その後任として選挙された総長の任期は、前任者の任期の残存期間とする。
(理事の定数及び理事長)
第十一条 この法人に、総長をふくめて十一人以内の理事を置く。
(理事の選任、その任期及び再選)
第十三条 理事は、総長である理事を除き、評議員会において、これを選任する。
2 評議員会における理事の選任は、次の区分による。
一 この法人の教職員
二 この法人の教職員でない評議員
三 この法人の教職員又は教職員でない校友のうちから総長の推薦する者
3 前項第二号及び第三号によりこの法人の教職員でない校友のうちから選任する理事は、三人を下ってはならない。
(理事の選挙)
第十四条 理事の選任は、無記名投票によってこれを行う。但し、出席評議員の三分の二以上の同意があるときは、別の方法によることができる。
2 前項の投票は、単記とし、有効投票の最多数を得た者について、順次所定数までを当選人とする。但し、十票以上の得票がなければならない。
3 前項によって当選人が定数に達しない場合は、十票未満の四位までの得票者について、再投票を行い補充する。
4 当選人を定めるに当って、得票数の同じ者があるときは、くじでこれを定める。
(総長の職務の代行)
第十七条
(監事の選任、任期、再選、任期の伸長、解任及び退任)
第二十三条 監事は、評議員会において、この法人の教職員でない評議員のうちから、これを選任する。
第二十四条
(評議員の定数)
第二十五条 この法人に、評議員五十六人を置く。
(評議員の選任及び区分)
第二十六条 評議員は、左の各号に掲げる者とする。
一 総長、各学部長、体育局長、図書館長及び各学校長 十三人
二 庶務部長またはこれに相当する者 一人
三 各学部の教授会において、その本属の教授及び助教授のうちから選出された者各二人。但し、第一文学部、第二文学部、教育学部及び社会科学部については各一人 合計十二人
四 主事会において、職員である商議員のうちから選出された者 二人
六 評議員会において、この法人の教職員でない校友のうちから推薦された者 十人
五 この法人の教職員でない商議員のうちから互選された者 十八人
(評議員会の職務)
第二十七条
2 学科配当の一部変更、事務機構の改革その他呼称の変更等に伴う規則の軽微な改正については、前項の規定にかかわらず、理事会の議決をもって、これを行うことができる。
(定時評議員会)
第三十条
(規約の制定)
第五十条
2 規則は、評議員会の議決を経て、規程は、理事会の議決を経てこれを定め、細則は、各学部、各学校、附属の各機関及び本部の各部がこれを定める。
主な改正点を列挙すれば次のようになる。先ず総長の三選を禁止し、総長の交替時期を十一月五日とし、総長代行期間は四ヵ月以内との制限を設け、これらに伴い後任総長の任期について調整規定を新設した。理事の定数は一名増えて十二名となり、選任区分を教職員八名・校友三名とし、選任方法を評議員会における投票制でなく選考委員会による推薦制に改めた。監事の資格要件は評議員に限定されなくなり、校友から適任者を選ぶこととした。監事の選任にも選考委員会方式が採用されたが、異議が多数を占めた場合は無記名投票制もあり得る。また、規則、規程、細則の規定範囲が従来よりも明確になるとともに、評議員会の議決事項の一部が理事会に委譲された。
ところで、理事会の権限の大きさを測定する一つの基準は、理事会の判断でのみ支出することが可能な金額の上限であろう。本編第十一章第七節に述べる公費助成の実現を背景として、昭和九年改正の「会計規程」(第四巻六一八頁参照)が昭和四十七年二月に全文改正されて「会計規則」となり、これに基づいて土地・建物の購入・賃借その他を定めた「調達規程」が初めて施行されたのは五十一年四月のことである。学苑の会計は評議員会の決定事項であり、理事会が支出を決定する際には評議員会の承認した予算の範囲内という制限があるのは当然としても、右の「調達規程」制定以降も、一件当りの支出につき理事会の議決により支出できる金額の上限ならびに評議員会の承認を得るべき金額の下限は、そのつど理事会の判断に委ねられてきたのが実情である。
さて、評議員の定数は学内三十五名・学外三十名の合計六十五名と増え、その選出区分と人数も六〇四頁の第二十九条に示す如く改定された。とりわけ学外商議員の互選による評議員の数は、今回の校規改正により十八名から十五名へと減員された。それは、学外商議員による評議員選挙の弊害を除去しようとの視点から断行された減員であった。その一方で、評議員会が評議員に推薦する学外商議員の数は五割増となった。「投票主義に徹すると、評議員に有力者を迎えることが困難になるということは否めない。推薦評議員制度は、この欠陥を補うために案出された安全弁ともいうべきものである」と、大浜はその理由を語っている(「校規の改正を了えて」『早稲田フォーラム』昭和四十九年五月発行 第五号 六二頁)。なお、新校規第三十条第二項の別記事項は、いずれも四月一日より施行された「職員選出評議員の被選挙資格に関する規則」、「職員選出評議員および商議員選挙規則」、「職員選出評議員および商議員の選挙手続に関する規程」と、次段で述べる改正「商議員会規則」の第十二条以下第十六条までとに記述されている。
ところで、「総長選挙規則」の改正および今回の校規の改正に伴い、「商議員会規則」も手直しされ、昭和四十九年五月一日より施行された。その主眼は、六百二十七名以内と大増加した商議員の選出区分および員数の割り振りと、不明朗として批判の絶えなかった学外商議員による評議員選挙の手続の改正とにある。広報的機関の性格の強い商議員会の構成員は多い方が望ましいけれども、学外商議員の全員が総長決定選挙に参加することになったから、その員数に枠を設ける必要が生じたのである。こうして「商議員会規則」の第二条は、小委員会要綱案(五九四―五九五頁参照)の通り、学内商議員が二百二十七名以内、学外商議員が四百名以内と改正されている。選挙手続にも若干の修正が施された。評議員に欠員が生じた際には、従来は規則第十二条第二項の規定に則って補充選挙を行っていたのを、補充選挙そのものを廃止し、新設の第十六条において次点得票者を順次繰り上げて当選人とすると定めたのである。
今回の校規改正は、第四巻に説述した昭和二十一年と二十六年の改正に続く三回目の大改正であり、大学紛争の結果全国的に論議されることとなった大学改革論の一環と位置づけることができる。大学紛争は反体制運動の性格を帯びていたが、具体的な新体制への移行プログラムは示されていず、現行秩序に対する抵抗ないし反逆を基調とする心情的な運動でもあった。そうした心情は学生だけが抱いたのでなく、教職員の間にも多かれ少かれ浸透していた。管理社会化に伴う疎外感を抱いた教職員の希求したものが管理機構への参加であり、これが今回の校規改正を実現させたのである。
校規はその後、昭和五十年六月一日に住居表示が変更されたのに伴い、同年、第二条記載の学苑所在地が「東京都新宿区西早稲田一丁目六番一号」と改められる(第十四次改正)などの軽微な手直しが行われてきたが、創立百周年を迎えた五十七年には二度に亘って評議員定数が修正された。
先ず四月には、本庄高等学院の発足に伴い、第二十九条第一項第一号(六〇四頁参照)に規定されている職務上の学校長が一名増員されて十四名となり、同じく第六号の高等学院選出評議員数も合計二名となったほか、第五号の「付置研究所本属の専任教員」とあったのが「付置研究所、国際部、電子計算室および専門学校本属の専任教員」と改められ、国際部と電子計算室と早稲田大学専門学校の専任教員をも交えた中から選出される評議員を一名増員して二名となった。こうして学内選出評議員の数が増えたのに応じて、学の内外比の原則に基づき第八号および第九号の学外評議員も一名ずつ増加して十六名ずつに改定された。その結果、第二十八条の評議員定数は六十五名から七十名へと改められたのである。
次いで十月、大学院各研究科委員長六名と国際部長とが評議員に含まれることになり、第二十九条第一項第一号の定数は二十一名とされた。昭和五十一年に大学院が改革されたが、その際、五九八頁に説述した大学院委員会も大学院研究科委員長会に改組された。それ以来、各研究科から評議員を選出することにつき検討が重ねられてきた。評議員会の規模拡大には抵抗があったものの、五十七年に至って研究科委員長を職務上の評議員とすることが実現し、併せて国際部長をも同じく職務上の評議員としたのである。このように教員の評議員が七名増えたので、職員である評議員も増員してほしいとの要望も認められ、同項第二号に「職員である理事」一名が追加されて合計二名となった。その結果、学内評議員が八名増えたので、同項第八号および第九号の学外評議員の数も三名ずつ計六名増やして、第二十八条に定める評議員の定数は八十四名となった。こうして評議員会はかなり大きな会議体へと変容していったのである。