和暦 | 西暦 | 月日 | 事項 |
大正10年 | 1921年 | 2・7 | 中学卒業を入学資格とする2年制の高等学院第二部(文科のみ)の新設と,前年設置の3年制の高等学院の高等学院第一部(文科,理科)への改称とが,文部大臣の認可を得,4月より実施〈学報313・5,沿革〔ただし学報322・2には「1月27日」認可とある〕〉 |
2・8 | 維持員会,「聴講生規程」および「職員退職手当規定」の制定,田中唯一郎の名誉理事推薦,学生全員からの体育部費徴収を決議〈③50-51,651-653,795-796,維持〉 | ||
3・10 | 高等学院学友会,『学友会雑誌』創刊〈④671〉 | ||
3・11 | 「聴講生規程」が文部大臣の認可を得て4月より施行され,女子にも門戸が開かれる〈③50-51,795-796〉 | ||
3・16 | 「体育会規則」を制定,従来の体育部は4月より体育会と改称〈維持,③532〉 | ||
3・27 | 野球部,第4回アメリカ遠征のため横浜出航〈『早稲田大学野球部五十年史』162〉 | ||
3・31 | 前年に専門部へ編入した高等師範部(4年制)を再び専門部より分離・独立させるための学則変更が文部大臣の認可を得,4月より実施〈③89,記要17・131〉 | ||
4・1 | 高等学院第二部最初の入学試験を4日まで実施〈③72〉。また,高等予科は生徒募集を停止〈記要17・131〉 | ||
4 | 文学部・商学部・理工学部に初の女子聴講生十余人が入学〈③51,795-796〉 | ||
4 | 学歴水準の異る外国人および外地出身者の入学資格を緩和するための特科生制度が発足〈④632〉 | ||
5・9 | 外国人および外地出身者を試験実施の上正科生として入学させてよいとする文部省通牒により,前月発足の特科生制度が自然消滅〈③50,④632-633〉 | ||
5・9 | 佐藤功一,建築学科主任辞任し,内藤多仲就任〈沿革〉 | ||
5 | 馬術会設立〈③545〉 | ||
6 | 発足後間もなく分裂した民人同盟会に所属する学生が中心となって文化会結成〔4月説もあり〕〈③303〉 | ||
7・29 | 野球部,第4回アメリカ遠征より帰国〈『早稲田大学野球部五十年史』162〉 | ||
8・19 | 「学位規程」,文部大臣の認可を得る〈③46-47〉 | ||
9・15 | 維持員会,翌年4月より高等学院第一部を第一高等学院と,高等学院第二部を第二高等学院と改称することを決定〈維持,③73〉 | ||
9・21 | 理事田中穂積,欧米の教育制度視察のため横浜出航〈学報320・18-19,③52〉 | ||
9・26 | 名誉理事田中唯一郎死去〈学報320・12〉 | ||
10・4 | 維持員会において,政治経済学部長に安部磯雄,法学部長に寺尾元彦,文学部長に金子馬治,商学部長に田中穂積,理工学部長に山本忠興を嘱任し,理事に松平頼寿・平沼淑郎・浅野応輔・塩沢昌貞・田中穂積を,監事に宮田脩・坂本三郎を,第4代学長に塩沢昌貞を決定〈維持,③52〉 | ||
11・3 | 塩沢昌貞学長就任式挙行〈③53〉 | ||
11・27 | 第34回擬国会開催,今回にて擬国会は消滅〈②1022〉 | ||
11 | 学生の就職斡旋を扱う臨時人事係設置〈③365,沿革〉 | ||
12・2 | 11月に反軍ビラを撒いた(暁民共産党事件)暁民会の学生数名が退学処分を受け,民人同盟会は消滅〈③302〉 | ||
12・8 | 維持員会,杉山重義を第二高等学院長に嘱任,翌年4月就任〈維持〉 | ||
12・28 | 文部省の私立大学補助金第1回分が交付される〈③43〉 | ||
12・29 | 大隈重信,摂護腺癌破裂と診断される〈③109-110〉 | ||
大正11年 | 1922年 | 1・7-8 | 競走部,第3回箱根駅伝に初優勝〈③540,『早稲田大学競走部七十年史』32-34〉 |
1・10 | 総長大隈重信死去,享年83歳〈③110〉 | ||
1・17 | 日比谷公園で大隈重信の告別式挙行〈③114-115〉 | ||
1・27 | 維持員会,理事会の諮問機関として故総長大隈侯爵記念事業を検討するための内容充実方針委員会の委員4名と,大隈記念講堂の概要を検討するための建築委員5名とを嘱任〈③183,241〉 | ||
1 | 学苑生がしばしば集会に利用することになるスコット・ホールが早稲田奉仕園内に落成〈③262〉 | ||
2・20 | 維持員会,大隈信常からの大隈邸および庭園寄附の申し出に関し,条件の協議を4名の交渉委員に委ねることを決議〈③172〉 | ||
3・20 | 維持員会,大隈邸および庭園の受贈につき,謝礼を支払うとともにそれらを保存したいとの交渉委員の協議結果を承認し,謝礼100万円と記念講堂建築費100万円の寄附金募集を検討〈③174-175〉 | ||
3・20 | 維持員会,早稲田工手学校への女子入学許可を決議〈③799〉 | ||
3 | 第二高等学院校舎竣工〈③261,746〉 | ||
3 | 高等予科廃止〈③75〉 | ||
4・1 | 校医前田実,欧米の学校衛生視察に出発〈学報327・27〉 | ||
4・17 | 大隈信常より大隈邸および庭園の寄附状を受領〈沿革〉 | ||
4 | 「故総長大隈侯爵記念事業趣旨」発表〈③185-187〉 | ||
4 | 第一高等学院および第二高等学院が発足し,前者はP,後者はSの襟章で生徒を区別〈③73〉 | ||
4 | 早稲田工手学校,1学期6ヵ月の高等科を増設して修業年限を3年に延長〈③212〉 | ||
4 | 早稲田大学出版部,通信講義録『高等女学講義』創刊,優秀な卒業生には学部聴講生受験資格を付与〈③51,800〉 | ||
4 | 御大典記念事業の一部として機械工学科水力実験室が竣工〈②835,③229,442〉 | ||
5・6 | 理事田中穂積,欧米の教育制度視察より帰京〈学報328・27,③52〉 | ||
5 | 『早稲田大学理工学部紀要』創刊〈③166〉 | ||
6・6 | 故総長大隈侯爵記念事業後援会発足〈③187,189〉 | ||
9・1 | 学苑出身の教育関係者,早稲田教育会設立〈学報332・11〉 | ||
9・16 | 早稲田大学出版部,日用品を販売する代理部を設置,10月2日開店〈沿革,③496,500〉 | ||
10・20 | 学制頒布50周年記念を兼ねて創立40周年記念式典挙行〈③131-134〉 | ||
10・20 | 早稲田法学会,復活第1回大会開催〈③763〉,また『早稲田法学』創刊〈③166〉 | ||
10・23-28 | ニューヨーク市政調査会専務理事チャールズ・A・ビアードの講演会,4回に亘り開催〈④663-665〉 | ||
10 | 早稲田応用化学会設立〈沿革,③765〉 | ||
11・5 | 新聞学会(会長田中穂積),『早稲田大学新聞』創刊〈③413〉 | ||
11・22 | 大隈信常,青山南町の新邸に転居し,大隈邸および庭園ならびに大隈文書その他の引渡しを完了〈③175〉 | ||
11・29 | ベルリン大学教授アルベルト・アインシュタイン来学〈④665-666〉 | ||
12・25 | 大隈重信の遺著『東西文明之調和』刊行〈①48-49,③123-125〉 この年 青柳篤恒,校外教育部長就任〈③502〉 この年 馬術会と稲門乗馬会が合併して馬術部(部長浅井郁太郎)となる〈③545〉 | ||
大正12年 | 1923年 | 1・19 | 校医前田実,欧米の学校衛生視察より帰京〈学報336・16〉 |
1 | 学生団体としての建設者同盟が解散し,文化会の会員とともに文化同盟を結成〈③308,311〉 | ||
2・11 | 早稲田工手学校第21回卒業式挙行,各科優等卒業生への大隈綾子の賞品授与は今回が最後となる〈②336〉 | ||
3・1 | 学外団体としての建設者同盟,結盟を宣言〈③308-309〉 | ||
3・14 | 維持員会,校規(寄附行為)改正を決議。教旨を反映させるため本大学の目的に品性の陶冶と学術の普及を明文化し,総長・学長制を廃して総長制に一本化するとともに名誉総長制を新設し,終身維持員と有期維持員の区別を廃して維持員会推挙維持員と評議員会選出維持員の2種に分け,理事の定員を5名以内から7名以内へ増員し,評議員会の権限を若干強化したほか,大隈家寄附の土地は財団法人解散時に大隈家に帰属するという旧規定を削除〈③136-149〉 | ||
3・20 | 旧大隈邸を大隈会館と命名〈③176-177〉 | ||
4・1 | 大隈会館開館〈③177〉 | ||
4・4 | 学部卒業生に高等学校高等科教員無試験検定資格付与〈③48-49〉 | ||
4・5 | 学部卒業生および高等学院修了生に中等教員無試験検定資格付与〈③49-50〉 | ||
4・5 | 大隈綾子,慢性気管支カタル悪化〈③170〉 | ||
4・12 | 改正校規(寄附行為),文部大臣の認可を得る〈③138〉 | ||
4・15 | 第40回卒業証書授与式(第1回学部卒業生が出る)ならびに第一・第二高等学院第1回修了証書授与式挙行〈学報339・16-20〉。別格制度消滅〈③76〉 | ||
4・20 | 故総長大隈侯爵記念事業に対し天皇より5,000円下賜の御沙汰書を得る〈③193〉 | ||
4・28 | 大隈綾子死去,享年72歳〈③170〉 | ||
4 | 第1回学部卒業生を迎えて大学院発足〈③766〉 | ||
4 | 政治経済学部および専門部政治経済科,3学期制を改め,1学期で講義を完結させる2学期制を採用(不評のため大正13年に廃止)〈③256-257〉 | ||
4 | 専門部商科を第一部と第二部とに分け,第一部には実業学校教員志望者を,第二部にはそれ以外の者を入学させる〈③90,258〉 | ||
4 | 軍事研究団,設立趣旨および趣意書発表〈③321-323〉 | ||
4 | スケート・ホッケー部,体育会に加入〈③546〉 | ||
5・4 | 大隈綾子の葬儀・告別式挙行〈③170-171〉 | ||
5・5 | 改正校規(寄附行為)施行,塩沢昌貞学長は自動的に第2代総長となる〈③139〉 | ||
5・10 | 軍事研究団(団長青柳篤恒),発会式挙行。反軍国主義を唱える臨席学生との間で激論が展開(軍事研究団事件)〈③313-315〉 | ||
5・11 | 維持員会,大隈信常を名誉総長に推薦,理事を1名増員して高田早苗を理事に推薦。塩沢昌貞,総長辞任し,理事会,高田早苗を第3代総長に互選〈③149-150〉 | ||
5・12 | 理事会,常務理事を新設し,田中穂積就任〈③155〉 | ||
5・12 | 雄弁会主催の軍事研究団撲滅大会が開催され,文化同盟と体育部および縦横倶楽部とが乱闘〈③325-330〉 | ||
5・15 | 軍事研究団解散〈③333〉 | ||
5・20 | 文化同盟解散〈③335-336〉 | ||
5 | 籠球部,体育会に加入〈③546,『RDR60――早稲田大学バスケットボール部60年史――』12〉 | ||
6・2 | 高田早苗総長就任式挙行〈③153〉 | ||
6・5 | 治安警察法違反の嫌疑を受けて,恩賜記念館内にあった佐野学および猪俣津南雄の研究室が警察に捜索される(研究室蹂躙事件)〈③340-344〉 | ||
6・7 | 高田早苗の総長就任,文部大臣の認可を得る〈③153〉 | ||
6・11 | 早稲田大学出版部より総長用乗用車購入費が寄附されたことが維持員会に報告〈③497,維持〉 | ||
6・26 | 雄弁会主催の大学擁護演説会が開催され,研究室蹂躙事件で大学の独立と学問の自由に危機感を抱いた大山郁夫,「大学の使命とその社会的意義」と題して演説〈③348-350〉 | ||
9・1 | 関東大震災により,大講堂および大隈会館付属土蔵1棟全壊,応用化学実験室(豊明館)全焼等の被害を蒙る〈③195-197〉 | ||
9・7 | 大山郁夫,憲兵隊により自宅から拉致されるが,同夜に解放〈③350-352〉 | ||
9・16 | 学苑生,関東大震災の罹災者を救護するための早稲田大学学生震災救護団を結成〈③201-202〉 | ||
10・1 | 田中穂積,商学部長辞任し,平沼淑郎就任,安部磯雄,図書館長辞任し,林癸未夫就任〈学報358・5〉 | ||
10・8 | 維持員会,佐野学および猪俣津南雄の講師解任を決定,14日付で発令〈③344〉 | ||
10・11 | 関東大震災のために遅れていた授業,再開〈③203〉 | ||
10・15 | 早稲田大学出版部の株式が早稲田大学関係者以外の手に譲渡されるのを防止するための協定書に全株主が捺印〈③497-498〉 | ||
10 | 山岳スキー部が山岳部とスキー部とに分離・独立し,両部とも体育会に加入〈③543,544〉 | ||
11・1 | 学部・高等師範部・専門部を対象とする「学生委員会規則」施行〈③205-206〉 | ||
11・10 | 早稲田大学学生震災救護団を早大救護会に再編〈③202〉 | ||
11 | 防火・風致のため構内に約400本の植樹を決定〈③260〉 | ||
12・12 | 金子馬治,文学部長辞任し,教授会で片上伸選出,翌大正13年1月15日の維持員会で承認〈学報347・5,維持〉 | ||
12・15 | 第1回学生委員総会開催〈③206-207〉 | ||
12・18 | 理工学部の助教授制を他学部も採用し,教授・助教授・講師制が全学で実施〈②978,『自大正十年度至大正十三年度教務関係書類』〉 | ||
12・24 | 安部磯雄,政治経済学部長辞任し,教授会で塩沢昌貞選出,翌大正13年1月15日の維持員会で承認〈学報358・5,維持〉 この年春 政治学会,会則を制定〈③762〉 この年 臨時人事係,常設となって人事係と改称〈③365〉 この年 恩賜記念館内の物理実験室を基礎工学実験室に改装し,理工学部中央研究所基礎工学実験室とする〈③916〉 | ||
大正13年 | 1924年 | 1・25 | 新聞学会,五大学新聞連盟主催で普選問題講演会開催〈③418〉 |
2・1 | 1月25日の普選問題講演会を契機に全国学生普選連盟結成〈③418〉 | ||
2・2 | 専門部商科第一部の実業学校教員無試験検定資格が文部大臣の認可を得,3月以降の卒業生に適用〈③90,258〉 | ||
2・25 | 「専門学校令」に準拠する夜学の早稲田専門学校の設立認可を文部大臣に申請〈記要17・134〉 | ||
4・1 | 第二高等学院に教頭を置き,定金右源二嘱任〈③73,維持〉 | ||
4・8 | 専門部に部長を,新設の早稲田専門学校に校長を置き,坂本三郎にその兼務を嘱任〈維持〉 | ||
4・19 | 早稲田専門学校(政治経済科,法律科,商科を置き,中学卒業を入学資格とし,修業年限は3年),文部大臣の認可を得,開校式を挙行〈③210-211,214-216〉 | ||
4 | 理工学部電気工学科に電気通信科を増設して電気工学科との2分科制を採用〈③1003,記要17・134〉 | ||
4 | 高等師範部,予科を再設して,予科1年・本科3年となる〈③89〉 | ||
4 | ア式蹴球部(部長島田孝一),体育会に加入〈③542〉 | ||
5・20 | 専門部および高等師範部,高等学校・大学予科と同等以上の学校と認定され,卒業生には高等文官試験予備試験が免除されるとともに,選考試験を経て学部へ進学する道が開かれる〈③92〉 | ||
5 | 社会科学研究会(会長大山郁夫)発足〈③409〉 | ||
6・1 | 早稲田専門学校の学生委員会発足〈③207〉 | ||
6・5 | 「学生ノ会ニ関スル内規」施行〈③759-760〉 | ||
6・28 | 大山郁夫ら,新しい政党結成の第一着手として政治研究会の創立大会を開催〈③389-390〉 | ||
7・8 | 片上伸,文学部長辞任〈②694,維持〉 | ||
7 | 第一高等学院生高石勝男,第8回オリンピック(パリ大会)の水泳100メートルおよび1500メートルの自由形でそれぞれ5位〈③511,539〉 | ||
8 | 関東大震災で全焼した応用化学実験室,再建〈③261,442〉 | ||
9・15 | 各学部間の意思疎通を図るための「学部協議委員規程」施行〈③163〉 | ||
10・4 | 五十嵐力,文学部長嘱任〈②694-965,維持〉 | ||
10 | 政治経済学部および専門部政治経済科,前期試験を実施せず,2学期制を3学期制にもどす〈記要17・134〉 | ||
11 | 卓球部創立〈③547〉 | ||
12 | 校友会,校友の就職斡旋を行う職業相談部を開設〈③366,学報357・4〉 | ||
大正14年 | 1925年 | 1・17 | 中桐確太郎,高等師範部長嘱任〈維持〉 |
3・31 | 野球部の合宿所(のちの安部寮)竣工〈『早稲田大学野球部五十年史』242〉 | ||
3 | 大学部廃止〈③76〉 | ||
4・1 | 奨学金給与制度が設けられ〈③370-371〉,早稲田大学出版部奨学金が発足〈③496,維持〉 | ||
4・1 | 新卒業生の就職斡旋を扱う人事係,人事課に昇格〈③365,維持〉 | ||
4・1 | 大学が教職員に生命保険を掛け,当人死亡の際に遺族に保険金を支払う制度が発足〈③654〉 | ||
4・13 | 「陸軍現役将校学校配属令」公布〈③850-851〉 | ||
4・27 | 健康相談所(所長前田実),大隈会館内に開設〈③371〉 | ||
4 | 理工学部電気工学科の電気工学科を第一分科,電気通信科を第二分科と改称〈③1003〉,採鉱冶金学科の第3学年を採鉱専攻と冶金専攻とに分ける〈記要17・135〉 | ||
5・5 | 第一・第二高等学院の軍事教練に関し,陸軍現役将校配属申請書を提出〈③856,維持〉 | ||
5・15 | 政治経済学会,『早稲田政治経済学雑誌』創刊〈③166〉 | ||
5・30 | 語学力の涵養を希望する学生や校友に英語を講習する2年制の英語専攻科,開会式挙行(短命に終る)〈③258-260,学報365・5〉 | ||
6・1 | 早稲田商学同攷会,『早稲田商学』創刊〈③167〉 | ||
7・6 | 学部の軍事教練に関し,陸軍現役将校配属申請書を提出したことが維持員会で報告される〈③856〉 | ||
8・19 | 早稲田専門学校,高等学校・大学予科と同等以上の学校と認定され,卒業生には高等文官試験予備試験が免除されるとともに,選考試験を経て学部へ進学する道が開かれる〈③218〉 | ||
8 | 戸塚球場に25,000人収容可能の観客席竣工〈③261〉 | ||
9・15 | 学部および高等学院に初めて配属将校が着任したことが維持員会で報告される〈③856〉 | ||
9・15 | 西武鉄道株式会社より保谷村所在土地約25,000坪を寄附され,昭和6年以降,東伏見運動場として使用〈③261,1120〉 | ||
10・1 | 杉山重義,第二高等学院長辞任し,教頭定金右源二を院長事務取扱に嘱任〈『大正九年四月起 教員異動通知簿』〉 | ||
10・19 | 戸塚球場で復活早慶野球戦開催〈③522-523〉 | ||
10・20 | 御大典記念事業の図書館(現2号館)と学生ホールが,製図教室および第一高等学院プール(高石記念プール)ならびに正門(今日の通用門の辺り)とともに竣工し,開館式を挙行〈③236-240〉 | ||
11・3 | 10月15日に小樽高等商業学校で実施された軍事教練をめぐる事件に触発された新聞学会,雄弁会,社会科学研究会等の学生の会が全早稲田軍事教育反対同盟を結成して軍事批判演説会を開催〈③419〉 | ||
11・16 | 早稲田機友会,早稲田電気工学会,早稲田採冶会,早苗会,早稲田応用化学会の5分会より成る早稲田理工学会設立〈③765-766〉 | ||
12・1 | 学生の会の新設・継続の審査・承認に関する総長の諮問機関として科外教育審議会設置〈③409,760-761〉 この年秋 東京六大学野球連盟結成〈③521-522〉 | ||
大正15年 | 1926年 | 2 | 安部磯雄,野球部長辞任し,高杉滝蔵就任〈③527〉 |
3・15 | 中島半次郎,第一高等学院長辞任し,教頭野々村戒三を院長に嘱任,宇都宮鼎を第二高等学院長に嘱任〈維持〉 | ||
3・15 | 維持員会,学生の指導・各種会合・保健・宿舎に関する事項を管掌する学監部を4月1日に設置すると決定(実現せず)〈③410〉 | ||
3・30 | 政治経済学部卒業生に授与してきた政学士の学士号を,専攻により政治学士と経済学士とに分ける〈③16〉 | ||
3・31 | 「学生ノ会ニ関スル内規」廃止〈③761〉 | ||
4・1 | 「学生ノ会ニ関スル規則」施行〈③761〉 | ||
4・28 | 政学博士を廃して政治学博士と経済学博士を設ける改正「学位規程」の認可を文部大臣に申請〈③47,維持〉 | ||
4 | 第一・第二高等学院,定期試験を年2回に改めて3学期制を2学期制に変更〈③257〉 | ||
5 | 早稲田大学学生消費組合,東京学生消費組合の最初の支部として正門前に開店〈③370〉 | ||
6・2 | 政治経済攻究会(春に政治学会が改称),第1回会員研究報告会開催〈③762〉 | ||
6・28 | 改正「学位規程」,文部大臣の認可を得る〈③47,維持〉 | ||
6 | 安部前野球部長記念会,安部磯雄胸像建設資金および安部体育奨励基金の募金趣意書発表〈学報376・54-55〉 | ||
7・1 | 助手制度発足〈③166,④1134,学報378・5〉 | ||
9・1 | 人事課内に中等教員紹介係(主任中島半次郎)設置〈③366,学報380・16〉 | ||
9 | 早稲田工手学校予科に初めて女生徒2人が入学〈③799〉 | ||
10 | 早稲田大学出版部の代理部閉店し,営業権を丸善株式会社に譲渡,昭和20年5月まで丸善早稲田出張所として正門前で営業〈③500〉 | ||
10 | 神宮球場竣工,以後東京六大学野球戦はここで行われる〈③526〉 | ||
11・15 | 大隈侯八十五年史編纂会編『大隈侯八十五年史』第3巻刊行(続いて別冊『風雲偉観』が12月7日に,第2巻が12月8日に,第1巻が12月25日に刊行) | ||
12・5 | 社会民衆党結成され,安部磯雄,委員長に就任〈③392〉 | ||
12・8 | 維持員会,「会計規程」を改正し,会計区分を経常勘定と基本勘定に改めるとともに基金を使用目的別に分類,翌年度より実施〈④614-615〉 | ||
12・13 | 大山郁夫,労働農民党の中央執行委員長に選出〈③392〉 | ||
12 | 社会民衆党委員長となった安部磯雄,教授を辞して講師となることを申し出る〈③393〉 |