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年表(明治二十年~二十九年)

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和暦西暦月日事項
明治20年1887年5・9大隈重信,伯爵となる〈①624〉
8大隈英麿,校長を辞任〈①529〉
9前島密,第2代校長に就任〈①530〉
9政・法2学部に1年制の高等科を新設し,英学兼修科第3学年を併せて修了した学部卒業者を受け入れる〈①544-546〉
9講義録購読者に関する「校外生規則」を制定,また講義録を『政学部講義』と『法学部講義』との2種に整理〈①606-607〉
9政学講義会,東京専門学校出版局と改称し,10月より2種類の講義録の配本開始〈①605-606,607-609〉
11・30『中央学術雑誌』,第59号を以て廃刊
この年 寄宿舎の一部を改造して教室に転用〈①726〉
明治21年1888年2・1大隈重信,第1次伊藤博文内閣の外務大臣に就任〈①625〉
3・11東京五大法律学校聯合討論会,第1回会合開催〈①898-899〉
5・5「特別認可学校規則」公布〈①546-547〉
6・20「特別認可学校規則」に準拠した規則を公表し,入学年齢を2歳引き上げて17歳以上と改め,入学試験を甲乙2種に分けて甲種合格入学者を特別認可学生と認定し,高等科を廃止するとともに学部制を廃して,いずれも3年制の政治科,法律科(司法科すなわち第一法律科),行政科(第二法律科),英学本科,兼修英学科を設置〈①547-553〉
6・27東京五大法律学校,在学中の2・3年生にも特別認可学校の特典を与えるよう文部大臣に請願書を提出〈①906〉
7・20第5回卒業式において成績優秀者に大隈綾子名で賞品が贈られ〈『時事新報』明治21年7月22日号〉,以後大正7年まで(明治44年開校の早稲田工手学校では綾子死去の大正12年まで)慣例となる〈記要13・228-230〉
7寄宿舎が2棟増築され,計4棟となる〈①726〉
8・9帝国大学総長の「特別監督」を解かれて特別認可学校に指定され,文部省の管轄下に入り,高等文官試補試験の受験資格と判任官見習への無試験任用の特典が法律科に与えられる〈①553,970〉
10・25校外生・在学生・校友の組織する専門学会,『専門学会雑誌』発刊〈『専門学会雑誌』1・49-52〉
10講義録,『東京専門学校講義録』と改称し,政治科,司法科,行政科の3種類に増加〈①610〉
11従来通り邦語で教授する学科を邦語政治科,邦語第一法律科(司法科),邦語第二法律科(行政科)と改称し,英語で教授する英語政治科,英語第一法律科(司法科),英語第二法律科(行政科)を新設し(以上の専門諸科の修業年限は3年),英語教育に関しては2年制に改めて英学本科を英語普通科,兼修英学科を英語兼修科と改称し,英語普通科は英語専門諸科に進学する者または専ら英語を学ぶ者を受け入れることとし,専門諸科および英語普通科に進学する者のために2年制の予科(14歳以上で高等小学校卒業を入学資格とする)を新設,この月より実施し,「敢て彼の大学〔帝国大学〕に一歩を譲らざる覚悟なり」と自負〈①554-565〉
この年 擬律擬判(模擬裁判)開始〈①797-798〉
明治22年1889年2・6天野為之主筆の『日本理財雑誌』発刊
2・11「大日本帝国憲法」発布に伴い法律科の配当科目を修正〈①657〉
2・17高田早苗主筆の『憲法雑誌』発刊
5大隈重信の寄進による2階建大講堂落成〈①767〉
8・1『専門学会雑誌』,第10号を以て廃刊
9英語普通科と英語兼修科の修業年限を3年に延長するとともに,予科のそれを1年に短縮〈②565〉
10・18大隈重信,爆裂弾により右足切断〈①629-630〉
11・13『憲法雑誌』,第23号を以て廃刊
12・20『日本理財雑誌』,第22号を以て廃刊
12・24大隈重信,外務大臣辞任
明治23年1890年4・5『日本理財雑誌』と『憲法雑誌』とが合併して『公友雑誌』発刊
4・25『公友雑誌』,第2号を以て廃刊
5・30評議員会,文学科新設を決議〈①648〉
7・1高田早苗天野為之,第1回総選挙に立候補し当選〈①712,714,776〉
7前島密,校長を辞任,鳩山和夫,第3代校長に就任〈①638,641〉
9英語専門諸科の系列に文学科(3年制)新設〈①658-660〉
11・16第1回大演説討論会開催〈①807-808〉
明治24年1891年2東京専門学校出版局,麴町区3番町から学校内に移転し,講義録出版が東京専門学校の直営となる〈①767,②480〉
3・10ドイツ公使フォン・ホルレーベンおよび書記官ワイベルト博士来校(外国人来校の嚆矢)〈①821〉
3・27同攻会,機関誌『同攻会雑誌』発刊〈①591〉
4・22第1回擬国会開催〈①777-779〉
5・15司法省令により,特別認可学校の卒業生に判事検事登用試験の受験資格が与えられる〈①908〉
7・21校友岡田庄四郎,校友大会で商学科設立を提案〈②82-83〉
9予科を廃止し,学部制(政学部,法学部,文学部)を復活して各学部の教務および財務を独立させ,各学部担当の講師中より委員数名を選び当該学部を監督させる〈①684-685〉。更に,英語普通科を専修英語科,英語兼修科を兼修英語科と改称〈①688〉
10・20『早稲田文学』創刊〈①676〉
明治25年1892年3・15『同攻会雑誌』,第12号を以て廃刊
5・15『中央学術雑誌』(第2次)発刊〈①884〉
5・30高田早苗,牛込で暴漢に襲撃される〈①713〉
5小川為次郎田原栄に代り幹事に就任〈①702〉
7・11評議員会,商業科新設を協議〈②82-83〉
7・15臨時評議員会,商業科新設を否決,研究科の翌年2月設置を決議〈①686,②82-83〉
7・31各学部委員および講師会,カリキュラム改正と研究科設置と図書特別閲覧制度制定と科外講義実施を決議〈①685〉
9法学部の英語第一法律科(司法科)・邦語第一法律科(司法科)を英語法律科・邦語法律科と改称して司法科の名称を廃棄し,英語第二法律科(行政科)・邦語第二法律科(行政科)を英語行政科・邦語行政科と改称〈①689-696〉
10・20創立10周年記念祝典挙行〈①719〉
12・22英語会,発会式を挙行〈②540〉
明治26年1893年7・30校友会幹事会,校外生卒業者の準校友扱いを決議〈①702〉
8巡回学術講話会を各地で開催,ユニヴァーシティ・エクステンションを制度化〈①833-840〉
9研究科(2年制)を新設し,法学部の英語法律科と英語行政科を廃止〈①698-699〉
10・9司法省令により,法律学を3年以上修めた者に判事検事登用試験の受験資格が与えられる〈①908〉
11・4「特別認可学校規則」廃止〈①908〉
11・30第2次『中央学術雑誌』,発禁処分により第2巻第15号を以て廃刊〈沿革〉
12・14司法省告示により司法省の指定学校となり,判事検事登用試験の受験資格が法律科に与えられる〈①700,908,970〉
明治27年1894年1・28校友会,初の推選校友10人を決定〈『明治廿七年十二月調 第九回報告校友会名簿』13〉
3・28政治,経済,法律などの学術普及を目的とする中央学会,『中央学術雑誌』の後継誌として『中央時論』発刊
5フランス人教授ミシェル・ルヴォン,外国人初の科外講義を行う〈①821〉
8・11小川為次郎,幹事辞任,市島謙吉就任〈①702〉
9在学中の徴兵猶予と卒業後の1年志願兵の資格が法律科に与えられる〈①700,970〉
明治28年1895年1・1大隈重信の母三井子死去〈沿革〉
1・6大隈三井子葬儀〈『中央時論』10・57〉
1文学科講義録を発刊〈①851〉
2・10小野梓10周年追悼会挙行〈『中央時論』11・55〉
4・20寄宿舎生を中心とする早稲田倶楽部(体育部の前身),発会式を挙行,撃剣・相撲・庭球・野球の4種目を行う〈①1016-1017,②553〉
4・30校外生卒業生の校内生第3学年への編入試験規定制定〈①703〉
5同攻会の所蔵図書移譲の申し出を承けて,特別図書室を開設〈①888〉
7・20第12回卒業式で校友山沢俊夫が校友総代として祝詞を述べ,以後,校友総代の祝詞が慣例となる〈①702〉
92ないし4科目のみを履修して修了する文学科選科を文学部に設置し,他学部の科目を希望者に聴講させる特別科の制度を定め,兼修英語科の修業年限を1年延長して4年とする〈①703〉
10欧米の名著を翻訳した『早稲田叢書』,出版部より創刊〈①704-705,852-853〉
明治29年1896年1・26早稲田法学会発足〈②521〉
3・12東京府知事,早稲田尋常中学校設立を認可〈①708,726〉
4・5早稲田尋常中学校(校長大隈英麿,教頭坪内雄蔵)開校式を挙行〈①708,②86〉
7・9早稲田倶楽部,体育館建設資金募集に着手〈①1018〉
8・20『中央時論』,第27号を以て廃刊〈①889〉
9・22大隈重信,第2次松方正義内閣の外務大臣に就任
9専修英語科を廃して4年制の英語学部(第3学年修了者には英語政治科または文学部への入学を認める)を新設,また各学部に主任講師(政学部天野為之,法学部平田譲衛,文学部坪内雄蔵,英語学部片山潜)を置く〈①706-708,736〉
11早稲田文学会,第1回会合開催〈②522〉
12・20体育館「七徳堂」の落成式挙行〈①1018,②553〉