和暦 | 西暦 | 月日 | 事項 |
昭和20年 | 1945年 | 1・11 | 中村宗雄,専門部法律科長辞任し,大浜信泉嘱任〈理事〉 |
1・11 | 理事会,屋外の幾つかの銅像を取り外して屋内に保管し,銀牌を全部供出すると決定〈④97〉 | ||
1・20 | 早稲田高等工学校を「専門学校令」に基づく学校に昇格させて早稲田工業専門学校を4月より開校したいと文部省に認可を申請(認可されず)〈④34〉 | ||
2・1 | 商学部を4月より産業経営学部と改称することを文部省に申請(実現せず)〈③987,④51〉 | ||
2・8 | 理事会,早稲田工手学校を工業学校に昇格させることを決定(実現せず)〈④34〉 | ||
3・1 | 理事林癸未夫,常務理事に就任〈④94〉 | ||
3・1 | 理事会,理工学部実験室屋上のアンテナや戸塚道場の照明塔の撤去を決定〈③758,④96〉 | ||
3・5 | 理工学部1年生と専門部工科1年生とで成る学徒消防隊が結成式を挙行,各消防署へ配属〈④96,121,164-165〉 | ||
3・10 | 学徒消防隊の学苑生7人,東京大空襲で焼死〈④121,164-165〉 | ||
3・18 | 内閣,「決戦教育措置要綱」決定,国民学校初等科を除く学校における授業を4月1日より向う1年間停止〈④44,108〉 | ||
3・20 | 研究および教育施設の新設・拡充ならびに田中穂積前総長記念事業等に要する資金の調達を目的とする臨時資金部設置〈④527〉 | ||
3・29 | 幹事・副幹事制を廃止〈④95〉 | ||
3 | 教場での一斉入学試験を中止し,内申書に基づく人物・知力の総合考査により合否を判定〈④98〉 | ||
4・1 | 専門部工科に生産技術科増設〈④31-33〉 | ||
4・2 | 最初の2年制第一・第二高等学院修了生を迎えて学部入学式挙行〈『早稲田学園彙報』昭和20年5月1日号〉 | ||
4・27 | 文学部教室と武道館,東部軍が使用〈④97〉 | ||
4 | 学徒錬成部廃止に伴い,同音楽隊は音楽協会に復旧〈④586〉 | ||
5・1 | 本部事務組織を教務部(教務課・学生課)・経理部(会計課・調度課・施設課)・庶務部(庶務課・人事課)の3部7課制に改組し,学徒錬成部を廃止してその管掌事務を学生課に吸収したほか,法文系事務所(連合事務所)を廃止〈④95-96,105,131〉 | ||
5・10 | 空襲による被害拡大を予防するため,第二高等学院に近接する木造建物4棟の取り壊し決定〈④96〉 | ||
5・20 | 教務部,『早稲田学園彙報』〔第5号〕刊行,これを以て廃刊〈④535〉 | ||
5・22 | 「戦時教育令」(勅令第320号)公布され,報国隊を廃止,また6月下旬までに学徒隊結成を義務づける〈④109,132〉 | ||
5・25 | 空襲により,第一高等学院校舎,理工学研究所,大隈会館,恩賜記念館,電気・機械実験室,製図教室,専門部工科校舎等全焼,演劇博物館,文学部・高等師範部校舎,商学部校舎,理工学部研究室等半焼〈④140-152〉 | ||
6・29 | 食糧増産,軍需生産,防空防衛等に教職員・学生生徒を動員するための学徒隊,結成式挙行〈④132〉 | ||
7・12 | 大隈会館焼け跡の一部と戸塚道場の一部を農耕地として憲兵司令部へ貸与を決定〈④97〉 | ||
7・17 | 御真影,軽井沢の旧野球部合宿所に疎開〈④143〉 | ||
7-8 | 図書館・演劇博物館・本部の図書・書類・器具の一部を疎開〈④99〉 | ||
8・7 | 豊川海軍工廠への空襲により,勤労動員中の学苑生15人死亡〈④127,134-147〉 | ||
8・15 | 終戦の詔書放送(第二次世界大戦終結) | ||
8・16 | 学徒勤労動員解除〈④133〉 | ||
8・23 | 陸軍軍事教官退任〈③874〉 | ||
8・28 | 文部省,9月中旬より授業再開を指令〈④315-316〉 | ||
8・30 | 特設防護団解散〈④295〉 | ||
9・6 | 優等賞廃止〈③647〉 | ||
9・8 | 御真影,軽井沢より復校〈④143〉 | ||
9・8 | 第一・第二高等学院,授業再開〈記要17・162〉 | ||
9・11 | 学部・専門部・高等師範部の最高学年を除く各学年,授業再開〈④316〉 | ||
9・15 | 日高只一,高等師範部長辞任,原田実,第一高等学院長辞任し,第二高等学院長赤松保羅を高等師範部長に嘱任,岡村千曵を第一・第二高等学院長兼務に嘱任〈④318,理事〉 | ||
9・20 | 小野梓賞廃止〈③639〉 | ||
9・30 | 学部・専門部・高等師範部・早稲田専門学校,卒業式(後3者は5回目かつ最後の繰上げ卒業(修業年限6ヵ月短縮))挙行〈記要17・162-163〉 | ||
10・1 | 学部第2・3学年,授業再開〈④316〉 | ||
10・3 | 千葉県印旛郡佐倉町所在の元東部第64部隊兵舎へ高等学院を移転するとともに農学部をも新設する計画を立て,その一時借用を申請〈④296,525〉 | ||
10・4 | 理事塩沢昌貞死去(7月7日)および杉森孝次郎辞任(昭和19年10月5日)に伴い,堤秀夫および磯部諭一郎,理事に就任,また磯部に代って黒田善太郎,監事に就任〈維持〉 | ||
10・4 | 林癸未夫,政治経済学部長辞任し,久保田明光嘱任,中村宗雄,法学部長辞任し,大浜信泉嘱任,北沢新次郎,商学部長辞任し,伊地知純正嘱任,大浜信泉,専門部法律科長辞任し,中村弥三次嘱任〈理事〉 | ||
10・6 | 「戦時教育令」廃止〈④294〉 | ||
10・11 | 専門部・高等師範部・早稲田専門学校の制帽を丸帽から角帽にもどす〈④295〉 | ||
10・28 | 神宮球場で六大学OBの紅白野球試合開催〈④169,564〉 | ||
11・15 | 陸海軍諸学校の生徒を転入学させる〈④318〉 | ||
11・18 | 神宮球場でOB・現役一体のオール早慶野球戦が戦後最初の早慶戦として挙行〈④564-565〉 | ||
11・22 | 「体育会規程」制定され,体育会復活〈④562-563〉 | ||
11・23 | ラグビー蹴球部のOBおよび学生,早慶戦挙行〈④567〉 | ||
11・26 | 第二高等学院生,学生大会を開き,陸士海兵からの優先転学反対を決議(戦後学生運動の嚆矢)〈④453〉 | ||
11・29 | 中島正信,科外講演部長嘱任,伊地知純正,体育会長嘱任〈④562,理事〉 | ||
11上旬 | 疎開させていた図書・書類・器具の復校完了〈④295〉 | ||
12・1 | 学友会復活〈④453〉 | ||
12・6 | 臨時佐倉設営部(部長内藤多仲)設置〈④296〉 | ||
12・7 | 「学生ノ会ニ関スル規則」を廃止し,「学生団体規程」制定〈④453,578〉 | ||
12・8 | バスケットボール部,復活第1回早慶戦挙行〈④569〉 | ||
12・10 | 全学学生大会開催され,学生共済会設立を決議〈④450〉 | ||
12・13 | GHQその他外部機関との折衝に当る連絡部(部長伊地知純正)設置〈④437,理事〉 | ||
12・15 | 臨時資金部,戦災復興計画の遂行をも担って再発足〈④527〉 | ||
12・21 | 政治経済学部教授会,アメリカ亡命中の大山郁夫の教授復帰を決議〈④499〉 | ||
12・26 | 東伏見学生寮(約280人収容可能)修復〈④447〉 | ||
12・27 | 御真影を文部省に奉還〈④295〉 | ||
12・31 | 理工学部の石油工学科を燃料化学科と改称し,機械工学科の航空力学および航空機の2科目を廃止し,専門部工科航空機科を運輸機械科と改称したほか,早稲田高等工学校航空機科を廃止し,その2年生は機械科または電気科の第2学年に,1年生は本人の希望する他科の第1学年に転科させる〈④344-348,記要17・163〉 | ||
12上旬 | 早大職員消費組合結成〈④478〉 この年秋 社会主義・共産主義の研究を目指す社会科学研究会結成〈④585〉 この年秋 学生雄弁会および弁論部結成〈④587-588〉 | ||
昭和21年 | 1946年 | 1・10 | 理事会,『早稲田大学新聞』の復刊を許可し,年額2万円の補助金支給を決定〈④591〉 |
1・15 | 学部・付属学校の学生委員,連合学生委員会結成〈④454〉 | ||
1・18 | 文化会幹事会結成〈④454〉 | ||
1・22 | 体育会幹事会結成〈④454〉 | ||
1・25 | 中野登美雄,総長辞任〈④19,306〉 | ||
1・26 | 連合学生委員会・文化会幹事会・体育会幹事会が一体となった学生自治委員会,学生大会を開催し,学生自治会の承認と私学の復興と戦災校舎の復旧を決議〈④454〉 | ||
1・29 | 千葉県印旛郡佐倉町所在の元東部第64部隊兵舎の一時借用につき許可を得るが,高等学院の佐倉移転および農学部の新設計画は実現せず〈④296,525〉 | ||
1・31 | 理事会,校規を改正して総長決定方法を改めることを決議し,これが実現するまで総長欠員のままとし,常務理事林癸未夫を総長事務代行とする〈理事〉 | ||
1・31 | 理事会,学苑周辺の都市計画を立案するための早稲田文教地区計画委員会の設置を決議〈理事〉 | ||
2・1 | 京口元吉,文学部講師に復職〈④306,518〉 | ||
2・8 | 職員会(委員長吉田初雄),「早稲田大学職員会規約」施行〈④476-478〉 | ||
2・12 | 維持員会,校規改正案起草委員会(委員長黒田善太郎)設置を決議〈④404-405〉 | ||
2・14 | 興亜人文科学研究所,人文科学研究所(所長北沢新次郎)と改称〈④1144〉 | ||
2・25 | 新聞会,『早稲田大学新聞』(当初は『早大新聞』)再刊〈④591-592〉 | ||
2 | 排球部,戦後第1回部員総会を開催し,活動再開〈④573〉 | ||
2頃 | 学生自治委員会の有志による大山郁夫帰校促進準備会発足〈④501〉 | ||
3・7 | 第二高等学院教員組合(代表委員長竹野長次)結成〈④471-474〉 | ||
3・14-4・18 | 「高等学校規程中改正」(昭和21年5月4日付文部省令第18号)により高等学校・大学予科の修業年限が3年に延長される結果,昭和21年度より第一・第二高等学院の修業年限が3年に復旧するため,今回は高等学院修了者が皆無となるので,一般より入学志願者を公募して学部編入試験実施〈④348-349,『早大新聞』昭和21年2月25日号〉 | ||
4・1 | 「大学院特別研究生規程」施行,文部大臣の認可承認を得ていた特別研究生関係事項が総長の処理に委ねられる〈④24-25,349〉 | ||
4・15 | 維持員会,校規改正案起草委員会の答申を承けて,校規および維持員会規程・評議員会規程の改正ならびに総長選挙規程の新設を決議,19日に改正校規認可願を文部大臣に申請し,5月10日に認可を得,5月15日より発効〈④407-419〉 | ||
4 | 各学部とも選択科目を大幅に復活させて学年制を加味した科目制に改めるとともに,文学部は各学科の専攻を復活させた上で芸術学専攻を哲学科から文学科へ移し,哲学科の倫理学専攻を廃止し,文学科の露文学専攻を復活させ,史学科に人文地理学専攻を新設〈④356,358-392〉 | ||
4 | 高等学校および大学予科の修業年限が3年に復旧したのに伴い,第一・第二高等学院も3年制となる〈④348-349〉。また,昭和16年度に設置された特修科を廃止〈記要20・212-213〉 | ||
4 | 専門部および早稲田専門学校の経営科,旧称の商科に改める〈④356〉 | ||
4 | 高等師範部は4年制に復旧して女子の入学を認めると同時に,英語科の生徒募集を再開し,国民体錬科を体育科と改称するとともに専攻科を廃止し,社会教育科を新設〈④342-344,348,350,356-357〉 | ||
4 | 早稲田工手学校の生徒募集を停止し,夜間4年制の早稲田工業学校(校長山ノ内弘)を開校,早稲田工手学校在籍者を早稲田工業学校の第1または第2学年へ移行〈④1029〉 | ||
4 | 早稲田文教地区計画委員会,早稲田文教地区案を完成(実現せず)〈④314〉 | ||
4 | フェンシング部(部長滝口宏),体育会に加入〈④574〉 | ||
5・1 | 学生共済会,事業開始〈④450-451〉 | ||
5・27 | 学生雄弁会と弁論部,合併して雄弁会(会長中谷博)となる〈④588〉 | ||
5・31 | 理事会,学生自治会の設立を承認〈④454,457〉 | ||
6・7 | 評議員会(会長新井章治),新校規による維持員35名を選出〈④429〉 | ||
6・10 | 総長選挙人会(総数90名)が招集されて津田左右吉を総長に選出,津田は総長就任を固辞〈④424-426〉 | ||
6・14 | 大山郁夫帰校促進準備会,大山招聘の決議文採択し,大山郁夫帰校促進会と改称〈④501-502〉 | ||
6・15 | 維持員会,小汀利得を維持員会長に選出し,大隈信常を新校規に基づく名誉総長に推挙〈④429-430〉 | ||
6・15 | 工芸美術研究所付属技術員養成所(所長今和次郎),東伏見運動場の旧体育部校舎で開校,本科1年・専攻科2年のうち本科の授業を開始〈④357-358,記要17・168〉 | ||
6・23 | ア式蹴球部,部員総会を開き活動再開〈④568〉 | ||
6・29 | 総長選挙人会が再度招集されて島田孝一を第6代総長に選出〈④427-428〉 | ||
6下旬 | 「好ましからざる教育者」を追放するための「早稲田大学学部教員適格審査委員会規程」制定され,大規模な審査開始〈④306,480〉 | ||
6頃 | 自動車部,活動再開〈④573〉 | ||
7・5 | 維持員会,新校規による理事および監事を選出し,総長島田孝一のほかに赤松保羅・伊原貞敏・大浜信泉・反町茂作・上坂酉蔵(酉三)・吉村正が理事に,黒田善太郎・板谷宮吉が監事に就任〈④430〉 | ||
7・15 | 維持員会,上坂酉蔵(酉三)・伊原貞敏・吉村正の常務理事就任を承認〈④430〉 | ||
8 | 早稲田大学出版部,戦争末期に中断した通信講義録『中学講義』と『女学講義』の刊行再開〈④556〉 | ||
9・16 | 各学部長,付属学校長,付属機関長で構成される部科長会設置〈④434-435〉 | ||
9・16 | 本部事務組織の3部7課制を廃止し,秘書課・庶務課・教務課・学生課・就職課・調査課・教育普及課・会計課・営繕課の9課制に改めたほか,連絡部を渉外部と改称〈④436-437〉 | ||
9・17 | 島田孝一総長就任式挙行〈④428,431〉 | ||
9・26 | 理事会,千葉県印旛郡佐倉町所在の元東部第64部隊兵舎借用を断念,臨時佐倉設営部を廃止,30日の維持員会はこれを承認〈④296〉 | ||
9・30 | 人文科学研究所,機関誌『人文科学研究』第1号発刊〈④1145〉 | ||
9 | 上坂酉蔵(酉三),早稲田専門学校長辞任し,安部民雄,校長事務取扱嘱任〈理事〉 | ||
10・1 | 政治経済学部に新聞学科を増設し,同学部1年生および在学生中より希望者50人を編入して発足〈④351-353〉 | ||
10・1 | 日高只一,文学部長辞任し,谷崎精二嘱任,内藤多仲,理工学部長辞任し,山本研一嘱任,岡村千曳,第一・第二高等学院長辞任し,第一高等学院長に渡鶴一嘱任,第二高等学院長に竹野長次嘱任,中村佐一,専門部政治経済科長辞任し,時子山常三郎嘱任,中村弥三次,専門部法律科長辞任し,外岡茂十郎嘱任,安部民雄,早稲田専門学校長嘱任〈理事〉 | ||
10・8 | 文部省,教育勅語奉読の廃止を通達〈④295〉 | ||
10・24-26 | 「日本国憲法」(11月3日公布,昭和22年5月3日発効)啓蒙のため新憲法講座を大隈講堂で開催,一般に公開〈④302〉 | ||
10 | 佐野学,商学部講師に復帰〈④517-518〉 | ||
10 | 石川登喜治,鋳物研究所長辞任〈理事〉 | ||
11・12-16 | 津田左右吉,大隈講堂で特別講演会開催〈④426〉 | ||
11・13 | 新憲法公布の式典を大隈講堂で挙行〈④302〉 | ||
11・14 | 中島正信,科外講演部長辞任〈理事〉 | ||
11・17-12・5 | 文部省の委嘱による公民文化講座を5回に亘り大隈講堂で開催〈④309-310〉 | ||
11・21 | 中谷博,科外講演部長嘱任〈理事〉 | ||
12・5 | 企画委員会(委員長吉村正)設置,早稲田大学のあり方を多角的に審議〈④439,917-918〉 | ||
12・10 | 教育制度研究委員会(委員長島田孝一)発足,新制早稲田大学の基本構想を検討〈④918-921〉 | ||
昭和22年 | 1947年 | 1・11 | 名誉総長大隈信常死去,以後名誉総長を置かず〈④430〉 |
1・15 | 付属機関長を選挙で選ぶことを謳った「図書館規程」「坪内博士記念演劇博物館規程」「理工学研究所規程」「鋳物研究所規程」制定・施行(選挙制は永続せず)〈④435,1142〉 | ||
1・22 | 企画委員会,入試制度刷新などを総長に建議〈④439〉 | ||
2・15 | 維持員会,各付属機関において選出された候補者を長に嘱任し,図書館長は林癸未夫から岡村千曳に交替,鋳物研究所長は飯高一郎となる(演劇博物館長吉村繁俊と理工学研究所長内藤多仲は重任)〈④1143,維持〉 | ||
2・15 | 臨時資金部廃止〈④527-528〉 | ||
3・1 | 理事会の諮問機関として教職員の採用・解任を審議する人事委員会設置〈④310,437〉 | ||
3・31 | 「教育基本法」および「学校教育法」公布〈④913-916〉 | ||
3 | 軟式庭球部(部長末高信),体育会に加入〈④576〉 | ||
4・10 | 「早稲田大学学生自治会規程」施行〈④458-462〉 | ||
4・25 | 教育普及課(のち早稲田大学彙報編輯室)より『早稲田大学彙報』創刊〈④540,777〉 | ||
4 | 早稲田工業学校に新制中学校を併設,3年生のみを収容し,早稲田工業学校が次年度に早稲田工業高等学校に昇格するとともに廃校となる〈④356,926,1029-1030〉 | ||
5・7 | 「学生団体規程」に代えて「学生の会に関する規程」制定・施行〈④578-580〉 | ||
5・22 | 各学生の会の代表者から成る文化会設立準備委員会,第1回会合開催〈④580〉 | ||
5・29 | 大隈精神昂揚講演会,6月20日まで3回に亘り大隈講堂で開催〈④439-440〉 | ||
5・30 | GHQより公職追放の指令を受けた石橋湛山,維持員および評議員の辞任願を提出〈④311-312〉 | ||
6・12 | 教職員と学生との意思疎通を図るための「教職員学生協議会規程」制定・施行〈④463-465〉 | ||
6・23 | 「早稲田大学学生自治会規程」に基づく第1回自治議会が26日まで開催され,人事委員会廃止をはじめ17項目から成る決議文を総長に提出〈④465-467〉 | ||
6・27 | 上坂酉蔵(酉三),理事(常務理事)辞任し,池原義見,理事(常務理事)就任〈④430〉 | ||
7・8 | 大学基準協会創立,会員校の資格審査の基準となる「大学基準」決定〈④916,『大学基準協会十年史』96-97〉 | ||
7末 | 早稲田大学復興会発足,復興費2,000万円(のち1億円に修正)の募金を開始,併せて地方校友会の再建に努める〈④528-529,621〉 | ||
9・16 | 教育制度研究委員会,答申書「学制改革に関連して本大学の採るべき方策について」を総長に提出〈④918-924〉 | ||
9・19 | 文化団体連合会(文化会設立準備委員会の後身)の常任委員会,文化団体連合会規約草案を決定し,翌20日に学苑当局に承認を求める〈④580〉 | ||
9・28 | 学部卒業式挙行(9月挙行の卒業式は今回で最後)〈記要17・170〉 | ||
9・29 | 英語の勉学を希望する在学生および校友を対象とする3ヵ月課程の特設英語講座,開講式挙行(翌昭和23年9月より12月までの第4回を以て廃止)〈記要17・170-171〉 | ||
10・10 | 教育制度改革委員会(委員長大浜信泉)発足,新制早稲田大学の構想を更に検討〈④924〉 | ||
10・15 | 維持員会,教旨検討委員会(委員長大浜信泉)の設置を決定〈④439,1068〉 | ||
10・23 | 大山郁夫,亡命先のアメリカより帰国〈④504-507〉 | ||
10・28 | 大学・学生自治会共催による大山郁夫先生歓迎大会,大隈講堂で開催〈④510-511〉 | ||
10・29 | 維持員会長小汀利得,GHQより公職追放の指令を受ける〈④312〉 | ||
10 | 会計課を経理課と,学生課を学生生活課と改称したほか,資材課を新設〈④437〉 | ||
12・15 | 小汀利得,維持員会長辞任し,原安三郎就任〈④312-313〉 この年 軟式野球部(部長毛利亮),体育会に加入〈④575〉 | ||
昭和23年 | 1948年 | 1・15 | 文部省,大学設置委員会を設置し,大学基準協会の採択した「大学基準」を基に新制大学設置審査を行う〈④916〉 |
1 | 早稲田大学出版部,戦争末期に中断した通信講義録『商業講義』の刊行再開〈④558〉 | ||
1 | 津田左右吉,昭和21年11月に大隈講堂で行った特別講演会の速記に手を入れて『学問の本質と現代の思想』を出版し,その印税を津田奨学資金として寄贈〈④426〉 | ||
2・12 | 吉村正,理事(常務理事)辞任〈④430〉 | ||
2・18 | 本部事務組織に部制が復活し,総務部(秘書課,庶務課,経理課,就職課),教務部(教務課,学生生活課,調査課,教育普及課),施設部(営繕課),渉外部の4部9課となる〈④437-438,維持〉 | ||
3・16 | 教育制度改革委員会,『学制改革要綱(案)』を答申〈④924,930-932〉 | ||
3・26 | 日本私立大学協会結成〈④1057-1058〉 | ||
3 | 早稲田工業学校廃校〈④1029-1030〉 | ||
4・1 | 大山郁夫,政治経済学部および専門部政治経済科教授に復職〈④480,515-516〉 | ||
4・1 | 年金制度の整備に伴い「教職員積立金規程」廃止〈④1167〉 | ||
4・29 | 戦時中に中断した春季校友大会,5年ぶりに開催〈④544-545〉 | ||
4 | 専門部政治経済科に自治行政専攻を設置〈④354-356〉 | ||
4 | 高等師範部体育科は生徒募集を停止するとともに,在籍する2・3年生の修業年限を3年に短縮〈④344〉 | ||
4 | 新制の夜間4年制の早稲田工業高等学校(機械科,電気科(第一分科,第二分科),金属工業科,建築科,土木科)が発足し,早稲田工業学校の生徒を第1・2学年に移行させて4月24日に開校式(校長山ノ内弘)を挙行〈④356,819,1029-1030〉 | ||
4 | 工芸美術研究所付属技術員養成所,生徒募集を停止〈④358〉 | ||
5・10 | 本部事務組織が統廃合され,調査課と教育普及課を廃止し,秘書課を秘書役と,庶務課を総務課と改称し,施設部に臨時建設課と総務部に資材課を新設〈④438〉 | ||
5・14 | 久保田明光,理事就任〈④430-431,維持〉 | ||
7・14 | 「人文科学研究所規程」制定,翌15日施行され,人文科学研究所は大学直属の付属機関となる〈④1144-1145〉 | ||
7・20 | 『早稲田大学彙報』第2巻第7・8号刊行,これを以て廃刊〈④545〉 | ||
7・30 | 新制早稲田大学の設置認可を文部大臣に申請〈④932〉 | ||
9・15 | 第一・第二高等学院,専門部,高等師範部,早稲田専門学校に学部教授会と同等の教授会を設け,かつこれらの付属学校長を教授会の選挙に委ねる〈④434〉 | ||
9・18 | 全日本学生自治会総連合(全学連)結成大会,20日までの3日間に亘り学苑および東京商科大学で開催〈④468〉 | ||
9・20 | 校友会,『早稲田学報』復刊第1号刊行〈④546-547,777-778〉 | ||
10・3 | 早稲田工手学校,最後の卒業式を挙行し,11月1日付で廃校〈④1029〉 この年春 伊地知純正,体育会長辞任し,堤秀夫就任〈理事〉 この年 東洋美術陳列室,図書館2階の小部屋に開設〈④1146〉 | ||
昭和24年 | 1949年 | 1・20 | 早稲田大学奨学基金を設定し,大日本育英会の奨学金を貸与されていない学生に授業料相当額を給与〈④441-442,理事〉 |
2・1 | 文化団体連合会,大学より公認〈④580-584〉 | ||
3・26 | 第一・第二高等学院,最後の修了式を挙行,修了生は4月開校の新制学部の第3学年に進学し,第1・2学年修了生はそれぞれ新制学部の第1・2学年に移行〈記要17・172〉 | ||
3・26 | 野球部および稲門クラブ,安部磯雄(2月10日死去)追悼式を戸塚球場で挙行,戸塚球場を安部球場と,合宿所を安部寮と改称〈④565〉 | ||
3・31 | 第一・第二高等学院廃校〈④1036〉 | ||
4・1 | 久保田明光,第一政治経済学部長(政治経済学部長兼務)嘱任,大浜信泉,第一法学部長(法学部長兼務)嘱任,谷崎精二,第一文学部長(文学部長兼務)嘱任,赤松保羅,教育学部長(高等師範部長兼務)嘱任,伊地知純正,第一商学部長(商学部長兼務)嘱任,山本研一,第一理工学部長(理工学部長兼務)嘱任,時子山常三郎,第二政治経済学部長(専門部政治経済科長兼務)嘱任,外岡茂十郎,第二法学部長(専門部法律科長兼務)嘱任,佐藤輝夫,第二文学部長嘱任,末高信,第二商学部長(専門部商科長兼務)嘱任,堤秀夫,第二理工学部長(専門部工科長兼務)嘱任,竹野長次,早稲田高等学院長嘱任〈④936,1038,維持〉 | ||
4・1 | 体育部(部長事務取扱佐々木八郎)新設され,新制学部全学生を対象に保健体育科目の授業を担当〈④946〉 | ||
4・1 | 早稲田奉仕園の土地・建物(昭和18年1月取得)の基督教新生社団(日本バプテスト伝道社団の後身)への返還契約締結〈④1120-1121〉 | ||
4・15 | 時子山常三郎,専門部政治経済科長辞任し,久保田明光嘱任(政治経済学部長・第一政治経済学部長兼務),外岡茂十郎,専門部法律科長辞任し,大浜信泉嘱任(法学部長・第一法学部長兼務),末高信,専門部商科長辞任し,伊地知純正嘱任(商学部長・第一商学部長兼務),安部民雄,専門学校長辞任し,時子山常三郎嘱任〈維持〉 | ||
4・16-18 | 新制早稲田大学各学部,第1回入学式挙行〈学報3巻4号・4〉 | ||
4・21 | 新制早稲田大学の設立,文部大臣の認可を得る。第一政治経済学部(政治学科,経済学科,新聞学科,自治行政学科),第一法学部,第一文学部(哲学科〈東洋哲学専修,西洋哲学専修,心理学専修,社会学専修,教育学専修〉,文学科〈国文学専修,英文学専修,仏文学専修,独文学専修,露文学専修,芸術学専修〉,史学科〈国史専修,東洋史専修,西洋史専修〉),教育学部(教育学科,国語国文学科,英語英文学科,社会科),第一商学部,第一理工学部(機械工学科,電気工学科,鉱山学科,建築学科,応用化学科,金属工学科,電気通信学科,工業経営学科,土木工学科,応用物理学科,数学科),第二政治経済学部(政治学科,経済学科),第二法学部,第二文学部(哲学専修,心理学専修,社会学専修,教育学専修,日本文学専修,外国文学専修,芸術学専修,史学専修),第二商学部,第二理工学部(機械工学科,電気工学科,建築学科,土木工学科)を置き,新制高等学校卒業を入学資格とし,修業年限は4年となる〈④932〉 | ||
4・22 | 教旨検討委員会の建議に基づき教旨を改訂し,「立憲帝国の忠良なる臣民として」の語句を削除〈④439,1069〉 | ||
4・23 | 早稲田高等学院(新制中学卒業を入学資格とし,修業年限3年),第1回入学式挙行〈④1038〉 | ||
4・24 | 新制大学開設記念式典,安部球場で挙行〈④932〉 | ||
4 | 学部(旧制)・専門部・高等師範部・早稲田専門学校・高等工学校,学生・生徒募集を停止〈記要17・173〉 | ||
4 | 早稲田大学出版部,従来の通信講義録『中学講義』『女学講義』『商業講義』を『中学科講義』『商業高等科講義』に全面的に改めたほか,『新制高等学校講義』を発刊〈④942〉 | ||
4 | 劇研究会と学生劇場とが合併して演劇研究会結成〈④590〉 | ||
5・6-13 | 第1回大隈記念祭開催〈④441,519,1099-1100〉 | ||
5・25 | 新制早稲田大学の内容に添った改正校規が文部大臣の認可を得,施行〈④1075〉 | ||
5 | 戸山町の早稲田高等学院および早稲田工業高等学校の校舎新築第1期工事竣工〈④1120,1121〉 | ||
6・10 | 坪内雄蔵の旧宅「双柿舎」(在熱海)が国劇向上会より譲渡される〈④1122〉 | ||
6・10 | 維持員会,学徒錬成部跡地の一部3,188坪の売却決定〈⑤158〉 | ||
6・15 | 大隈信幸より大隈重信関係文書が寄贈される〈③175-176,④1148,学報3巻8号・3〉 | ||
6・28 | 総長選挙人会,島田孝一を総長に再選〈④1096〉 | ||
6 | 部科長会を学部長会議と改称〈④1133〉 | ||
7・1 | 高田馬場‐早大正門間にスクールバス開通〈学報3巻7号・1〉 | ||
7・4-8・6 | 夏季学期開催〈④940,理事〉 | ||
7・5 | 赤松保羅・伊原貞敏・久保田明光,理事辞任し,伊地知純正・山本研一・吉村繁俊・吉村正就任〈維持〉 | ||
7・5 | 久保田明光,政治経済学部長・第一政治経済学部長・専門部政治経済科長辞任し,中村佐一嘱任〈維持〉 | ||
7・25 | 本部事務組織を改め,秘書役を総務部より独立させて秘書室とし,学生厚生部を新設して総務部より就職課を,教務部より学生生活課をこれに移し,第二学部関係の事務連絡を統轄する第二事務部と,校外教育を担当する教育普及部を新設,また教務部に調査課復活〈④1156〉 | ||
7 | 古川晴風ら4名,第1回ガリオア基金留学生に選抜〈学報3巻8号・1,④1185〉 | ||
10・1 | 外岡茂十郎,第二法学部長辞任し,和田小次郎嘱任,山本研一,第一理工学部長辞任し,堤秀夫嘱任(理工学部長・専門部工科長兼務),堤秀夫,第二理工学部長辞任し,帆足竹治嘱任,師岡秀麿,体育部長嘱任〈維持〉 | ||
10・6 | 科外講演部廃止〈④1156〉 | ||
11・1-15 | 早稲田祭(準公認第1回)開催〈⑤822〉 | ||
11・3 | 津田左右吉,文化勲章受章〈⑤942-943〉 | ||
11・17 | 「副手規程」制定〈④1135〉 | ||
12・1 | 面影橋‐高田馬場駅間に都電開通〈④726,『早稲田大学新聞』昭和24年11月下旬号,⑤845〉 | ||
12・15 | 「私立学校法」公布,翌昭和25年3月15日施行〈④1059,1071〉 | ||
12・22 | 寄附生命保険を朝日生命保険相互会社と契約〈④1127〉 | ||
昭和25年 | 1950年 | 1・21 | 維持員会,昭和20年12月修復の東伏見学生寮3棟の富士産業株式会社よりの買収を決定〈④1122〉 |
2・15 | 理事会,大隈研究室設置を決定し,4月,図書館内に発足〈④1148〉 | ||
2 | 大学院設置準備委員会設置〈④1006〉 | ||
3・1 | 教員個人に対する研究助成を行う「特殊研究助成費規程」制定,4月1日より施行〈④1154-1155〉 | ||
3・1 | 双柿舎を運営する双柿会発足し,双柿舎を一般に公開〈④1179〉 | ||
3・31 | 工芸美術研究所付属技術員養成所廃止〈④358,⑤36〉 | ||
4・10 | 高等学院ならびに早稲田工業高等学校校舎新築第2期工事竣工〈④1120,1121〉 | ||
4・12 | 国会稲門会結成〈学報600・29〉 | ||
4・22 | 教員が1年間講義を担当せず人文科学研究所で研究に専念するための学内派遣研究員制度(国内研究員制度の前身)発足〈④1149,1153〉 | ||
5・2 | 大学院設置準備委員会,報告書を総長に提出〈④1006〉 | ||
5・20 | 健康相談所を廃止し,現1号館地下に設けられた診療所(所長日影董)開所式挙行〈④1170-1172〉 | ||
6・11 | 戸塚警察署,5月30日の「人民大会事件」に関連して学生自治会事務所および共産党細胞事務所を捜索〈⑤327-328〉 | ||
6・15 | 大浜信泉,理事辞任し,吉村正の後任と併せて,小林八百吉および外岡茂十郎,理事就任〈維持〉 | ||
6・28 | 大隈会館の復旧工事竣工し,翌29日に開館式挙行〈④1120,1122〉 | ||
8・9-25 | 教育普及部と校友会の共催により北海道および東北地方で第1回社会教育講座を開催〈学報603・28,⑤626-627〉 | ||
9・28 | 学生自治会,レッド・パージ反対を掲げて学生大会を開催強行,大会後のデモで警官隊と小ぜり合い〈⑤328-329〉 | ||
10・17 | 学生自治会,レッド・パージ反対および平和と大学擁護を訴える集会を開いたのち構内をデモ行進し本部2階会議室に乱入,これを占拠したので,学苑当局は戸塚警察署に警官隊の出動を要請,警官隊は143人(うち学外者40人)を検挙〈⑤331-332〉 | ||
10・18 | 9月28日事件およびその後の試験ボイコットに関与した学生26人を除籍等処分〈⑤333〉 | ||
10・27 | 10月17日事件で検挙された学生のうち86人を除籍処分〈⑤333〉 | ||
10 | 診療所に歯科およびレントゲン科増設〈④1172〉 | ||
11・3 | 正宗忠夫(白鳥),文化勲章受章〈⑤942〉 | ||
12・15 | 維持員会,「私立学校法」に基づく学校法人早稲田大学校規を承認〈④1080-1089〉 | ||
12・15 | 教員の海外留学を再開するための「留学生規則」制定〈④1150-1152,1182〉 | ||
12・20 | 付属早稲田高等学院を早稲田大学高等学院と,付属早稲田工業高等学校を早稲田大学工業高等学校と改称〈④1030,1038〉 | ||
昭和26年 | 1951年 | 2・15 | 学校法人早稲田大学校規,文部大臣の認可を得る〈④1089〉 |
3・1 | 新校規を登記,財団法人時代の維持員(維持員)会は評議員(評議員)会,評議員(評議員)会は商議員(商議員)会と改称〈④1089〉 | ||
3・25 | 旧制学部最後の卒業式と新制学部最初の卒業式挙行〈記要19・93〉 | ||
3・26 | 初の「年金規則」制定,4月1日より施行〈④1164〉 | ||
3 | 工業高等学校の卒業生若干名を第二理工学部へ推薦入学許可〈⑤302〉 | ||
4・1 | 第一文学部文学科の芸術学専修を廃止し,演劇専修および美術専修を新設〈④941〉 | ||
4・1 | 新制大学院の修士課程発足,5日に文部大臣の認可を得る。政治学研究科(政治学専攻),経済学研究科(経済学専攻),法学研究科(民事法専攻,公法学専攻,基礎法学専攻),文学研究科(東洋哲学専攻,西洋哲学専攻,心理学専攻,社会学専攻,教育学専攻,日本文学専攻,英文学専攻,仏蘭西文学専攻,独逸文学専攻,露西亜文学専攻,芸術学専攻),商学研究科(経営学専攻,商学専攻),工学研究科(機械工学専攻,電気工学専攻,建設工学専攻,鉱山及金属工学専攻,応用化学専攻)を設置〈④1005〉 | ||
4・1 | 工業高等学校の金属工業科,生徒募集を停止〈④1031,⑤301〉 | ||
4・25 | 喜久井町の理工学研究所の復旧工事竣工〈④1120,1122-1123,1147〉 | ||
5・11 | 新制大学院,第1回入学式挙行〈学報612・32〉 | ||
5・15 | 総務部より経理部を分離・独立させるとともに,総務部を庶務部と改称〈④1156-1157〉 | ||
5・31 | 高等師範部および早稲田専門学校廃校〈④950,⑤36-38〉 | ||
5・31 | 体育部および体育会のあり方を検討する体育制度委員会(委員長大浜信泉)設置〈理事,⑤791-792〉 | ||
5 | 大隈研究室,『大隈研究』第1輯刊行〈④1149〉 | ||
6・22 | 日本私立大学連盟結成〈④1060-1062〉 | ||
7・1 | 健康保険組合,厚生大臣より設立認可を得る〈④1173〉 | ||
7・31 | 早稲田大学復興会廃止〈④1129〉 | ||
9・15 | 寄附金を扱う常設機関として資金部設置〈④1129〉 | ||
9・22 | 総長選挙人会,島田孝一を総長に三選〈④1097〉 | ||
10・15 | 「部科長会規程」を廃止し(ただし部科長会は昭和24年6月に学部長会議と改称),「学部長会規程」制定,翌昭和27年1月16日施行〈④1132-1133〉 | ||
10・16 | 学生共済会解散し,早稲田大学消費生活協同組合結成〈⑤781-782〉 | ||
10・21 | 空襲で焼失した恩賜記念館の跡地に法文系大学院校舎(現7号館)と,その西側に理工系大学院校舎(現12号館)とが竣工し〈④1120,1123-1124〉,大隈講堂で新制大学院開設式を挙行〈学報616・28〉 | ||
10・31 | 専門部および高等工学校廃校〈④356,950,1036,⑤38〉 | ||
昭和27年 | 1952年 | 4・1 | 教育学部の教育学科を教育学課程と教育行政課程と社会教育課程の3課程に,社会科を地理歴史課程と社会科学課程の2課程に分ける〈④1055〉 |
4・1 | 大学院文学研究科に史学専攻(修士課程)設置〈④1008,記要19・97〉 | ||
4・22 | 運動各部の選手育成だけでなく体育部で正課体育の指導をも担当していた体育会と,各学部の保健体育教育を担当する体育部とを廃止し,両者を統合した体育局(局長大浜信泉)設置〈④947,⑤791-792〉。運動各部の部員は正課の体育実技を免除〈記要19・97〉 | ||
4・22 | 校規改正案起草委員会が設置され,法人役員の任期延長および増員を検討〈④1091-1092〉。校規改正は見送られる | ||
5・8 | 5月1日の「血のメーデー事件」に関係した学苑生を調査中の神楽坂警察署員が構内で学生の吊るし上げに遭い,救出のため警官隊が突入して多数学生が負傷(「5月8日早大事件」)〈⑤341-348〉 | ||
5・21 | 「5月8日早大事件」に関し校友国会議員の調停により大学と警察との和解成立〈⑤354-355〉 | ||
5 | 大学院博士課程設置研究委員会設置〈④1006〉 | ||
7・1 | 第二事務部と渉外部を廃止し,学生厚生部を学生部,教育普及部を社会教育部とそれぞれ改称し,教務部より調査課を分離・独立させて調査部とし,庶務部に厚生課を新設〈④1157〉 | ||
9 | 小倉房蔵寄贈の完之荘の大隈庭園内への移築完成〈④1122〉 | ||
10・18 | 大学院博士課程設置研究委員会,博士課程に関する成案を総長に提出〈④1006〉 | ||
10・18 | 共通教室校舎(21号館――現10号館)竣工〈④1120,1124〉 | ||
10・21 | 創立70周年記念式典挙行〈④1106-1112〉 | ||
12・5 | 教員互助会発足〈④1167-1168〉 | ||
昭和28年 | 1953年 | 1・26 | 山岳部,アコンカグア登頂〈④1188〉 |
4・1 | 文学研究科史学専攻および法学研究科基礎法学専攻を除く大学院各研究科で博士課程発足,また商学研究科の経営学専攻を廃止〈④1007-1008,1055,記要19・99〉 | ||
4・1 | 教員互助会を廃止して教職員厚生会発足〈④1168〉 | ||
4 | 音楽協会より管弦楽団およびグリー・クラブが分離・独立〈⑤829,831〉 | ||
7・15 | 総長および理事の任期を3年から4年に延長,監事の任期を3年から2年に短縮し,理事を7名以内から9名以内に,評議員を45名から57名にそれぞれ増員するとともに,常務理事の呼称を常任理事に改める改正校規が評議員会で承認される。9月24日に文部大臣の認可を得,法人役員全員改選の翌昭和29年9月1日より施行〈④1094〉 | ||
7 | 平田冨太郎・一又正雄・飯島小平,戦後最初の学苑派遣海外留学生として欧米に出発〈④1182,1187〉 | ||
8・23 | 大日本育英会,日本育英会と改称〈『日本育英会十五年史』195,④1136〉 | ||
10・15 | 勤続30年に達した専任教職員を対象とする永年勤続教職員表彰制度を制定し,10月21日の創立記念日に表彰〈④1162〉 | ||
11・3 | 小川健作(未明),文化功労者受章〈⑤944〉 | ||
12・10 | 人事委員会廃止〈④1131〉 | ||
12・17 | 学苑の教育制度全般について再検討するため学制研究委員会(委員長大浜信泉)設置〈④1158,⑤257〉 | ||
12・17 | 野球部,台湾遠征に出発,翌年1月帰国〈④1182,1189-1190〉 この年 教員の海外留学が困難なため,国内の他大学や企業に1年間派遣する国内留学制度発足〈④1186〉 この年 健康保険組合,逗子の民家を初の保養所として購入〈④1178〉 | ||
昭和29年 | 1954年 | 1・30 | 応用化学科教室(9号館――現6号館)第1期増築工事竣工し,応用化学科は早稲田奉仕園よりここに移る〈④1120,1121,1124-1125〉 |
3・31 | 早稲田奉仕園の土地・建物をすべて旧所有者の基督教新生社団に返還〈④1120,1121〉 | ||
4・1 | 大学院文学研究科史学専攻に博士課程設置,工学研究科に応用物理学専攻(修士課程)設置〈④1008,1056,記要19・101-102〉 | ||
4・1 | 工業高等学校の土木科,生徒募集を停止〈⑤301〉 | ||
5・15 | 早稲田大学出版部より土地を借用して南門筋向いに学生会館竣工〈④1120,1125〉 | ||
5 | 練馬区上石神井所在の智山学園の土地・校舎および周辺土地を購入〈⑤155〉 | ||
9・1 | 前年に改正された校規施行〈④1094〉 | ||
9・22 | 総長選挙人会,大浜信泉を総長に選出〈④1137-1139〉 | ||
10・1 | 任期満了により,島田孝一,総長退任 | ||
10・2 | 大浜信泉,第7代総長に就任 | ||
10・19 | 大浜信泉総長就任式挙行〈⑤50-51〉 | ||
11・3 | 山田三良,文化功労者受賞〈⑤944〉 | ||
11・20-24 | 大学側の意向を無視して早稲田祭挙行(のちにこれを第1回と数える)〈⑤823〉 この年 東洋美術陳列室,学生会館に隣接する早稲田大学出版部元倉庫に移転〈④1146-1147〉 この年 健康保険組合,水上町湯檜曾に奥利根荘を,東京都西多摩郡檜原村に山の家を開設〈④1178〉 |