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年表(昭和十年~十九年)

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和暦西暦月日事項
昭和10年1935年2・7恩賜記念賞審査委員長が推薦した学生の優秀な研究に対して授与する教職員賞制定(昭和18年まで継続)〈③627〉
2・7理事会,『早稲田大学新聞』の復刊を許可〈③771〉
2・28名誉教授坪内雄蔵死去,享年75歳〈③661-662〉
3・14大学部商科および商学部出身者,商学部校舎改築促進会の発起人会を開催し,30万円の募金を開始〈③751,学報482・63〉
3・15退職金を補充するために「教職員積立金規程」制定,4月1日施行〈③656〉
3・15平沼淑郎,早稲田専門学校長辞任し,中村万吉嘱任〈維持〉
4・24『早稲田大学新聞』復刊〈③771〉
4商学部,7分科制を廃止して選択科目2部制を採用し,第2・3学年で第一部から2科目,第二部から1科目を選択させる〈③991〉
4理工学部,各学科に工業経営分科を増設,電気工学科は合計4分科となる〈③995-998,1004〉
4早稲田高等工学校,修業年限を半年延長して2年半とし,これを5期に分ける〈③1021〉
4経済学偏重の政治経済攻究会に不満を持つ政治経済学部政治学科の学生,政治学会(会長浮田和民)創立〈③762〉
6・10専門部・高等師範部校舎(現1号館)竣工〈③747〉
9末専門部・高等師範部校舎の北側空地に鳩の家完成〈③756〉
9末-10正門が今日の位置に移築され,門柱および門扉撤去〈③755〉
11・15上原鹿造の死去(11月4日)に伴い,早川徳次,監事就任〈維持〉
11・20西村真次小野梓伝』,冨山房より刊行
11・21冨山房主坂本嘉治馬より寄附された1万円を基金として小野奨学基金設定〈③638〉
11・23大隈庭園内で小野梓胸像(本山白雲作)除幕式挙行〈③639-640,⑤168〉
12・6満州国留日早稲田大学学生会発足〈④640-641〉
昭和11年1936年1・16理事会,3大節(紀元節,天長節,明治節)奉祝行事を本年より実施することを決定〈理事〉
2・11教職員および学生,宮城前広場に参列して紀元節奉祝式を挙行。以後,毎年の紀元節に奉祝式が行われる〈『早稲田大学新聞』昭和11年2月5日号,学報462・9〉
2・262・26事件勃発〈③879-880〉
2第4回冬季オリンピック(ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会)で,専門部生石原省三,スピード・スケート500メートルに4位(日本初の入賞)〈③516〉
4・20教育に関する勅語(教育勅語)謄本の下付を文部大臣に申請〈④295〉
4・27文部省,天皇機関説問題と絡む教員思想調査の一環として憲法の担当教員および講義内容に関する報告書の提出を指令,5月20日に回答〈③835,『昭和十一年四月起 文部省関係書類』〉
4・29天長節奉祝式を戸塚球場で挙行し,田中穂積総長が教育勅語を奉読。以後,毎年の天長節に勅語が奉読される〈④295〉
4早稲田工手学校,予科の修業年限を2ヵ月延長して1年とし,2年半制の本科の開始期が4月および10月になるとともに,電工科を電気科と改称〈③1020-1021〉
5・5西村真次(編)『小野梓全集』全2巻,冨山房より刊行
5・15西武鉄道東伏見駅前に競泳用プール竣工〈③1120〉
6・1第一・第二高等学院,襟章を学院別・学年別・クラス別を示すものに改める〈学報496・9〉
7・23-8・1中等学校教員を対象とする夏期講習会開催〈③1115-1117〉
7・30西武鉄道東伏見駅前に飛込用プール竣工〈③1120〉
8・1-8第3回日米学生会議,学苑で開催〈④659-660,『開戦前夜のディスカッション――日米学生交流五十年の記録――』204-205〉
8第11回オリンピック(ベルリン大会)で,校友西田修平,棒高跳に2位,商学部生牧野正蔵,水泳400メートル自由形に3位入賞〈③516〉
9・10理工学部応用化学実験室(現6号館北側)竣工〈③747〉
9・17理事会,御真影の奉戴を決議〈③864〉
10・5御真影の下賜願書を文部大臣に提出〈『自昭和十一年十月至昭和二十年十二月御真影拝戴に関する一件書類』〉
11・3教職員および学生,明治神宮参拝。以後,毎年の明治節に参拝が行われる〈学報501・8〉
この年 専門部の学生委員,週番委員を設けて風紀維持に当る〈③881〉
昭和12年1937年2・15保谷村の土地7,158坪を西武鉄道より買収することを決定〈③754〉
4・1牧野謙次郎死去(3月24日)に伴い,原田実,高等師範部長嘱任〈学報506・29〉
4・29天長節祝賀式と併せて,教職員および学生代表委員,恩賜記念館貴賓室に奉安の御真影を初めて遙拝〈『早稲田大学新聞』昭和12年4月28日号〉
4・29盲聾啞克服者ヘレン・ケラー,大隈講堂で講演〈④667〉
4文学部,学生の減少により文学科の露西亜文学専攻を廃止するとともに,カリキュラムを,哲学科・文学科・史学科3学科共通の基礎学科目と,哲学科・文学科の専攻共通科目と,各専攻の科目とに3層構造化する(史学科の専攻共通科目は昭和13年4月より発足)〈③991-993〉
4隣接地に校地拡張を目的とする皇紀2600年奉祝創立60周年記念事業の資金100万円募金開始〈③622,846〉
5高等学院だけでなく学部・専門部・高等師範部でも体格検査実施〈③881〉
5健康相談所にレントゲン設置〈③881〉
6・15金子馬治死去(6月1日)に伴い,吉江喬松,理事就任〈学報509・7〉
7・7北京郊外の蘆溝橋で日中両軍が衝突(日中戦争(「支那事変」と呼称)勃発)〈③811〉
7・15維持員会,各務幸一郎の寄附金30万円で鋳物研究所を建築すること,および,建築費30万円のうち20万円を限度として学苑が立て替えて商学部校舎を建築することを決議〈③748,751〉
7・25-31中等学校教員を対象とする2回目で最後の夏期講習会開催〈③1117〉
7・27木村鬼雄,華北南苑で戦死(校友最初の戦争犠牲者)〈④158,203〉
8・24内閣,「国民精神総動員実施要綱」決定〈③814-815〉
9・9理事会,応召教職員に関する「昭和12年支那事変応召者取扱内規」を定めるとともに,学生・生徒の応召者は休学扱いとすることを決定〈③818〉
9・9理事会,職員で組織する特設防護団の設置を決定〈④120,152〉
9・10理工学部実験室(現6号館南側)竣工〈③748〉
9・14-21田中穂積総長,各学部・付属学校ごとに8回に亘り「非常時局に直面して学徒に告ぐ」と題して訓示〈③820-821,882-883〉
9・15-19特設防護団,初めて防空演習実施〈学報512・18〉
9・23早稲田工手学校,軍用機献納金920円を東京朝日新聞社に委託〈③826〉
9・24田中穂積総長,学界を代表して東京中央放送局より「国民精神総動員について」を放送〈③820〉
9・25調査課員岡崎確,北支で戦死(教職員最初の戦争犠牲者)〈③818,④157,182〉
9教職員・学生・校友会,恤兵金6,052円を陸軍省および海軍省に献納〈③826〉
10・2田中穂積総長,キング・レコードに「非常時局ニ直面シテ」を録音〈③820〉
10・2文学部生小森忠夫,山西省朔県で戦死(在学生最初の戦争犠牲者)〈③817,④162〉
10・19田中穂積総長,『ジャパン・アドヴァタイザー』に声明書“Japan Stands for Justice(正義の日本)”寄稿〈③820〉
11・3正門を入って左側の植込みに国旗掲揚場と建学之碑が完成し,国旗掲揚式並建学之碑除幕式挙行〈③629-630,755〉
12・14戸塚球場で南京陥落祝賀式挙行〈③820,823,885〉
昭和13年1938年3・26早稲田実業学校長天野為之死去,享年77歳〈③666〉
3・30戸塚町所在相馬邸土地8,861坪(甘泉園)の移転登記完了〈③637,753,754〉
4・1石川登喜治,10月開所予定の鋳物研究所の所長に嘱任〈③912-913〉
4・1「国家総動員法」公布,5月5日施行〈③816〉
4・18石川登喜治,理工学部応用金属学科教務主任嘱任〈理事〉
4・18徳永重康,早稲田高等工学校長辞任し,内藤多仲,嘱任〈理事〉
4・18前年春に衆議院議員となった喜多壮一郎,科外講演部長辞任し,出井盛之,嘱任〈③1104,理事〉
4・25-12・24「東亜の文化開発に雄飛すべき青年学徒を養成」するための特設東亜専攻科(夜学)を設置し,4月27日に開講式を挙行〈③824,838〉
4文学部哲学科に芸術学専攻増設〈③993〉
4理工学部に応用金属学科増設〈③837〉
6・1中村万吉死去(5月24日)に伴い,高井忠夫,早稲田専門学校長に嘱任〈維持,学報520・11〉
6・1教員の満70歳停年制が採用され,昭和18年4月1日より実施〈③990〉
6・2教練を行う体操教員に軍服着用を義務づける〈③865〉
7・5東亜経済資料室,10月竣工予定の商学部校舎内に設けられることとなり,関係諸機関および校友会支部に資料寄贈と協力を依頼〈③932-933〉
7・14維持員会,「鋳物研究所規程」を承認,4月1日に遡って適用〈③912〉
7・14維持員会,西武鉄道東伏見駅前のプール所在地2,000坪の買収を決定〈③753,754〉
7戸塚町に鋳物研究所竣工〈③748,912〉
10・1理事・商学部長平沼淑郎の死去(8月14日)に伴い,北沢新次郎,商学部長に嘱任(理事は補充せず)〈③1059〉
10・8商学部校舎(現11号館)竣工〈③748〉
10・21鋳物研究所開所式挙行〈③909,912〉
10・25故大隈総長生誕100年記念祭挙行〈③631-636〉
10・28戸塚球場で漢口陥落祝賀式挙行〈③820,894〉
12・3名誉学長高田早苗死去,享年78歳〈③664〉
12・5高田早苗の大学葬挙行〈③664-665〉
12各学部・付属学校各科より教員1名合計12名をそれぞれ4週間前後,中国大陸視察に派遣〈③745,838〉
昭和14年1939年1・14維持員会,女子の学部入学を認めるための学則改正を決議,2月15日に文部大臣の認可を得る。女子高等師範学校本科または女子専門学校本科の卒業者あるいは修業年限3年以上の官立教員養成所の女子修了者を学部入学資格者に包含する〈③802〉
1・24専門部に工科(機械工学科,電気工学科,建築学科,土木工学科)新設が文部大臣の認可を得る〈③1012〉
1・27米式蹴球部(部長中島太郎)およびヨット部(部長杉山謙治),体育会に加入〈③1144,1145,『早稲田大学新聞』昭和14年2月1日号〉
2・1内藤多仲,4月開設予定の専門部工科長に嘱任,また各科に主任を置き,機械工学科主任に山ノ内弘,電気工学科主任に川原田政太郎,建築学科主任に吉田享二,土木工学科主任に内藤多仲を嘱任〈③1013〉
4・1専門部に工科開設〈③1012〉
4・1専門部各科の教務主任を1名ずつ増員して2名ずつとする〈理事〉
4・21-25第3回日比学生会議,学苑で開催〈④660,『早稲田大学新聞』昭和14年4月26日号〉
4文学部哲学科の支那哲学専攻を支那学専攻と,西洋哲学専攻を哲学専攻と改称したほか,印度哲学専攻を廃止〈③993〉
4早稲田高等工学校の修業年限を半年延長して3年とし,入学時期を年1回4月に改め,5期に分けられていた科目制が1年2学期の学年制となる〈③1021〉
4軍事教練,学部の必修科目となる〈③858,865〉
4女子4人が初めて学部に入学〈③804-805〉
5・1特設東亜専攻科,2回目の入学式挙行(翌年度は聴講生募集を停止するので,特設東亜専攻科は2年間のみ存在)〈学報532・13〉
5・30「陸軍現役将校学校配属令」制定15周年記念の閲兵分列式が5月22日に挙行された際に天皇が下賜した「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」の奉読式が戸塚球場で挙行〈③895-896〉
6・27支那事変勃発2周年記念勅語奉読式並興亜青年勤労報国隊壮行会,大隈講堂で開催〈③1042〉
8・30興亜青年勤労報国隊に参加した学生64人,満州および北支より帰国〈③897〉
9・1ドイツ,ポーランドに侵攻(第二次世界大戦勃発)
9・20興亜青年勤労報国隊に参加した指導教官および隊員による報告講演会を科外講義として開催〈③1042〉
10・4徳永重康,平沼淑郎死去後1名欠員であった理事に就任,名取夏司の死去(3月11日)により1名欠員の監事に磯部愉一郎就任〈学報536・16〉
11・1内藤多仲,早稲田高等工学校長を辞任し,吉田享二,嘱任〈理事〉
11・10銃後国民育成の強化徹底を図るため「国民精神総動員早稲田大学実行委員会規程」施行〈③830-831〉
11・16玉井勝則火野葦平),大隈講堂で「戦線より帰りて」と題する科外講演を開催〈③898-899,1111〉
12・24津田左右吉の学説を攻撃する『原理日本』臨時増刊号刊行〈③1068〉
昭和15年1940年1・9文部省,津田左右吉の解職を要求〈③1073-1074〉
1・11文学部教授会,津田左右吉の辞任を承認し,田中穂積総長,津田の解職を文部省に報告〈③1074-1075〉
1・25早稲田大学出版部からの寄附金を基に,教職員退職基金を補う「出版部基金」設定,4月1日実施〈③656-657〉
2・9理事・早稲田工手学校長徳永重康の死去(2月8日)に伴い,山ノ内弘,早稲田工手学校長嘱任〈理事〉
2・10内務省,津田左右吉著『神代史の研究』『古事記及日本書紀の研究』の発禁,『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』の一部削除の処分を行う〈③1062,1075-1076〉
3・9津田左右吉および岩波書店主岩波茂雄,出版法違反により起訴〈③1076〉
3・15徳永重康の後任として,杉森孝次郎,理事就任〈学報542・12〉
3・15理工学部研究所(創立50周年記念事業の一環であった理工学部中央研究所新設構想を変更したもの)を設立するため,喜久井町の土地1,918坪および建物524坪の買収を決定〈③920-921〉
4・12理事・文学部長吉江喬松の死去(3月26日)に伴い,日高只一,文学部長嘱任〈理事〉
4・12西村真次著『大和時代』『日本古代社会』『日本文化史概論』絶版勧告を受けてこれに従ったことを文部省に報告〈③835,1062,『昭和十五年三月 文部省関係書類』〉
4理工学部採鉱冶金学科は第一分科(採鉱)・第二分科(冶金)・工業経営分科の3分科制を採用〈記要17・148〉
4青年学校義務制(昭和14年4月26日公布・施行「青年学校令」に基づく)により予科志望者の激減を予測した早稲田工手学校は,予科の生徒募集を停止し,本科生のみを募集〈③1021〉
4早稲田高等工学校に応用化学科(教務主任小栗捨蔵)増設〈③1021〉
5・15吉江喬松の後任として,北沢新次郎,理事就任〈学報544・8〉
5・15理工学部研究所用地隣接地25坪弱の購入を決定〈③921〉
6・25興亜学生勤労報国隊(興亜青年勤労報国隊の後身)壮行会挙行〈③901,1042〉
7・11野々村戒三,第一高等学院長辞任し,高等師範部長原田実を嘱任,高等師範部長には勝俣銓吉郎を嘱任〈理事〉
9・14田中穂積総長,教職員を大隈講堂に集め,学生・生徒の体位向上を重視する教育方針を宣明〈③901-902〉
9・21興亜経済研究所設立準備委員会,定款および理事長北沢新次郎をはじめとする人事を決定〈③934-936〉
9・27理事会,学徒錬成部道場建設と忠魂碑建立を決議〈③832-833〉
9・27法学部および商学部の教務主任を1名ずつ増員して各2名を置く〈理事〉
9・28興亜経済研究所,第1回理事会を開催し,第1年度の事業計画および予算を審議〈学報550・4〉
10・7学徒錬成部の新設を決定し,田中穂積を学徒錬成部長に嘱任〈③832〉
11・1興亜経済研究所開所式挙行〈③839,936〉
11・5紀元2600年奉祝創立60周年記念式典挙行(予定していた忠魂碑除幕式は中止)〈③840,843-845,849〉
11音楽関係の各種学生の会を鳩合して音楽協会(会長西条八十)結成〈③776-777〉
12・2-6第1回体力章検定実施〈③957-958〉
12・14甘泉園に接続する相馬家所有地6,125坪の買収を決定〈③753,754〉
12・21報国碑(忠魂碑を変更)除幕式,恩賜記念館前で挙行〈③849-850〉
この年春 体育会,応援技術部設立〈③1140,『早稲田大学新聞』昭和15年4月24日号〉
この年夏 創立50周年記念事業の理工学部研究所(当初の構想では理工学部中央研究所)を喜久井町に設立〈③750,918-925〉
この年秋 法学部に東亜法制研究所設置〈③942〉
昭和16年1941年2・5島田賢平,「俳句事件」に連座して検挙〈③1064〉
2・17第1回体力章伝達式挙行〈③958〉
3・11京口元吉,講義内容が自由主義的であると警視庁より指弾されて文学部教授会に辞表を提出し,27日の理事会で辞職承認〈③1060〉
4・1教務部長・庶務部長・経理部長を置いて幹事に分担させることとし,教務部長に岡村千曵,庶務部長に大島正一,経理部長に永井清志を嘱任〈理事〉
4・15高井忠夫,早稲田専門学校長辞任し,上坂酉蔵(酉三)嘱任〈理事〉
4・24理事会,久留米に勤労耕作用畑地約1町歩の買収を決定〈③952〉
4・29興亜経済研究所,『興亜政治経済研究』第1輯刊行〈③933-934〉
4文学部哲学科の支那学専攻を廃止して東洋哲学専攻を復活し,哲学専攻を西洋哲学専攻の旧称に復し,教育学専攻を新設〈③993〉
44分科に分れていた理工学部電気工学科は,動力及通信専攻の第二分科を電気通信専攻に改めるとともに,動力及電機製作専攻の第一分科と電力応用専攻の第三分科とを合併して電気工学専攻の第一分科とする〈③1004〉
4第一・第二高等学院は,「学校教練の強化,体錬,錬成,勤労作業」を学徒錬成部で行う錬成科と,従来の学友会に替えて「科学,語学,芸術,国防,武道,競技」から選択必修させる特修科とを設置し,午前の国民科・自然科学科・外国語科,午後の錬成科・特修科の5体系に学科配当を編成(錬成科は実現せず)〈③993,1149〉
4軍事教練,高等学院・専門部・高等師範部の必修科目となる〈③858〉
4早稲田工手学校は「青年学校令」に準拠して学科課程を改正し,予科を廃止して入学資格を高等小学校卒業またはこれと同等以上へと引き上げ,修業年限を半年延長し3年に改めてこれを6期に分けたほか,鉱山及金属科を採鉱冶金科と改称〈③1021〉
4専門部工科の木造校舎,第二高等学院北側のテニス・コート跡地に竣工〈③752〉
4小平錬成道場を久留米道場,東伏見体錬道場を東伏見道場,戸塚球場を戸塚道場,第一高等学院運動場を戸山道場と改称〈③952-953〉
5・31早稲田工手学校,4月1日に遡って青年学校と同等以上の学校として認定するよう東京府知事に申請(10月30日に認定)〈③1021〉
5久留米道場が一部竣工(完工は9月)し,学徒錬成部の事業開始〈③752,952〉
6・3学部長・付属学校長会議,学生の礼は挙手で行うと定める〈③834,904〉
6・27興亜学生勤労報国隊壮行会挙行〈学報557・12〉
7・5学徒錬成部開所式挙行〈③952〉
8・1学部,専門部,高等師範部,第一・第二高等学院の学生・生徒が勤労動員を組織的に行うための早稲田大学報国隊(当初は義勇団と呼称),発会式を挙行〈③1047-1050〉
8・3-12早稲田大学報国隊,第二高等学院生300人を東京兵器補給廠に派遣(最初の学徒勤労動員)〈③1050〉
9・15東亜法制研究所,『新立法の動向』第1輯刊行〈③944〉
9・27学徒錬成部久留米道場,教職員に完成披露〈③952〉
10・3早稲田専門学校,早稲田高等工学校,早稲田工手学校の生徒をも加えた早稲田大学報国隊,結成式を挙行〈③833〉
10・16「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件」(勅令第924号)により,在学・修業年限は6ヵ月以内を限度として臨時に短縮可能とされるとともに,同日の「大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ昭和16年度臨時短縮ニ関スル件」(文部省令第79号)により,本年度は3ヵ月短縮となる〈③971〉
10・16「兵役法中改正法律中改正」(勅令第923号)および「在学徴集延期期間ノ短縮ニ関スル件」(陸軍・文部省令第2号)により,学生の徴兵猶予年齢が25歳まで低下するとともに,最高学年在籍者については年齢に関わりなく卒業期日から8ヵ月遡った時点で徴集延期期間が終了したものと看做される〈③972-973〉
11・1津田左右吉出版法違反事件の公判,東京地方裁判所で開始(翌年1月15日に終了)〈③1077-1081〉
11・6-10第2回体力章検定実施(第3回以降も実施されたかどうかは不明)〈③958,学報561・10〉
11・8音楽協会,学徒錬成部に吸収されて学徒錬成部音楽隊結成式挙行〈③777,960〉
12・8対米英宣戦布告(太平洋戦争(「大東亜戦争」と呼称)に拡大)〈③905-906,969,979〉
12・8燈火管制開始〈③906〉
12・20鋳物研究所,『早稲田大学鋳研報告』第1号刊行〈③915〉
12・25学部・専門部・高等師範部・早稲田専門学校で最初の繰上げ卒業式(修業年限3ヵ月短縮)を挙行し〈③1024,1030-1031〉,最後の恩賜記念賞が授与される〈③625〉
12・27早稲田高等工学校,最初の繰上げ卒業式(修業年限3ヵ月短縮)挙行〈『早稲田高等工学校教務に関する書類』〉
この年秋 広告研究会,宣伝文化研究会と改称〈③784〉
昭和17年1942年1前月の専門部卒業者のうち学部への進学を希望する者を対象に,3月まで授業料無料の臨時補習科を設ける〈記要17・153〉
2・18シンガポール陥落を記念して,大東亜戦捷第1次祝賀式並祝賀行進を戸塚道場で挙行〈学報565・10〉
3・30津田左右吉出版法違反事件に関連して,田中穂積総長,教職員の指導監督不行届の理由で文部大臣より戒告処分を受ける〈③836〉
4・1体育会の学徒錬成部への統合開始〈③962,1150〉
4・18アメリカ軍,初めて日本本土を空襲〈③1033〉
4商学部,選択科目制を廃止したほか,従来随意科目であった外国語を選択必修とする〈③990,記要17・153〉
4理工学部電気工学科の第二分科が分離独立して電気通信学科(教務主任黒川兼三郎)となる。これに伴い第一分科の呼称も消滅し,電気工学科の分科は工業経営分科のみとなる〈③1004,記要17・153〉
4理工学部応用化学科の工業化学必修科目5部制が7部制となる〈記要17・153〉
4高等学校・大学予科の修業年限6ヵ月短縮が実現すると1年半になってしまうことを懸念した2年制の第二高等学院は3年制課程を併設し,定員の半分を3年制課程に入学させる〈③993-994〉
4高等師範部に国民体錬科(教務主任今田竹千代)設置〈③966-968,994〉
5・11理事会,金属類特別回収の国策に呼応して,戸塚道場の照明塔を取り壊し献納することを決定〈③1119〉
5・20早稲田女子学生会(会長杉森孝次郎)結成〈③809,『早稲田大学新聞』昭和17年5月27日号〉
5・21津田左右吉に禁固3ヵ月,岩波茂雄に同1ヵ月(ともに執行猶予2年)の判決が下るが,検事局・両被告とも23日に控訴〈③1083〉
7・13学生・生徒の日常生活指針を定めた「学徒十戒」制定〈④103-104,理事〉
7・13理事・法学部長寺尾元彦死去(6月28日)に伴い,法学部長に専門部法律科長遊佐慶夫を,専門部法律科長に中村宗雄を嘱任〈理事〉
9・10理事会,学徒錬成部久留米道場隣接地13,031坪の買収を決定〈③952〉
9・27学部・専門部・高等師範部・早稲田専門学校,2回目の繰上げ卒業式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈③1033-1034〉
9・30第一・第二高等学院,最初の繰上げ修了式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈記要17・154〉
9・30早稲田高等工学校,2回目の繰上げ卒業式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈『早稲田高等工学校教務に関する書類』〉
9「俳句事件」に連座した島田賢平,講師辞任〈③1065〉
10・1最初の繰上げ修了高等学院生を迎えて学部入学式挙行〈学報572・23〉
10・1理工学部応用化学科に石油分科増設〈③752,1006〉
10・4塩沢昌貞,政治経済学部長辞任し,中野登美雄嘱任〈理事〉
10・5寺尾元彦の後任として,内藤多仲,理事就任〈維持〉
10・22体育会の学徒錬成部への統合が完了し,体育会解散式挙行〈③963,1150〉
107月頃科外講演部長を辞任した出井盛之の後任として,川原篤嘱任〈学報569・10,572・25〉
11・5東亜法制研究所,『新立法の動向』第2輯刊行,以後出版活動途絶〈③944-945〉
12・11満70歳停年制導入に伴う最初の停年教員17名の送別会開催〈③990〉
12・25鋳物研究所,『早稲田大学鋳研報告』第2号刊行,以後休刊〈③915〉
この年 端艇部,漕艇部と改称〈③1132〉
この年 送球部,体育会に加入〈③1145〉
この年 米式蹴球部,廃止〈③1144〉
昭和18年1943年1・15早川徳次死去(昭和17年11月29日)に伴い,大橋誠一,監事就任〈維持〉
1・15諸研究所を学部付属でなく大学直轄とする「付属研究所規程」制定,4月1日施行〈③913,927-928〉
1・15維持員会,理工学部石油工学科(10月開設予定)用地として早稲田奉仕園の土地2,365坪および建物4棟913坪(日本バプテスト伝道社団所有)の買収を決定〈③752-753,1008-1009〉
1・20田中穂積総長,大学院を官立大学に集中させる文部省構想に反対する意見書「学制改革と大学院問題」を発表し,文部省ほか関係方面に配付〈③981-983〉
1・21高等学校および大学予科の修業年限を2年に短縮する「高等学校令中改正」(勅令第38号)および「大学令中改正」(勅令第40号)公布,4月1日施行〈③994,1032〉
1・27勝俣銓吉郎,任期満了により高等師範部長辞任,当分の間後任を置かず〈理事〉
1専門部(工科を除く)および早稲田専門学校の2年生は第3学年に,高等師範部の3年生は第4学年に進級し,修業年限が3ヵ月短縮〈記要17・154〉
4・1理工学部研究所,「付属研究所規程」に基づき理工学研究所と改称〈③928〉
4・6文部省,東京六大学野球連盟に解散を命じる〈③1129〉
4・10学徒錬成部を紹介する『学徒錬成』刊行
4・143月29日付文部省通牒「戦時学徒体育訓練実施要綱」に基づき「戦時学徒体育基本要綱」を発表し,体育の目標を戦力増強に集中させる〈③963-964〉
4・15『早稲田学報』第578号発行,以後不定期刊行となる〈④533-534,777〉
4・25春季校友大会開催,今回を以て校友大会は中断〈学報579・26〉
4第一・第二高等学院の修業年限をともに2年に変更・短縮〈③994,1031-1033,④53〉
4高等師範部英語科,生徒募集一時停止〈③994,④52〉
4早稲田専門学校,第1・2学年の選択科目制を廃止し,第3学年の選択科目を2類に分けて各1科目を選択させる〈記要17・155-156〉。また商科を第一部と第二部とに分け,第一部には実業学校教員志望者を,第二部にはそれ以外の者を入学させる〈③994〉
5山本忠興,理工学研究所長嘱任〈③928〉
6・14田中穂積,学徒錬成部長辞任し,杉山謙治嘱任〈③964,理事〉
6戸塚道場の照明塔撤去〈③1119〉
8・19文部省からの照会により,大学院特別研究生候補者17人を文部大臣に推薦〈③986〉
9・21内閣,学生に対する徴兵延期の特典を停止する「在学徴集延期臨時特例」決定〈③973,1087〉
9・26学部・専門部・高等師範部・早稲田専門学校,3回目の繰上げ卒業式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈③1034〉
9・297帝国大学と3官立大学と私立では早慶両大学のみを対象とする「大学院又ハ研究科ノ特別研究生ニ関スル件」(文部省令第74号)公布,10月1日実施〈③975,984〉
9・30第一・第二高等学院,2回目の繰上げ修了式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈学報580・12〉
9・30特設防護団を校内防空と校外防空とに分けて警戒警報発令時の配備を決め,約200人が校内防空初訓練に参加〈④120-121〉
10・1大学院特別研究生制度発足〈③986〉
10・12回目の繰上げ修了高等学院生を迎えて学部入学式挙行〈学報580・12〉
10・1理工学部応用化学科の石油分科が分離独立して石油工学科(教務主任山本研一)が発足し,土木工学科(教務主任草間偉)が新設され,機械工学科・電気工学科・建築学科・応用化学科の4学科に置かれていた工業経営分科が分離独立(採鉱冶金学科の工業経営分科は廃止)・合併して工業経営学科(教務主任上田輝雄)が発足,工業経営学科は第一分科(機械工学)・第二分科(電気工学)・第三分科(建設工学)・第四分科(応用化学)に分かれる〈③998-999,1006-1010〉。なお,石油工学科は石油分科在籍者をも編入〈記要17・156-157〉
10・1文学部長日高只一,高等師範部長兼任嘱任〈理事〉
10・2「在学徴集延期臨時特例」(勅令第755号)が公布され,文部次官,「在学徴集延期停止ニ関スル件」を通牒して,徴集延期中の学生・生徒は全員10月25日から11月5日までの間に各自の本籍地で徴兵検査を受けるよう指示〈③973,1036,④162-163〉
10・7理事会,学徒出陣により12月1日入営予定の学生・生徒に鍛錬実施を決定し,10月11日から11月21日にかけて学徒錬成部で実施〈④104〉
10・7理事会,昭和19年度に農学部開設を決定(文部省に申請するに至らず)〈④93-94〉
10・12内閣,文科系軽視・理科系重視の「教育ニ関スル戦時非常措置方策」決定,学校・大学の統廃合を進める〈③975-978〉
10・15出陣学徒壮行会,戸塚道場で開催〈③1088-1091〉
10・16早慶壮行野球試合,戸塚道場で開催〈③1091-1094〉
10・16-17漕艇班の出陣学徒9人,東京湾縦断敢行〈③1094-1095〉
10・18特設防護団に学生・生徒を編入し,校内防空のほかに校外防空をも割り当てる〈④121〉
10・18財団法人大日本育英会(会長永井柳太郎)創立,翌昭和19年4月より特殊法人となる〈『日本育英会十年誌』7,④1136〉
10・20「昭和18年度陸軍特別志願兵臨時採用規則」(陸軍省令第48号)により,在学中の外地人に陸軍への志願を要請〈④651-652〉
10・21文部省学校報国団主催の出陣学徒壮行会,明治神宮外苑競技場で開催〈③1095-1097〉
10・30文部次官,陸軍特別志願兵制度を推進するための「朝鮮人台湾人学生生徒ニ関スル件」を通牒〈④652〉
10・31学生が激減するため,約140名の非常勤講師解任〈③989〉
10宣伝文化研究会解散〈③784〉
11・13「修学継続ノ為ノ入営延期等ニ関スル件」(陸軍省令第54号)および陸軍省告示第54号により,大学院特別研究生と理工学部・第一高等学院理科・専門部工科の学生・生徒は入営を延期される〈③973,記要17・157〉
12・1文科系学生・生徒約6,000人,一斉に入営〈④3〉
12・3文部省専門教育局長,「朝鮮人,台湾人特別志願兵制度ニヨリ志願セザリシ学生生徒ノ取扱ニ関スル件」を通牒し,陸軍特別志願兵に志願しない外地出身学生・生徒は自発的に休学または退学させること,従わない場合は休学措置を採ることを指示〈④652-653〉
12・9理事会,商学部の経営学部改称案を審議〈③987,④49〉
12・24「徴兵適齢臨時特例」(勅令第939号)が公布・施行され,徴兵年齢が19歳に引き下げられる〈④163〉
12・29専門部農科の昭和19年度新設の認可を文部大臣に申請(実現せず)〈④93-94〉
12籠球部,活動休止〈③1136〉
この年 学生を留年させないよう科目本位制を学年制に切り換える〈③738〉
昭和19年1944年1・8内閣,「緊急学徒勤労動員方策要綱」決定し,「勤労即教育」を本旨として勤労動員が休暇中だけでなく年間を通じて行われる〈④107〉
1・14理事会,4月より専門部・高等師範部・早稲田専門学校の学生を生徒と呼称するとともに,制帽を角帽から丸帽に改めることを決定(遵守されず)〈④30,34〉
1・15『早稲田学報』第581号発行,これを以て休刊〈④534〉
1・17陸軍特別志願兵として入営する外地出身学生・生徒の出陣壮行会,大隈講堂で挙行〈③1099-1100,④653〉
1・24早稲田専門学校生中の希望者で組織する学徒増産挺身隊第1部隊,結成式挙行。午前7時より午後3時半まで石川島造船所に勤務し,午後6時より早稲田専門学校で授業を受ける〈④128〉
1第一高等学院文科および第二高等学院,理工学部進学希望者のために文科第二部を創設し,9月までの9ヵ月間補習教育を実施〈③1037,④24,53〉
2・19職員中心であった特設防護団に残留学生をも組み入れて結団式挙行〈④96,153〉
2・22特設防護団(団長は総長兼務)を学徒錬成部管掌下に置き,報国隊員の全学生を防空要員に充当〈④121〉
2・25内閣,「決戦非常措置要綱」決定し,中等学校以上の学生・生徒全員を常時勤労に動員〈④107-108〉
3・7山本忠興,理工学部長辞任し,専門部工科長の内藤多仲を嘱任,専門部工科長には堤秀夫を嘱任〈③928,④31,理事〉
3・10『早稲田大学理工学研究所報告』第1輯発行,以後中断〈③928〉
3・22増田義一,理事辞任し名誉理事となり,後任に中野登美雄就任し常務理事となる〈④4,維持,理事〉
3・22興亜経済研究所と東亜法制研究所とを統合して興亜人文科学研究所(所長は総長兼務)設立〈④100-101〉
3・31比較的高給を支給されていた古参の課長3名と主事8名,職制縮小に伴い退職〈④95〉
4・1専門部および早稲田専門学校の商科,経営科と改称〈③987,④49〉
4・1専門部工科に航空機科,電気通信科,鉱山地質科を増設したほか,既存の機械工学科を機械科,電気工学科を電気科,建築学科を建築科,土木工学科を土木科と改称〈④25-30〉
4・1高等師範部の修業年限を1年短縮して3年に改めたほか,国民体錬科に1年制の専攻科設置(専攻科は1度も機能せず)〈④52〉
4・1早稲田高等工学校に航空機科,電気通信科,木材工業科を増設したほか,既存の機械工学科を機械科,電気工学科を電気科,建築学科を建築科,土木工学科を土木科,応用化学科を化学工業科と改称〈④33〉
4・1職制縮小のため本部の文書課・学生課・人事課を廃止し,庶務部に厚生課・秘書課を,教務部に教練課を新設するとともに,政・法・文・商各部および高等師範部の事務所を廃止する代りに法文系事務所(連合事務所)を新設〈④95〉,また,学生・生徒の激減により機能が低下した学徒錬成部に勤労動員関係および報国隊関係の事務を移管〈④104,110〉
4・20山本忠興,理事・理工学研究所長辞任し,理工学部長内藤多仲に理工学研究所長を嘱任,杉森孝次郎,第二高等学院長辞任し,赤松保羅嘱任〈③928,理事〉
5・20留日学生協会(会長小松芳喬),発会式挙行〈④657-658〉
5・20新聞研究会,『早稲田大学新聞』第324号発行,これを以て廃刊〈③772,④590,777〉
6・14専門部経営科長小林行昌死去(6月2日)に伴い,末高信嘱任〈理事〉
6・14陸軍現役配属将校,陸軍軍事教官と改称〈③874〉
7・22興亜人文科学研究所(所長田中穂積),開所式挙行〈④102〉
7・24服部文四郎,専門部政治経済科長辞任し,中村佐一嘱任〈理事〉
8・21学生・生徒が勤労動員で出校不能のため,特設防護団を教職員主体の組織に再編して結成式挙行〈④153-154〉
8・22総長田中穂積死去,享年68歳〈④5,102〉
8・28田中穂積の大学葬挙行〈④5〉
9・13科外講演部長川原篤応召(6月)につき,吉村正,部長代行嘱任〈理事〉
9・13理事会,第一高等学院校舎の東京師団経理部への賃貸および戸塚道場のスタンド鉄骨・照明塔の一部供出を決定〈④96-97〉
9・16日高只一林癸未夫,理事就任,中野登美雄,第5代総長に就任〈④5〉
9・16維持員会長松平頼寿死去(9月13日)に伴い,小山松寿就任〈維持〉
9・24学部・専門部・高等師範部・早稲田専門学校,4回目(学部は今回が最後)の繰上げ卒業式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈記要17・160〉
9・25前年の学徒出陣で応召中の最高学年在学生(戦死者を含む)に卒業証書授与〈③1102,④181〉
9・30第一・第二高等学院,3回目(今回が最後)の繰上げ修了式(修業年限6ヵ月短縮)挙行〈記要17・160〉
10・5杉森孝次郎,理事辞任〈④14〉
10・5中野登美雄,政治経済学部長辞任し,林癸未夫嘱任〈理事〉
10・5理事会,東伏見道場の中島飛行機株式会社への貸与を決定し,14日に貸与〈④97,105〉
10・10中野登美雄総長就任式挙行〈④5,16-18,111〉
10・18「兵役法施行規則改正」により,11月1日から17歳以上を兵役に編入〈記要17・160〉
10・25教務部より『早稲田学園彙報』創刊〈④535〉
10「決戦非常措置要綱ニ基ク大学教育ニ関スル措置要綱」(6月14日通牒)に基づいて法文系各学部は科目制を廃止し,学年制を採用,文学部は各学科の専攻別を廃止〈④44-45〉
11・4津田左右吉,時効成立により出版法違反免訴〈③1084〉
12・11留学生をまとめて教育する臨時留日学生部,開設式挙行〈④657〉
12・18法学部長遊佐慶夫死去(11月17日)に伴い,専門部法律科長中村宗雄を嘱任〈理事〉
12・29内閣,「留日学生教育非常措置要綱」決定し,翌年3月1日付で留学生を地方の大学等に分散・集合させたので,学苑における留学生教育は中断〈④658-659〉