明治十五年十月の学苑創立より昭和五十七年十月までの百年間において、経営の責任を担った役員は以下に掲げる人々である。ただし、名誉職に属する役員は割愛し、また、明治三十六年十二月から昭和二十六年二月までの評議員と、昭和二十六年三月以降の商議員については、正副会長の氏名を挙げるに止めた。
以下の一覧は、この百年間を私塾時代(明治十五年十月―三十一年十月)、社団法人時代(明治三十一年十月―四十一年五月)、財団法人時代(明治四十一年五月―昭和二十六年二月)、学校法人時代(昭和二十六年三月以降)の四期に大別してある。その上で、財団法人時代および学校法人時代の執行部に関しては総長の代ごとに時期を細分したほか、維持員、維持員会長(大正七年十月以降)、評議員正副会長(明治三十七年七月以降)については、機構が大幅に改編された大正十二年と昭和二十一年とを境に三つの時期に分けた。更に学校法人時代の評議員については、任期ごとに小区分を設けたが、評議員会長と商議員正副会長はそれぞれ一括して掲げた。「評議員」の如く役職名が同一であっても時期により機能を異にするものがあるが、その詳細は本文に拠られたい。
なお、この編年的な役員一覧では、特定の時期にどのような人々が経営の責を負っていたかは分り易いけれども、個々人の役職歴はたどりにくいという不便がある。そこで、別途に歴代役員の人名索引を作成し、一五七頁以下に収載したので、併せて利用されたい。
調査に際し主として利用した資料は、各年度の重要事項を記した『早稲田大学報告』、学苑の年誌をまとめた『早稲田大学創業録』、校友会の機関誌『早稲田学報』に記載の人事異動記事、『校友会名簿』の役職欄、昭和二十六年より毎年編纂された『定時商議員会学事報告書』、昭和三十一年に発刊された教職員向け不定期広報紙『早稲田大学広報』などの刊行物と、未公刊の『維持員会記録』および『評議員会記録』であるが、これらに拠っても不明の場合は、資料としては制約の多い文書課旧蔵『学校法人役員原簿』および法人課蔵「法人役員カード」を参照して補った。就退任の年月日を特定できなかった例も多く、その場合には在任が確認できる時点を()内に記した。それらの特定は、残存しているかもしれない不正確な記述の訂正とともに、後考を俟ちたい。
私塾時代、社団法人時代、財団法人時代の役員の在任期間に付されてある記号のうち、→印は次期へ継続して同じ役職に就いていることを意味し、◎印は前期から継続して同じ役職にあることを意味する。財団法人時代と学校法人時代の役員に付されてある◦印は、当該役員が財団法人より学校法人への組織変更時に継続してその任にあったことを意味する。ただし、この時、維持員は評議員に、評議員は商議員にそれぞれ名称を変えている。また学校法人時代の評議員に付されてある記号のうち、†印は任期中に退任したことを、*印は中途で補任されたことを意味する。